12

10

コメント

「寂しく、なる予報」・・・。

どうやら今年の暮れと明けは寂しいものいなる・・。
家内が島根に住む姉とともに帰省するのだ。

航空運賃が割高なコノ時期に帰るのは、目下建築中の我が家の確認と、この秋自損事故で後遺症の残る甥っ子の状況を確かめる為・・。

「ひとり紅白」か「ひとり・絶対に笑ってはいけない」確定

クリスマス・プレゼントは既に家内と義姉それぞれに佐川急便傘下のエア・カーゴで数週間前に発送済み。
寒さ知らずの南国のクリスマスとはなんとも味気無いものだ・・・。

グラフィックス12月
数年前の帰省にて・右端が家内(マニラ首都圏)
以前このブログでもご紹介したが、日本渡航前夜のクリスマスに急死した義父の葬儀と並行して皆、フツーに新年を祝った・・。
グラフィックス12月3
グラフィックス12月2
大晦日は街中で打ち上げ花火と中華製爆竹が鳴り止まず、毎年大勢の少年達が手指を吹き飛ばされ血潮溢れる光景がテレビニュースで放映される・・。

寂しくなるなァ・・、独身みたいだ・・。

グラフィックス12月4
(テレビ画面より)

BSジャパン『土曜は寅さん!』。全48作品をハイビジョン放送。
先週土曜放送の「男はつらいよ 寅次郎恋歌」(1971年・昭和46年)
興行収入4億円を上げたシリーズ8作目。
落胆した「寅さん」の背中も寂しそうだ・・。

画面右に座る故「池内淳子」氏は元「日本橋三越」呉服売り場出身、所属した映画会社「新東宝」の倒産に伴い、テレビ界へ、主演ドラマは平均20%の高視聴率を誇り約20年間、昭和のドラマ女王として活躍した。
数々の受賞歴も輝く・・。

グラフィックス12月5
(テレビ画面より)
その淳子さんの座るテーブルの前にはMAT“Monster Attack Team”「怪獣攻撃部隊」の戦闘機が離陸体制をとっている・・。
『帰ってきたウルトラマン』(1971年・昭和46年)

グラフィックス12月6
“Monster Attack Team”の基地は実際は東京湾海底にあったそうだが、後発のZAT"Zareba of All Territory"の基地は東京都千代田区1丁目に実在した。それが証拠に画面左奥にはTBS赤坂の送信所鉄塔、右には日本電波塔が見える・・・。
『ウルトラマンタロウ』(1973年・昭和48年)


イマドキの液晶テレビは「アンダースキャン」機能を有し、テレビ製作現場のカメラマン達が覗いたファインダーと同等の画角を確認出来る。
一方数十年前の当時のテレビフレームでは、一般視聴者は水平走査線525本のうち436本しか見せられていないので、何故か千代田区上空に「スタジオ照明」の“羽”部分と“灯体”が見えている・・。


しかし、“天皇家の御所域内”であり、オフィス街の真上空中に「軍事基地」って一体どういうつもりだろう
「普天間基地」と共に東京都の居住者にも重荷を背負わせた格好だ・・・。

にほんブログ村 テレビブログ 今日見たテレビ番組へ
にほんブログ村
にほんブログ村 芸能ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村
スポンサーサイト



07

06

コメント

痩せ逝く想い・・、折畳み椅子。

連日、ムシムシ、蒸れ蒸れの暑さである・・。
家に居ると、無用に「エアコン」「冷蔵庫」のお世話に成り、ガツガツ無用に食べてしまう・・。
以前は66キロ以下をフラフラしていた「体重」が71キロまで増えてしまった・・。

『生産性ゼロのデブ・豚』

ぬくぬくとタプタプと、太っている場合では無い・・。

そこで、『生産性ゼロ豚』は考えた・・。週に3回早朝出勤のカミサンに弁当を持たせるのだから、自分のぶんも一緒に制作しよう・・・。(「無職特有の禁断症状」のひとつ、食欲亢進状態から脱却するのだ)
グラフィックスやせる1
AEONで購入した貧乏食べ盛り家族御用達・特製冷凍食品詰め合わせ弁当
ゆで卵以外は10分で出来ちゃうのだ・・。(左がカミサン用)

朝4時50分起床・洗面~NHK点ける~カミサンの朝食(バナナ&ヤクルトを準備)~うんこ(1便目)~キレイキレイで手洗い~調理~麦茶用意~保冷バックとともに保冷バック詰め~トースト焼く~マヨネーズ絞る~きゅうりスライス~トーストに乗せる~厚切りあらびきハム乗せる~オレンジジュース飲む~トースト食べる~うんこ(2便目)~出掛ける身支度~駐車場へ降りる(カミサンを待つ)~6時過ぎ出発~カミサンの勤務先到着~ハローワーク駐車場着~車内でNHK「あまちゃん」8時30分開所~就職情報検索~帰宅

グラフィックスやせる2
「黒烏龍茶」と交代交代でせっせと飲む『ガツンとヘルシア』。

お先にスミマセン、11時30分過ぎには朝作った「お弁当」を戴きます・・。


舞台・催事の音響、音声ミキサーを仕事していた頃は本当に「痩せて」いた・・・。

当時のコンサート終了後の「打ち上げ宴会」の集合写真を見ても、顎先が逆三角形をしてた・・。
 
毎年毎年、夏場は特に1ヶ月半、連日定時で同じ現場に入る事が多かった・。
東京・水道橋の現在の東京ドームが出来る以前の「後楽園」内に「後楽園ジャンボプール」が在り、プールサイドに野外ステージの「音響業務」が在った。

東京・杉並の当時築80年のエアコン無しの我が家から、これまた冷房車両無しの「国鉄・中央線~総武線各駅」へと乗り換えて水道橋へ。

熱帯夜の寝苦しさから、常に寝不足気味の身体は、重く、だるく、「勃起」だけは繰り返していた、と思う・・。

出勤前には既に「下痢状態」、仕事場に到着しても「下痢」。
水道橋駅の改札口から、「黄色いビル」を抜け、プール業務入り口を抜けた「トイレ」まで毎日、「お腹の痛みとアスファルトの照り返し」に耐えて、歩いた・・。(走るとあぶない場合も有る)たまに走った・・・。

『大腸性過敏症候群』。・・・そんな命名も無い時代。

今日のステージは旨く行くだろうか?失敗は無いだろうか?機材にトラブルは無いだろうか?
タチノ悪い芸能人マネージャーを相手するんじゃないか?
ゴールデン☆ベスト BIBIゴールデン☆ベスト BIBI
(2009/09/16)
BIBI

商品詳細を見る

「資生堂バスボン・シャンプー」なるCMでデビューしたグループのマネージャーは、真夏の楽屋に「本場」のロングブーツにカーボーイハットで登場し、初対面のわたしに挨拶もせぬまま、『ワタシの話を聞いてください』と唐突に切り出し、ドスンと「折畳み椅子」にチョー大股開きで腰掛けて、ゲイノー界の狂気を見せ付けた。

ゴールデン☆ベストゴールデン☆ベスト
(2004/12/22)
ザ・ヴィーナス

商品詳細を見る

「カネボウ化粧品」のキャンペーンソングを歌うグループは、ステージ上のモニタースピーカーが「貧弱で足らない」と楽屋入りの時点で言い出し、それを自分に対する「当てつけ」と勘違いした小僧のワタシは何故か、彼らのマネージャーに対し「逆切れ」して、本番前に「折畳み椅子」や長机を蹴り上げ「大喧嘩」をしてしまった・・。

ファーストデイトファーストデイト
(2010/09/22)
高見知佳

商品詳細を見る

お腹の痛みをこらえつつ、一刻も早く「排泄」を済ませようと、脂汗を滴らせ「楽屋入り」したらば、この日出演予定のご本人が誰よりも早く、何故か「おひとり」で「折畳み椅子」に腰掛けていて、「オハヨーゴザイマース」と声掛けられたが「脱糞警報」も秒読み段階肛門締め上げ状態のまま、失礼を承知の上の空で、楽屋をダッシュで走り抜けたり・・。


打ち寄せる「恐怖」と「不安」「太陽の暑さ」・・・。


そして、場内の「飲料水」の売り上げUPの為に、味付けを「塩辛く」した「焼きそば」、「カレー」。
それらを「想う度」、お腹は「痺れ感」「水便・軟便」を繰り返した・・。


本番ステージが始まってしまえば、収まるのだが、そこへ行き着くマデガ「大変」。
「正露丸」が手放せなかった・・・、夏・・。キンチョーの夏、日本の夏・・。

グラフィックスやせる3
http://jp.freepik.com/

思えば、10代後半から20代の半ば『例の舞台公演の失態』まで、ガキの癖にヨク続いたものだ・・。
周囲の「ゲイノー界関係者のみなさん」も、わたしの年齢を聞きもせず、よく任せていただいたなァ・・。


あ、・・・いま、一番緊張するのは、カミサンにお小遣いを戴く時・・、です。


にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村

07

02

コメント

「英語でビックリ」。

最近、このブログでマイカーの車検整備について記事にした。

そこの礼儀正しい正統なる接客態度の「若き整備士さん」達と比較して、過去にお世話になった満足な挨拶の出来ない東京の「テレビカメラマン集団」を引き合いに出して「匿名」で書いたらば、ブログ訪問者の方から「一発」で「会社名」を言い当てられた・・。

その訪問者の方とは全く普段、親交の無い「関係」であっても成る程、読む人が読めばわたしが「何処のどなたを描いたのか」容易に判別が付くのだ・・・。

しかし、これには驚いた・・・。
幾多のテレビ業界の同業社が存在しても、ディティールの「一撮み」でヒットしてしまう・・。


わたしは多数の「映像の製作業務」のオリエン資料、企画書、絵コンテ、台本、VHS、ベータカム放送用テープの類を(床の抜け落ちそうな量)段ボールに入れ軽トラ1台分、多数所持していたが、結婚後収納に困り、「未練がましさ」も自分で鬱陶しく、半ばヤケクソで全て、廃棄処分した・・。

いまとなれば、多少の「VHS」くらい・・、とも思うのだが「過去の遺物」を背中丸めてリビングで「ひとり」観るのもブルー・シルバーライフ協会から感謝状でも出そうなので考えないコトにしている・・。(渡辺満里奈氏のオーディションテープまで在ったどォ)

前回のブログでたまたま「楽天オークション」で何気に検索を掛けたら「作品」が300円で出店されていて「落札」したら、出店者の方が梱包発送の準備中、不覚にも落下破損させてしまい「取引中止」を告げられた・・。


「まァ、仕方ないナ」と諦めていたら別なロッドを急遽お手配戴いたようで、あっという間に手元に届いた。
しかし、これには驚いた・・・。

グラフィックスびっくり1
映画監督ならいざしらず、中途でヤメたギョーカイの「製作物」のひとつが、23年ぶりに300円で数日で手に入るナンテ・・。
前回お話した「日比谷公園」に舞い降りる「ガリソン号」のシーン。
グラフィックスびっくり2
収録は東京「浜町スタジオ」。
グラフィックスびっくり6
カンペをチラ見しながら、全くNGを出さずに収録は進む。頭と感のイイさすがベテランであった。
グラフィックスびっくり7
その才能とは裏腹に、わたしの部下ADを勝手にフロアから「追放」するのも「スター」の為せる技ママ・・。
グラフィックスびっくり3
アナログ放送用1インチVTRからプリント工場での大量デュープ品だが、23年後の今、HDTVで再生しても「画質」の良さには驚く。同時期のハリウッドメイクの「大作・ヒット作」でも、もっと粗悪なデュープが多々在るのに、この「品質水準」はほんとうに「ビックリ」である。
グラフィックスびっくり5
『早見 優のアメリカン・キッズ(第2巻 英語でビックリ 1990年・平成2年)』


ま、わたしの「人生」も「ビックリ」な訳だが・・・。


出店者の方にはこの場を借りて、心からお礼申し上げます・・。
23年ぶりの「再会」に感謝・・・・。

にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村






06

28

コメント

日比谷3題。

前回、前々回の更新記事で、30年目にして「過去の経緯」を明かしたらば、自分の中で「ブログを書く」という行為が少しだけ一段落した・・・、と思う。それ以前の記事はここに行き着くための「助走」だったのだ・・、と。

BS11名作劇場(木曜よる9時)『三人家族』(1968年・昭和43年~)。
グラフィックス日比谷1

地上波民放キー局を親会社に持たない、「ビッグカメラ」が筆頭株主の連結子会社、「BS11」。
いつもながら昭和時代のなかなかマニアックな「ドラマチョイス」が多いなァ、と思って調べたら、深夜枠のマニア向けアニメ以外は、50代以上が番組編成上の「コア・ターゲット」らしい。

BS放送なのに,その自らの棲み分けが変わっている・・・。

ま、いっかァ・・。「FOX bs238」なんて開局以来、ハリウッド・チャンネルを標榜しながら、いまやあろうことか、日本のプロ野球中継を延々、ゴールデンタイムにしてるもんなァ・・。

当時、名匠「故・小津安二郎」監督と並び性的描写の皆無な男女の「恋愛観」から、「家族愛」を描いた「故・木下恵介」監督のメガホンによる全26回の人気テレビドラマ・・。


教員を目指したものの、戦後十数年を経ても尚就職難の時期、「木下監督」に師事し「脚本家」として見事開花したのが、このドラマ執筆がデビュー作にして大ヒットとなる「山田太一」氏。

主人公の男・女各々の生活背景がいずれも「3人家族」という、お得意の「いびつな人間関係」・・。
グラフィックス日比谷4
主人公と友人が「人生」を語り合い、散策する背後の風景は50年前の「日比谷公園」。

過去には武家屋敷が並び、旧陸軍練兵所を経て、神社仏閣を除き、一から造成された「都市公園」としては最古の公園。
グラフィックス日比谷20
写真提供:トリップアドバイザー


遥か昔、小学校の遠足で「憲政記念館」や国会議事堂を見学後、休憩で訪れた事があった・・。

自由行動の時間、かなりの広範囲に三々五々園内を回遊してみたが、子供の目にはさして面白くも無く、名所の噴水前でぼんやりしていた。


「ボク、ボク、チョッと時間ダイジョブかなァ・・。」


突然、若いオトコに呼び止められた。


「テレビの撮影やってんだけどさァ、助けてくれる?」


恐らくこんな会話だと思う・・・。数メートル先に居た「タカハシ」クンだか「タナカ」クンを呼んだ。

「テレビに出てくれ、だって・・。」
グラフィックス日比谷5
この「ヒト」がこの格好で突然やってきた・・。


騒ぎを恐れて、撮影部はおろかこの「ナントカ隊員」と「円谷プロの助監督」以外、誰も周囲に居ない・・。


炎天下、カメラポジションでも変えていたのだろう、少しの間があった・・。
「ボク、お茶有る

「ナントカ隊員」は、わたしが腰に提げた彼の被るヘルメットと全く同じ「色鮮やかなオレンジの長い象印の水筒」を指差した・・。

「ハイ「ナントカ隊員」は、わたしの差し出すお茶を旨そうに飲み干した・・。


(オレの水筒で飲んでる・・。)

グラフィックス日比谷6
TBS『トリプルファイター』(1972年・昭和47年~)
東宝特撮の名門「円谷プロダクション」が当時、民放各局に1本ずつ特撮ドラマ製作をしていた、「粗製濫造の時代」の作品・・。
あまりの低予算の為、「地球侵略」を防衛するのは、たった3人の軍隊。

「東宝スタジオ」を使いミニチュアを造形する余裕も無いので、もっぱら採石場や河川敷での中古車に「特装」を施した車両の「カーチェイス」や「擬闘」がメイン。


後日、夕方のオンエアを心待ちにした。

月~金の毎夕、5時半頃からの10分程度の帯番組なので、ずーーと観ないといつ自分がでてくるのか判らなかった。(助監督は概ねいつ頃の放送かは、教えてくれた)


まだ、家庭用VTRなんて無い時代・・・。

相当、遠くから「望遠」で狙ったカメラは日比谷公園の噴水を捕らえ、脇にオレンジの戦闘服を着た「ナントカ隊員」が立ち、彼が指差す方角へ、勢いよく走り出す「ピンク色のシャツを着たガキ」がわたしだった・・・。



「日比谷公園」は大変に「撮影許可」が取り易い。(今現在は知らないが)


既にこのブログ内でも紹介の「早見 優のアメリカンキッズ」をはじめ、多くの産業映画や、時には元アラジンの「高原 兄」氏と♪メモリーグラスの「堀江 淳」氏をお連れして、緩いコントを撮ったりした・・。

スグ、借りれて、許可申請が簡易で、無料、ロケ車両の駐車場所に困らず、都会的な「画」が取れ、都心なのに日中、比較的に人通りが少ない・・。


「街ロケ」の理想である。


このブログの更新作業中に「楽天オークション」で、最早自分の「手元」には無い『アメリカン・キッズ』のビデオ版3シリーズのうち1本の「出品」を知り、即「落札」した・・。
グラフィックス日比谷21
わたしの演出したオープニングタイトル。
グラフィックス日比谷7
グラフィックス日比谷8
グラフィックス22
グラフィックス日比谷10
グラフィックス日比谷11
グラフィックス日比谷12
グラフィックス日比谷13
グラフィックス日比谷14
グラフィックス日比谷15
恐らく、僅か30秒足らずの映像だが当時の大掛かりなVTR編集スタジオで7、8時間は作業した筈・・。今なら「家庭用パソコン」で瞬時に出来上がる・・。
ビデオ「本編」の方も更に4,5日程度徹夜で「繋いだ」筈だ・・。
グラフィックス日比谷16
グラフィックス23
この後、「プーピー」チャンと「ガリソン」クンは飛行機に乗って「日比谷公園」に舞い降りるのだ・・。

以前、このブログでも申し上げたが、この「オープニング」は「中京テレビ放送」が製作し、「日本テレビ放送網」で早朝にオンエアされた「番組」のオープニングとは異なる・・。


「正規」の番組オープニングのように解釈されて、「Youtube」等の動画サイトに繰り返しUPされているが、オンエアが陳腐だったので、玩具メーカー「バンダイ」様用に「ビデオ版」としてわたしが新たに作り直したモノ・・。


「本放送分」のオープニングを所持されている方がもし、おいでになったら、どなたか差し替えて戴きたい・・。



にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村

続きを読む

05

28

コメント

一緒に遣って行きましょうヨ!

CX『ボクらの時代』(日曜あさ7時)
この朝は一時代を築いた「女優」さんのトーク。
この番組については、過去にも絶賛したが、相変わらずトークのロケーションといい都度のキャスティングといい絶妙な制作ぶりだ・・。
「1対1」形式では無いスタイルも「異例」である・・。

グラフィックス一緒に1
(テレビ画面より)
短時間で、いともカンタンに「相互に赤裸々」に語らせる「マジック・ブッキング」

グラフィックス一緒に2
(テレビ画面より)
未だにハイソなオーラ全開の方①

LAST LOVE SONGS ~人には言えない恋がある~LAST LOVE SONGS ~人には言えない恋がある~
(2012/12/12)
ジュディ・オング

商品詳細を見る

グラフィックス一緒に3
(テレビ画面より)
未だにハイソなオーラ全開の方②

キイハンター BEST SELECTION BOX [DVD]キイハンター BEST SELECTION BOX [DVD]
(2008/06/21)
丹波哲郎

商品詳細を見る

グラフィックス一緒に4
(テレビ画面より)
未だにハイソなオーラ全開の方③

舞台プログラム 劇団四季 アプローズ(喝采)(1983年) 演出:浅利慶太 出演:前田美波里、三田和代、浜畑賢吉、市村正親 ほか舞台プログラム 劇団四季 アプローズ(喝采)(1983年) 演出:浅利慶太 出演:前田美波里、三田和代、浜畑賢吉、市村正親 ほか
()
不明

商品詳細を見る


前田美波里さんの和服姿では無く、とある「日本舞踊」の宗家2代目の方。
グラフィックスいっしょに7
(HPより)
何度となくこのブログで登場する、わたしの在籍した国内を代表する「舞踊団」に在籍当時、お世話に成った「大先輩Aさん(仮名)」で在る・・。
目隠しを取れば前田美波里さんと「瓜ふたつ」
ご本人はソックリなのに、「美波里さんて、素敵よねェ・・。」と仰っていた。


たまたま当時住んでいた家が近く、舞台公演に必要な膨大な「古典音楽」「邦楽」「民謡」等の「音源管理」を互いに託されていた事も在り、「レコード音源」の録音やらダビング編集作業が深夜まで及ぶ事が当たり前に多かった・・。全て「無給」の作業である。


「自腹でタクシーで帰ります・・。」
「いいから、送って往くわよ!」

恐縮し、遠慮するわたしを、何度も「愛車」で送って下さった・・。

その途中、東京・新宿に誕生して間もない「京王プラザホテル」の喫茶「樹林」(たしか24時間営業だった筈)で「コーヒーを飲みましょうヨ!」と言っては、しょっちゅう「ご馳走」に成った・・。


二十歳前のわたしには「オトナの世界の味」がした・・。


詳しい事は省くが、フジテレビ系列でご活躍された昭和を代表する「放送作家」の大御所から、ある「超大物演歌歌手」の新年の日本武道館公演において、特別に書き下ろした『舞踊劇』でこの「大先輩Aさん」が「女房役」に大抜擢された・・・。
劇中音楽担当はやはり歌謡界の大御所・故「服部良一」氏。

「Aさん」は、この公演の本番リハーサル最中、この「舞踊団代表(故人)」から、公衆の面前で、謂れの無い、誠に不可解且つ人権蹂躙な「叱責」を受けた・・。
あまりの「代表先生」の突然の剣幕に、武道館舞台袖の大勢の出演者や音響・照明・制作進行スタッフは皆、固まった・・。

「先生」とは云え、女性で在るが故の「体調・感情不良」なんぞという「気分」のモンダイでは済まされない超大ベテラン「代表先生」の激高ぶりは、日本初の「大阪万博」や「日劇」「都をどり」といった幾多の名誉ある舞踊振り付けをこなす「大巨匠」にあるまじき「醜態」の一面が在った・・・。

「何よ!その態度はっ!」

「美貌・資質・資力」の全てに於いて長けた「大切で頼りになるお弟子で在ったAさん」への嫉妬・秋霜が「師匠」の立場を利用して「火を噴いた」のだ・・・。

その時の「困惑」仕切った「大先輩Aさん」の顔は、今でもわたしの脳裏に焼き付いている・・。
グラフィックス一緒に6
Nippon Budokan 2010.jpg

その武道館舞台を境に「Aさん」は電撃的に退団した・・・。
永年、身を粉にして尽くして来たのに「師匠」の意味不明な『激情』を買い、誰一人庇うでもなく・・・。


その何年も後、演歌歌手「島倉千代子」氏の音響エンジニア氏から誘いを受け、とある「ホール」へ呼び出された。
其処には「舞踊団」離脱後、自らを鼓舞し「舞踊宗家」を継承した「Aさん」の輝ける「雄姿」が逢った・・・。
当時、わたし自身も、故あって退団した直後の身・・。


「一緒に遣って行きましょうヨ!」
「前田美波里」氏そっくりの「A大先輩」は衣装のチェックをしながら、きっぱりとそう言った・・。

舞台準備の慌ただしい中、つかの間の再会であった・・・。


時を同じく、「年忘れにっぽんの歌」「夏祭りにっぽんの歌」でお世話に成った制作局の「Oディレクター」。
4億円程を投じ社名を「東京12チャンネル」から「テレビ東京」に変更した東京・芝公園の東京タワー脇の狭小な局舎の「若草色」の事務机が並ぶ、2階の制作フロアーにお邪魔した時のコト・・。

「一緒に遣って来ましょう!」
「舞踊団」を退団した旨を告げると、賺さずその大きな瞼をピクリともせず、そう仰った・・・。


のちに「テレビ朝日報道」の仕事と出会うマデの迷える「20代の若造」の「塞いでいた気持」が、少し、明るく成った・・。


「人」が発する「ことば」の持つ「力」を思い知った。

※関連記事はあちこちに御座います!古い記事もそれなりに面白い
『ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生』


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

05

21

コメント

締出されて「視た」モノ。

1913年大正2年創刊の経済誌「週間ダイヤモンド」が100周年を迎えている。
グラフィックスみてみぬ1
http://www.diamond.co.jp/
今週の特集記事は『経済ニュースを疑え!報道現場の裏側を明かす』。
狭い島国ニホンを跋扈する巨大メディア内部に蔓延する構造的問題を検証している意欲作!

「小泉純一郎元総理」に告ぐ通算1800日を超える任期を勤めた「中曽根康弘元総理」の頃、長期政権政党自民党の「夏の研修会」に度々、同行取材した・・。
グラフィックスみてみぬ2
Japan LDP HQ.jpg
箱根や軽井沢の西武系「プリンスホテル」が使用され、午前から午後は研修施設内で「政策研究会」、夜はホテル内の一番おおきな宴会場で「大宴会」である。

同行した「テレビ朝日の政治部自民党キャップ」は僅か数分間、数名の国会議員に極めて手短に話を聞き終わると、我々に「撮影機材」を下げるよう命じ、「どんどん、好きなもの食べて・・。」
グラフィックスみてみぬ3
http://www.princehotels.co.jp/karuizawa-east/plan/longstay.html/
「プリンスホテル」の提供する「宴会料理」をご馳走に為りながら、「これじゃあ、ワルイコトは云えなくなるなるなァ・・。」と、「政治素人」ながら思った・・。見て見ぬ振り。

確か記憶では、「宿泊等の経費一切」は「政党持ち」と聞いて「ヘぇー」と思った覚えが在る・・。テレ朝のみならず、NHKは判らぬが「国会映放記者クラブ」所属の「民放各社」が「料理」を振舞われて居たので、同様だった筈。

メディアとの交際費といった趣か・・・。
今現在はどうなのだろう、未だ続いているのやら・・・。


わたしが中学生の頃、年間を通して、よく舞踊の仕事で「地方巡業」をした。

夕方6時開場で6時30分開演、公演終了は8時45分前後で大急ぎで撤収。
大道具や照明・音響機材を積んだトレーラーは翌日の公演先へ移動。
市民会館・県民ホールといった施設からほど近い宿に迎えば、よる11時近く・・。

舞台の「裏方勢」は、公演終了後深夜、「店じまい」の早い地方都市を飲み歩くのだが、「出演者勢」は子供も大勢おり体調管理も重要で部屋に篭もるものだった。
当時、未成年の労働基準による8時以降の就労規制は無かった筈。でないと「すし屋のケンちゃん」等子供メインの「連続ドラマ」は成立していないと思う・・。



総勢で60名以上にのぼる出演者、スタッフは比較的収容規模の大きいビジネスホテルに宿泊の場合が殆んどであった・・。
具体的にいつ頃の何処の「都市」か記憶は全く無いのだが、大半はおとなの男性出演者との『ツイン部屋』での宿泊だったが、その夜はたまたま、客室の手配都合で、わたしひとり『シングル部屋』であった・・。

そうなると他の同年代の出演者たちと、高まる期待で騒然としてしまうのが、有料の東映製「ロマンポルノ」チャンネル。
まだブラウン管テレビの脇に鉄製のコインボックスが装備されて、タイマー課金の時代・・。

はやる心を抑えつつナンテ「冷静」な言葉は「辞書」にありゃしない
「投入」すべき「百円硬貨」さまのナイ事に気付き、慌てて両替に出て、自室に戻ろうとドアを押せども開かない
40年前でも、「オートロック」施錠が在ったのだなぁ・・・。

階下のホテル・フロントに助けを求めると、「お部屋の前でお待ち下さい・・。」との事。

長く、薄暗い廊下の自室の前で突っ立っていると、エレベーター方面から「凄く見覚え」の或る「女性」が歩いて来た。「厚化粧」「ゴージャス」なボリュームの「ヘアースタイル」、「タイトな黒のロングドレス」に、ホテル廊下のダウンライトに「スパンコール」が鈍く輝いていた・・・。
すこし上の方を見詰める感じで、ひとりスタスタとわたしの部屋の「隣のドア」に消えていった。

わたしとは「目を合わさず」。

凄く見覚え」の或る「歌手であり女優」さん・・・。
グラフィックスみてみぬ6

スグ、その後から、体格のガッシリした髪を真ん中から分けた白目の大きな(力石 徹みたいな)、ベージュのサマーセーターを着た中年オトコがエレベーターから現れ、わたしの真横を通り抜け、やはり同じ様に「隣部屋」に消えた・・。

程なく、ホテルマンが数扉離れた「従業員通路」から現れ、「開錠」してくれた・・。
このフロア階の部屋は、おそらく皆「シングルベッド」。

中学1年生の男子であったわたしは、オンナの「人」にはあそこの「アナ」が3つ在る、と聞いて「三角形」に空いているのかなァと思っていた「青少年」・・。

其の夜、ドスン、バタンと「隣部屋」から騒音がしていたが、まさか隣部屋でそんな「行為」が実施されていようとは積極的な「想像」が働かず、それよりも、100円硬貨の残数と「ピンク映画」のストーリー進行の、あまりの遅さに手に汗握っていた「夜」であった・・。

グラフィックスみてみぬふり5

いまの時代ならば、その「歌手であり、女優である女性」もわたしも互いに「見て見ぬ振り」なんてムリだろうね・・。
「写真週刊誌」なんてナイ時代、「カメラ付き携帯電話」なんてのも無い時代。


でも、まさか40数年後にこんな形でお話しするとは・・・。

東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム
(1999/06)
杉作 J太郎、植地 毅 他

商品詳細を見る



にほんブログ村 テレビブログへ
にほんブログ村

04

16

コメント

あまちゃん、ぞうさん。

『あまちゃん』が素敵である。「暇」だもんねー・・。オレ。
http://www1.nhk.or.jp/amachan/index.html
グラフィックスあま1
(テレビ画面より)
今までの人生、普段、こんなにじっくりとNHK朝の連続テレビ小説を観たのは、『鳩子の海』(昭和45年 1974年)以来か・・、ま、印象に在るのは・・。
「ごうりき」やら「のうねん」やら「もこみち」辺りから、ゲイノー人の氏名はほんとに奇々怪々だ。

視聴率的にも好調のようで、「宮藤官九朗」氏の喜劇脚本にNHK製作陣の丁寧なモノ造りがマッチした。
以前から週刊文春のエッセイで拝見していたが、他人に伝えるには少々ややこしい身の回りのコトを仔細に表現する「メンドクサイ作家」だなァ、と感じていた・・。

グラフィックスあま4
(テレビ画面より)
ドラマの舞台は1984年(昭和59年)の三陸鉄道開通式の当日からスタートする。


今から29年前、わたしはこの時、まさにこの超満員の1番列車に「テレビ朝日報道」から取材で「同乗」していた・・。


テレビ朝日アナウンサー「戸谷」氏のリポートは、大型のVTR編集機材を東京から搬入し現地編集。

始発駅前に居並ぶ他局の「大型中継車群」をヨソに、東北にまだ朝日系列のネット局が少なく、我が局はNTTの「車載衛星地球局」を現地へ手配し、取材テープを六本木へ「星送り」伝送・・。

上画面の如くヘリによる空撮も実施した・・。(ドラマ本編の映像はCGかナ?ラジコンヘリのような特殊機材かなァ?)
4月とはいえまだ雪深い山間を滑るようにに走り抜ける映像は、本当に美しかった・・。


比較的予算のついた取材であり現地に数泊した日程。
ロケの様子も含めて、合間にスチール写真をわたしが個人的に撮り歩いたが、旧国鉄時代の赤字ローカル線を引き継ぐ形で、「新たに開通」した鉄道に地元の熱狂ぶりは大変なものであった。

その後、わたしの撮影した一連の写真を、「永久資料」として「報道資料部」で保存したいとの申し入れがあり、著作権を放棄の上提出させていただいた・・。

グラフィックスあま2
(テレビ画面より)
グラフィックスあま3
(テレビ画面より)
見所のひとつ、ナント云っても1980年代のグラビア雑誌の表紙を多数飾った「キョンキョン」や、松竹映画「寅さん」のタコ社長の娘役「美保 純」氏の共演が、わたしの世代には嬉しい限りだ・・。

一部マスコミで密かに話題になっているが、往年の「彼女」の裸体は「輝き」そのものであったのだ・・。

TBS「渡る世間は鬼ばかり」(1990年 平成元年~)の「東てる美」氏や「五月みどり」氏等、かつての「日活ロマンポルノ」は彼女も含めて、その後の「演技派女優」や「監督」輩出の宝庫である・・。

美保 純 / D.ハミルトン 写真集 (別冊スコラ 4)美保 純 / D.ハミルトン 写真集 (別冊スコラ 4)
(1983)
美保 純

商品詳細を見る

『あまちゃん』を観終え、BS朝日にチャンネルを切替えたら昔むかしの「土曜ワイド劇場」の再放送。
『牟田刑事官事件ファイル』。
グラフィックスあま8
(テレビ画面より)
よーくあるドラマ終盤のシーン。美貌の実姉に全て横取りされる不遇の妹が起こす殺人事件・・。

この海辺でつっ立ったまま、十数分殺人動機を泣きながら話すくだり・・。今の時代、観るに耐えない。
グラフィックスあま6
(テレビ画面より)
「小林圭樹」刑事の背後に立つのは、まだ「その他大勢の時代」の「竹中直人」氏。

グラフィックスあま7
(テレビ画面より)
犯人確保の為、伊豆に急行する直前の捜査会議シーン。
画面左の刑事さん役の方は「小沢 象・おざわ ぞう」氏。以前は「小沢 忠臣」氏と言った・・・。

30数年前、わたしが「舞台音響」のシゴトをしていた当時の「お知り合い」。

ご自分の劇団に、稽古や公演に転用出来る「業務用音響機材」が欲しい、と仰ったので、数年掛けて収集した機材メーカーパンフレットから、まだ「カラーコピー」など無い時代、「返却のお約束」をして一部を「資料」としてお貸しした・・。コドモのワタシには「宝物」だった・・。



「チョット貸しといてネ・・。」

『火曜サスペンス劇場』や『水戸黄門』に出演されるのをテレビ画面で数年おきにみつける度、「あ、返せ」とつぶやくのだが、大抵、街中に紛れ込みその後のシーンに登場しなかったり、「助さん」や「暴れん坊将軍」に「切り殺されたり」してしまい、いたずらに時間だけが過ぎ去ってしまう・・。


しかもわたしの「追跡」を振り切る為、途中、「芸名」を変更している事・・。


ナントも悪質で、まったく油断ならないのだ・・。


にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村

03

26

コメント

オオサカ・カタルシス。

春本番に向かい一進一退が続く・・。
全国で開花のたよりが聞かれるが、この地方ではいまだ「蕾」を固く閉ざしたまま・・・。

わたしの「人生」同様である・・。歳はとってしまったが、何故か「閉塞感」や「焦燥感」は無い・・。
なんでだろう・・。

「暇」であることに変わりは無いのだが、我がブログ・ランキングは何故か上位を維持している・・。
「暇」なのに「一番」。

思えば、「現役のギョーカイ内で昼夜活躍中」の面々が、「ブログ」なんぞをチマチマと書いている暇などあろう筈が無い。
この「日本ブログ村」ランキング テレビ・ディレクター/プロデューサー部門に対し、たったの「12サイト」しかエントリーが無いのも頷ける・・。村内に70万サイトもあって12・・。

少ないなァ・・。

少ないといえば、全国の系列放送局に対し番組供給枠を持ち、番組を送出している関西圏のテレビ局・・。
これも僅かだなァ・・。
古くから、歴史的には日本の民間放送は東京では無く、中部・関西・九州圏から普及した経緯が在るが、番組提供するスポンサーの調達は、日本経済が集中する東京が主である・・。


「関西圏・大阪人」テレビマンが製作する「全国的な広範囲向けの番組づくり」・・。
一度、立ち上げると超・長期間、内容、構成、キャストをイジラズ、サワラズ進行する「大阪デファクトスタンダード」。

グラフィックスおおさか1
(テレビ画面より)
日本の最長寿クイズ番組パネルクイズ「アタック25」(昭和50年・1975年~)
今は亡き故「児玉 清」氏の後も延々続く・・、バカでかい美術セット、緩い問題出題と後方パネルの占拠対戦、今の時代、面白いかァ

グラフィックスおおさか2
(テレビ画面より)
「たかじんのそこまで言って委員会」(平成2年・2002年~)
吐き気のするような「読み方」をする、兵庫出の女性ナレーターのVTRと、雛壇大股開き座り+鬱陶しい奇妙なるタテ置きディスプレイ、「ざこば」氏や「山口もえ」氏のキャスティングも笑わせるが、特筆すべきは東京・日本テレビにネットしていないコト、複数のレギュラー・パネリストが「言葉狩り」に因り、東京製作の番組から降板を余儀無くされているコトこれに司会者を加えると「上方・傲慢のフルコース」
グラフィックスおおさか3
(テレビ画面より)
「上沼恵理子のおしゃべりクッキング」(平成7年・1995年~)
現在は招かれるゲストは座って見ているだけ。「恵美子」氏は立って喋ってるだけ。ブヒブヒ、昔から・・。
美術セットもひねり過ぎだ・・。

グラフィックスおおさか4
(テレビ画面より)
「ウェークアップ!ぷらす」(平成3年・1991年~)
老舗よみうりテレビが、政界・財界、中央とちゃんと繋がってマスヨとアピールする1週間に一度のビッグ・チャンスタイム「辛坊」氏56歳には見えないねェ・・。東京の日テレの皆さんに土曜日をゆっくり休んで戴く為の番組、とわたしは思っている・・。背景は飾り込み過ぎて鬱陶しいヨ美術は「U字型テーブル」。

グラフィックスおおさか5
(テレビ画面より)
「知っとこ!」(平成15年・2003年~)東京のTBSの皆さんに土曜日をゆっくり休んで戴く為の番組、とわたしは感じている・・。「中尾 彬」氏「桂 ざこば」氏は既に降板。美術は「U字型テーブル」。

グラフィックスおおさか6
(テレビ画面より)
「朝だ!生です旅サラダ」(平成5年・1993年~)東京のテレビ朝日の皆さんに土曜日をゆっくり休んで戴く為の番組、とわたしは考えている・・。美術は「円形テーブル」。東京から出向く大半の出演者は、前日大阪入りだから旨い店案内されるんだろうなァ・・。

あー、みんな「とうきょう」に負けまいと美術セットに「力」が入ってテ、目がチカチカするヨ・・・。

土曜、日曜のプライムタイム・・。見慣れない、聞き慣れない「スポンサー名」の提供CM・・。
「中身」でショーブしなはれやァ・・。関西のギョーカイの皆様、とりあえず、お疲れ様デス・・。

でも・・、「徹子の部屋」の美術セットよりは、一生懸命かなァ・・。いや、『必死』だ

グラフィックスおおさか7
(テレビ画面より)
「バラエティー生活笑百科」(昭和60年・1985年~)
NHKですが。キャーーーー、モウ、ヤメテーーーーーーーーナ
にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村


02

27

コメント

場違い。

このブログで多難な人生に触れた日にエジプト・ルクソールで観光用熱気球が墜落し、大勢の観光客が亡くなられた。

丁度今時分の時期、結婚の直前に仕事で訪れた事がある・・。
グラフィックスルクソール2
http://www.tripadvisor.jp/
首都カイロから約700キロ、この時期の朝晩の最低気温は10度前後と肌寒く、日中は30度近くマデ上がり寒暖の差が大きく、日中はカラカラに乾きを覚え、わたしも現地で体調を崩した記憶がある。

画面右側の遥か彼方に「紅海」、中央上下に走るのが「ナイル川」左に「Vallay of the Kings ・王家の谷」が在り有数の観光名所が点在する。
グラフィックスルクソール4
http://www.tripadvisor.jp/

少人数のロケで、わたしひとり撮影カメラマン兼音声係兼ディレクターの作業も、随分と気を張ったものだ・・。
昔の事で、わたし自身当時の記憶が薄れつつある中で、この「ルクソール」で、何処へ宿泊したのか辿った。

階段に赤絨毯が敷かれた、ナイル川沿いに聳え立つ、建つ宮殿のような、5ツ星ホテル・・。

すぐに見つけるコトが出来た・・。「Sofitel Winter Palace Luxor」
グラフィックスルクソール1

日本からの往復もビジネスクラスであったので、制作予算はそれなりにあった。
人サマの「お金」でファイブスター
地球大陸の真裏の彼方に遥々やってきても、「遊び目的」では無いので、気は重かった・・。

ホテルを拠点とする間は、収録済みテープの記録管理とバッテリーの充電に追われ、休む間がナイ。
少人数移動なので、機材も最小限度しか持ち込んでいないのだ・・。
遠く離れた海外、何でも余分にあれば「安心」ではあるが、とても管理しきれない・・。

殆んど現地コーディネータの設定したスケジュール時間に追われつづけて、「旅」のインパクトは充分にあったが、時系列も、何処で何をしたかも散発的に、断片的にしか記憶に無いのが、今思えば大変に残念である・・。

豪華だった筈の部屋やホテルロビーもウッスラとしか覚えて居ない・・。
唯一は、豪華なホテル料理が(何を食べたのか不明)口に合わず、また食後の甘過ぎるデザートにも閉口したコト。
グラフィックスルクソール3

更にはホテル館内の豪華トイレに、真紅のジャケットに、鮮やかな金色の刺繍をあしらった、ドゴール帽のようなものを被り正装した少年?が、洗面台の脇でタオルを持って微笑んで直立しており、用をたしたあと、タオルを受け取るべきか、「バクシーシ」と呼ぶチップを渡すべきか、しかも、5ツ星宿ならば相場はいくら渡すのか、大いに迷って苦痛だったコトだ・・・。


そりぁ、そーだ、このホテルは各国の「王族」や「VIP」が利用する処。
わたしなんぞ、何方も御呼びでナイのだった・・。

にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村


国内格安航空券サイトe航空券.com



アフィリエイト・SEO対策



02

26

コメント

皆、多難な人生・・。

速いもので、もう3月を迎える・・・。

振り返ればわたしの人生、周期的には春先の変化の波が大きいかも知れない・・。まァ、一般的には4月が社会のあらゆる階層で節目になるので一概に語れないのかも知れないが・・。

暇に任せツイッターを眺めながら、ネット上のサイトをアチコチ彷徨っていたら芸能界ゴシップサイト「日刊サイゾー」に「酒井法子」氏のここ数年の動静が詳しく掲載されているのを知った・・ 。http://www.cyzo.co

芸能記者のブログでは無いので細かなコメントは控えるが、いやはやその前途は多難と云えそうだ・・・。

彼女が以前所属していた「サンミュージック」で思い出すのはかつて東京・四谷4丁目交差点にあった「大木戸ビル」。
グラフィックスサンミュージック1
Sun music production yotsuya shinjuku tokyo 2009.JPG
現在7階建てのうち、7階と4階が空室・・。4階は募集面積 16.50坪 賃料月額 173,250円 保証金・敷金総額 660,000円、築33年でこのお値段、お手ごろなのだろうか?

1986年(昭和61年)4月8日、このビル屋上から故「岡田有希子」氏が飛び降り自殺。当時、ニュース速報がながれ、写真週刊誌には頭部の割れた凄惨な遺体写真が掲載された・・・。
グラフィックスサンミュージック2
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Okada_Yukiko.jpg
突然の悲報の対応に追われる「サンミュージック」社員に、後楽園でお目にかかった「松田聖子」氏の女性マネージャーや、「岡寛恵」氏(旧:岡谷章子)のデビュー時ご一緒したベテランマネージャー氏の沈痛な表情が今でも目に焼きついている・・。
そのマネージャー氏で思い出したのが「岡寛恵」氏。
グラフィックスサンミュージック3

長くそのご活躍を存じ上げなかったが、マーベル・コミック原作映画のヒロインの吹き替えも含め、実に膨大な数量のハリウッド映画・ドラマの吹替えをされている大ベテランに成長されたようで、驚いている・・。

慌ただしいスケジュールで撮影した彼女初のPVや、大規模な商品プロモーション、なによりも東京・港区麻布台の「サウンドシティ」スタジオでのフルオーケストラ編成による「テーマソング」収録では、彼女のピュアで透き通る「声」には圧倒された・・、当時から最近の若い女性タレントのような、フワフワ感ゼロの重厚なオーラが溢れていた方だった・・。
余計な事を口にしないお嬢さん、って感じだったなァ・・。

冒頭の「酒井法子」氏や故「岡田有希子」氏らと3人で1985年(昭和60年)からニッポン放送(QR)でDJもやっていた・・。
今現在、成功している彼女も実は、わたしとのお仕事の後、19歳の時、交通事故で大怪我をして一時、芸能活動中止を余儀無くされ、ここへ来るまでのあいだ、大変苦労されたようだ・・。

更に驚いたことに、このfc2でブログも展開中であり、お時間の在る方は是非、ご覧戴きたい・・。

http://heebow.blog31.fc2.com/
http://heebows.web.fc2.com/index.html


世の中、大変だ、大変だ思っているのは、自分だけではナイ・・、ゲイノウ人だろうが、フィリピン人だろうが、無職のオジサンだろうが、「真っ直ぐ」に生きるのだ・・。

※関連の記事は、アチコチに散らばってマス!「早見 優」さん「清水 美沙」さん・・。

これで、イイのだ・・・。
にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村




02

19

コメント

日曜2題・・。②遠くへ行きたい。

昭和45年・1970年当時の国鉄のキャンペーン『ディスカバー・ジャパン』の一環として、日本のラジオ・テレビの創世記を築いた「永六輔」氏が旅人となり放送を開始した『遠くへ行きたい』。
読売テレビを製作局として日曜日に放送されている紀行番組で有数の長寿を誇っており、2010年10月に放送開始40周年を迎えた。わたしは、小学生の頃からずっと、見て育った・・。
グラフィックス旅番7
初期の時代は「永六輔」氏の旅番組であったが、放送開始の翌年に降板、その後は、故「伊丹十三」氏や「藤田弓子」氏など数多くの芸能人(近年は無名俳優が多い)・文化人が、持ち回りで日本各地の風土、歴史、食、温泉宿を訪れるというもの。

過去、数ヶ月に一度はチャンネルを変えながら「拾い見」視聴していたが、それを止めて久々に最後マデ拝見した。

第2143回「戸隠高原 冬の名物 そばの里」長野県 戸隠高原~信濃町 旅人 「室井 滋」
グラフィックス旅番4

民放で放送される大半の旅番組は、明らかに観光スポットを紹介するものと、在来線や私鉄駅を拠点としてぶらり散歩の過程で偶然を装い歩くもの2つに大別される。
中にはNHKの「新日本紀行ふたたび」のように40年前に取材した漁村のあるお宅を再度訪問し、そこに暮らす「人」の足跡を追う壮大なものもある。

『遠くへ行きたい』は結論から申し上げるなら、放送2000数百回に及ぶ膨大な過去の制作資料から、演出、放送作家らが効率よく収益を上げる為に「焼き直し」ているに過ぎないようにお見受けする・・。

ワン・パターン。

日本屈指の制作会社「テレビマンユニオン」ならではの手際の良さが、番組を、すっかりつまらなくしている。

全国のNHK各局が得意とする「土着性」の高い情報を、民間放送の1番組をほぼ単独の製作体制で、ひとつの「放送文化財」として維持するのは並大抵ではナイご苦労があるのはもっともだが、CM込みの20数分で堪能させるにしては、こだわるコンセプトと扱う題材が重過ぎて、多過ぎて、全篇を通しての取材構成が「紋切り」型になっている事・・。

例題にしている下記の画像は実際の構成とは異なるが、
地図と尋ねた土地全景⇒すぐ尋ねる民家⇒すぐソバ打ち⇒すぐ料理アップ⇒すぐ食べる⇒すぐ次の民家の玄関先
グラフィックス旅番3

グラフィックス旅番2
取材したもの、VTR編集・構成のセオリーはコレで間違いはナイ・・。

しかし、これが『遠くへ行きたい』なのか・・。「行きたくなる」のか。

視聴者がその民家の伝統料理が食べたくても食べることが出来ない。零細な民芸品は購入したくても流通していない。旅の過程は省かれているので、全く何も感じない。テーマソングの歌詞にあるように「歩いて」みたくはならない・・・。
どの放送回も民家伝承や民芸工房の室内取材比が重く、一般にテレビを観ている視聴者の生活感からは遠いものが多すぎなのだ。取材対象・題材が「テレビマンユニオン・オタク」化している。
正味の放送時間が短いのに、詰め込む内容が多過ぎて「旅情」が描けていないのだ。
先般亡くなられた故「地井武男」氏の「ちい散歩」(EX東京ローカル)のように私鉄沿線の商店街数キロを限定して歩くわけでは無い・・。

旅人である出演者も、取材先の竹細工職人も扱いがざっくり過ぎて、まるで構成作家主導の「ナレーション原稿」メインの原稿番組になっている・・。それが証拠に番組ホームページにリンクがあり、「テレビマンユニオン」のページへ飛ぶと実に詳細な「焼き直し」ページを見ることが出来る。

http://www.ytv.co.jp/tohku/

その労力、「旅情」の構成に、まわしなはれ・・。

旅人がくるくる替わり、その中に殆んど知名度の無い役者が出演してもえっ、ゴメン!お宅、誰てな感じで旅どころでは無くなってしまう・・。
「いい旅夢気分」(TX)程度のキャスティングが、テレビ的には限界だ。
グラフィックス旅番1


故「渡辺文雄」氏や故「伊丹十三」氏のような旅の重鎮が不在なのも、旅風情を味気無くしている。
グラフィックス旅番12

味のある番組タイトルとは乖離している「先急ぎ番組」。別名「はしょり過ぎ番組」。「ハショリマンユニオン」制作。

端折って行きたい」。コレ、ピッタリ !

毎週番組終了後に流れる「予告編」にはとてもいい感じの旅情がある。が、番組本編に「味」は無い。
番組タイトルにおんぶに、だっこ・・・。

「よみうりテレビ」さん、「JR」さん、この時代、マンネリが、財産ですか ?膨大な経費の意味は ?
タイトル変えたら如何ですか


ああ、ちっとも「旅」したくならないなァ・・。番組の間に流れる「JR」のCMのほうが「旅情」満点だぜ

にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ




旅ポケドットコム

02

18

コメント

日曜2題・・。①キボーの業界くんつながり。

寒い日が続く・・・。
休みの日でも仕事に備えて朝寝坊しない週間が身についてしまっているので早起きである。
日曜朝の対談番組「ボクらの時代」(CX)
不条理性を描いたコントで長く舞台活動を行い個別の俳優活動も盛んな「シティボーイズ」は、「大竹まこと」氏、「きたろう」氏、「斉木しげる」氏の面々。
グラフィックス業界くん2
(テレビ画面より)
皆、老けたナァ・・。

特別に「接点」は無く、それぞれの来歴を語ると長くなるので割愛させていただくが、とりとめの無い会話が小気味よく笑わせる・・。それぞれが素敵なご家族に支えられている様子が伺える・・。
かくいうわたしとて、家内の支え無くば、「今」の自分は無いであろう、と思う・・。

スネークマンショー (急いで口で吸え!)スネークマンショー (急いで口で吸え!)
(2003/11/27)
スネークマンショー、Dr.ケスラー 他

商品詳細を見る

昭和56年(1981年)女優「風吹ジュン」さんの元ご主人らが設立した「アルファレコード」の大ヒットアルバムに「スネークマンショー」があった。以後、続編も含めわたしが長く魅了されたアルバムのひとつ・・。
わたしが、舞台の業務をしていた当時、舞台俳優の「K」さんから、友人の「伊武雅刀」氏のクルマの車中ではじめて聴かされ、死ぬほど大笑いした、と聞きレコード店で購入した・・。

分母は「ラジオ・ショー」がなのだが、自慰や性器、、コンドーム、マリファナから昔、駅のホームに在った痰ツボ、スカトロジーに至るまでエログロ何でもあり、の凄まじいオンパレード

グラフィックス業界くん1
前後してクリエイターの「いとうせいこう」氏が講談社に入社後「ホットドッグプレス」誌で企画した『業界くん物語』(昭和61年1986年)がギョーカイで話題沸騰し、こちらもわたしの手元に長く置いていた・・。ファッションモデル、スタイリストから、AD、ありとあらゆるギョーカイ・ワークを見開き1面で1業種ごとにイラスト漫画で暴露(紹介ではナイ)するスタイル。

「シティボーイズ」の面々は「竹中直人」氏、「いとうせいこう」氏「中村ゆうじ」氏らと「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(昭和60年1985年~)なる劇団を立ち上げる・・。

ラフォーレ原宿等で行われたその公演収録に、わたしの当時居た会社が携わり、わたしが営業伝票を切り・・、その流れでテレビ朝日伝説の朝の子供番組「パックン!たまご」の「中村ゆうじ」氏のコント収録スタジオ手配やらロケ手配をし、ロケに参加し、その演出には。当時「タイレルコーポレーション」なるアメリカSF映画「ブレードランナー」に登場する社名を冠した映像クリエイターで日本の音楽PVの草分け的存在「中野裕之」氏とお逢いした・・。

後に「業界くん物語」のビデオ版が(昭和61年1986年)発売になる。
わたしの大好きなコーナーがある。題して「Camera entertainment」

演出は「中野裕之」氏、出演は「中村ゆうじ」氏と、元テレビ東京社屋のスタジオを運営管理する技術製作会社・旧「ACT」のカメラマン。
おそらく第一スタジオでのENG収録。
グラフィックス業界くん3
指揮者のタクトにより8台のテレビカメラが「踊る」短いシーケンス。撮影の為にわざわざカメラケーブルを取り外している。いちばん左右のカメラの、スタジオぺデスタル(カメラの雲台)の色だけ違うのは他所のスタジオから持ち込んだようだ。
グラフィックス業界くん6
グラフィックス業界くん4
グラフィックス業界くん5
1950年代後半のハリウッド・MGMミュージカルを彷彿させる俯瞰ショット・・。
たしか、この監督演出で秋葉原の電気店「Laox」でも同様の俯瞰ショットを撮っていた・・。
これについても逸話があるが、ここでは書かない事にする。
グラフィックス業界くん7
想えばまだ、20代半ば・・・。

「夢」も「希望」も「愛」あったなァ・・・・。

いまは「希望」さんのほうは「賞味期限」が切れ、退場してしまった・・。

※関連記事が2012年6月16日にございます!是非、ご覧下さい!
http://19601118hhj.blog.fc2.com/blog-entry-96.html

にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ

02

14

コメント

まっすぐしか、飛ばない。

昨年暮れに購入したクルマのバンパーを、うっかり駐車場で擦ってシマッタ・・。
カミサンに見つかったらオオゴトである・・。
幸い、というかディーラーから「キズ修正」の「タッチペン」を予め預かっていた・・・。
面積は手のひら2つ分。ペンで修正するには大き過ぎるがシカタナイ・・。

キズカレナイうちに塗ってシマエ、と思ったが自宅の駐車場ではお隣さんや向かいの町内会のオジサンにイジラレて騒ぎに成りそうなので、そっと近所の「総合公園」の駐車場に持ち出した。
グラフィックスspeed8
グラフィックスspeed9
グラフィックスspeed10
暫らくの間、「まっすぐ正面から」見られぬよう立ち回るつもりだ・・。ヒヤヒヤ

「隠密作戦」がとりあえず成功した夜、BS・Star ch3で、1億2,000万ドルの興行収入を記録し、『ダイ・ハード』以降低迷したハリウッド・アクション界に大反響をもたらし世界的に高い評価を得たノンストップ・アクションの傑作、『スピード』(原題:Speed)平成6年1994年 が放送された。

何十回観ただろうか・・。

元警官テロリストとSWATチームによる、手に汗握る攻防を描く。
時速50マイル(約80km/h)以下になるとバスが爆発するという設定と、次から次へと起こる危機を頭脳的かつゲーム感覚で解決していく展開が繰り広げられる・・・。
本作が監督デビューとなった撮影監督出身のヤン・デ・ボンや主役のキアヌ・リーブス、サンドラ・ブロックらが一躍有名となった作品。
グラフィックスspeed3

公開当時、ロードショウを観に行ったがその当時から引っ掛かったのがバス車内15人の人質乗客の監視体制。
元LAPD爆弾処理班所属で精密機器知識にも精通する老齢の犯人役、Howard Payne(デニス・ホッパー)が市内中心部の古びた高層ビルからバス内の様子を常時モニターするシステム。
グラフィックスspeed6
今の時代ならばカラー映像信号を音声付で伝送するのはご存知のように容易いコトである。

しかしながら、1994年当時では国際間で「処理限界」を超えた「情報」をどう扱うか、画像圧縮技術をいかに安定化させ、商用ベースの規格に規定するか策定中の時期で「静止画」を扱う業界団体と「動画」を扱う業界団体が
調整の真っ最中であった・・・。

次々と行く手を阻む無理難題に翻弄され続ける映画後半、Jack Traven(キアヌ・リーブス)は、ようやく乗車中のバスの運転席上部に小型の「映像伝送装置」が仕掛けられているのを偶然、発見する。
グラフィックスsped5
上の画像をよくご覧戴きたいのだが、この機材左側に「パラボラ」を用いて右側に伝送回路がくっついている。
単焦点の魚眼レンズ付きカメラは敢えて登場させていない。設定がお粗末に見えるからであろう・・。
グラフィックスspeed11
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Parabola-antenna.png
映画の画像と左右向きが逆になるが、この「形状」は指向性が鋭く、側面や後方への漏洩も少ないといった特徴がある。
映画の設定の中では運転席上部からバス後方に「映像を伝送」しているのだ。
すると、どうであろう・・・。
グラフィックスsped4
この場面は映画後半、時速80キロで走り続けなければ爆発の危険を背負う人質バスの、無用な市街地走行の混乱を避けるJack Travenの発案でロス郊外の貨物空港内を延々、周回走行するシーンだが、本作品の「着想」どおりであれば、犯人は、車内の様子を映像で監視するのに、このバスの真後ろのリアガラスから一直線に見通せる位置にピタリ・照準を定め続け後方を一緒に走行しなければならないのだ・・・。

まっすぐしか、飛ばない。

どんなに高出力のtransmitterを向かい合わせで装備しても、まっすぐしか、飛ばないのじゃ・・。

まっすぐしか、飛ばないものを市内を縦横無尽に時速80キロで走行するバスから数十キロ離れた高層ビルの室内で「受信」する・・。無理なのだ・・・。元警察官の退職金ではムリなのだ・・。NHKか技術の「東通」にお願いしないと・・。
グラフィックスspeed2
https://www.totsu-int.co.jp/index.html
画面右下のミニバン中継車がバスに替わると思ってご覧戴きたい。
爆弾を設置したバスの屋上に送信機を設置し飛行中のヘリに向ける、それを上空から移動しながら防振機能の付いた受信機で受けながら、ロス市街でもっとも見通しの利く山頂や電波塔で一旦受信し増幅してから、再度老齢の犯人役Howard Payne(デニス・ホッパー)が構えるアジトの屋上が見通せる「位置・方角」へ送信し、「人質」の状況監視を実行する・・。
グラフィックスspeed
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hollywood.jpg
ハリウッド地区を象徴する有名なサイン、右手に多数の伝送アンテナが見える。

グラフィックスsoed1
http://www.ikegami.co.jp/index.html
「池上通信機」製ヘリコプターテレビ中継用デジタル/アナログ共有 可搬型自動追尾受信装置
アジト室内には移動中のバスの位置情報を知るパソコンと、車内監視モニター、ニュース速報を見るテレビモニター、位相・波形信号モニター装置の上に卓上モバイルアンテナが1台・・。
グラフィックスspeed22
映画には更に「事件を解決」に向かわせる重要な手段にも大きな「誤認」がある。
人質を乗せて周回走行するバスを取材するテレビ局の中継車。車体の天井から映像伝送用のアンテナポールを伸ばして、空港敷地外のフェンス前に駐車中な訳だが、当然、伝送の為パラボラは受信側の中継鉄塔か自社放送局の屋上に向けて設置済みである。
グラフィックスspeed16
そこへ、SWATの隊長がやって来て、バスから出ている電波を録画しろと詰め寄り、中継車内のビデオ・エンジニアが2連VTRモニターの真下のラックのツマミをグルグル廻し、数秒で信号を同期させ人質車内の様子を、アッという間に録画してしまう・・。
グラフィックスspeed20
このVTRを中継車から「ループして送出」する事でHoward Payne(デニス・ホッパー)の目を欺き、エアポートリムジンを併走させ、人質を救助するのだ・・。
グラフィックスspeed17
例え犯人の居るアジト・ビルと中継車の間に「良質」な映像伝送ルートが確立されたとしても、国際電気通信連合憲章では、連合の構成国や構成国の無線局に対し、有害な混信を避けるように定めている。
報道中継等同一地域内での周波複信で運用される場合は、会社間で混信が発生しないように、使用周波数・局数が導入・運用の際管理されている。その為、瞬時にツマミをグルグルして他所の周波数に同期するなどは中継車の設計思想に存在しない。パラボラもアジト方向に調整されていないのに、数秒で同期・・・。
グラフィックスspeed21
またアメリカの放送局の運用する報道小型中継車とはいえ、テレビモニターラックとVTRラックの間に、「UHF」周波数の変調装置なぞ組み込んで使わないであろう・・。


スピード ― アルティメット・エディション [DVD]スピード ― アルティメット・エディション [DVD]
(2002/06/19)
キアヌ・リーブス、デニス・ホッパー 他

商品詳細を見る


人生は曲がりくねるわけだが、まっすぐしか進まないコトも、世の中あるのだ・・・。ウーーン






にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

10

12

コメント

阿鼻叫喚。

「テレビ業界」も含めて、今まで一体何人位のヒトを教えて来たのだろう・・・。
数十人なんてトンデモナイ・・、数百人?・・・。そんな数ではキカナイかも知れない。

過去に東証1部上場の人材派遣会社に「フィールド・ディレクター」と称する部門で正社員として働いていた・・・。
(ちなみに会社は厚生労働省から事業停止命令を受け解散、給料はヨカッタのに・・。

内勤なら1日18時間勤務で200本以上の電話連絡で希望者に派遣先の「あっせん」をし、10数人単位の就職面接を5~6回こなす・・・。
外勤なら10人単位の作業派遣先への、集合・誘導・挨拶~現場作業・教育と派遣先のニーズを組み、必要に応じ人員を増減調整する・・、これを毎日繰り返し・・・。


複数同時進行の複雑怪奇な作業は「テレビ業界」と一緒。


自分の住所を教えられないヒト・越したばかりで判らないと嘯くヒト、偽の住所を教えるヒト、保険証が作れず口から膿が溢れマスクが抹茶色に染まるヒト、何日も同じワイシャツ・ネクタイでリュックサックを背負った人、新車の真っ赤なメルセデスに乗っているのに日雇い給が必要な若奥さん、昼食時に蒸発する青年、所定の技能が無いのに嘘をついて就社したヒト、解雇されたのに酩酊して出勤するヒト、解雇されたのにお洒落して着飾り集合場所に来る女性、出勤途中で行方不明になるヒト、総合駅のホーム・ベンチに大荷物を持ちいつも座っているヒト、マグロ漁船に借金の形に抛りこまれたのにまた乗りたいと嘯くヒト、刺青のヒト、虐めに合い片肺を潰したヒト、帽子を深々と被り目線を合わせず、口元を手で隠し話すヒト、10分置きに作業現場から居なくなり電話するヒト、外資系の会社に居ました、というのに毎日猛烈に獣臭く髪も洗わずその状態でまた外資系に転職シマスと嘯くヒト、日替わりでブランドジャケットにパンツでキメテ現場に来る日雇いのヒト、日払いの給料を手に帰ると翌朝毎パチンコ代を無心される母、「トイレに寄りたいので申し訳ありませんが・・。」が言えず、走行中のお客さまの乗用車の車内で脱糞した男性etc,etc・・・。


そして多いのが、「ワタシは・オレは前はもっと大きいカイシャに居たんだ・・。」と断るヒト・・。そこ、誰も聴いて無いです。

あれわたしも同じ様なもんか

山のように人生の阿鼻叫喚の縮図を観て来たので、初対面の方にお目に掛かると、どれ位「勤続」するか瞬時に想像が付く。今後、職場の中でどうなって往くのか見通しが付く・・。
ほぼ的中する・・。

以前、このブログでも触れた、今の職場のとある男性の方は、当初の予想通り自分から辞めてしまわれた・・。

対人関係構築にエキセントリックな部分が垣間見えたが、大なり小なり誰しも抱えるコト・・。ご自身が「変わらぬ限り」この先も苦労されるであろう・・。転職の度高齢になるので行き着く先が思い遣られる・・。


他人さまの人生、大きなお世話か・・・。
にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ


09

29

コメント

ギャップ。

グラフィックスハクション大魔王

「テレビ東京」「木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜」に昭和のアニメ「ハクション大魔王」(昭和44年・1969年CX)の主題歌で知られる「しまざき由理」さんなる方が出演されていた・・・。

お顔を、ハジメテ拝見した・・・。往年の「声」の面影には程遠い。

グラフィックスしまゆり

「画」としては、スゴイナァ・・。その「声」にも伸びは無く、何処の町にもあるカウンター・スナックのママさんって感じ・・・。
オワカリシ頃はこう・・。

しまざき由理 Gメン'75を歌うしまざき由理 Gメン'75を歌う
(2009/12/21)
しまざき由理

商品詳細を見る


とても印象に残る「お声」の持ち主で小学生の頃、聴いていて、とてもインパクトがあった・・。

「昆虫物語 みなしごハッチ」(昭和45年~・1970年)も歌っていらっしゃる・・・。「パンチのある野太い声」とでも言おうか・・・。上のレコードジャケット写真と声のイメージはだいぶギャップがある・・。

「いなかっぺ大将」(昭和45年~・1970年CX)
こちらの主題歌を「天童よしみ」さんが歌われている事は、ご存知の方も多いであろう・・・。

主役の声の吹替えは「野沢雅子」さん。有名な方である・・。
グラフィックスいなかっぺ大将

昭和39年~・1964年から放送が開始されたアメリカ・ABC製作の大人気テレビコメディー「奥様は魔女」。

子供の頃、もの心ついた頃から相当の長い間、関東ローカルエリアで、昼夜問わず「再放送」が繰り返された・・・。そりゃ、もう擦り切れるくらい・・・。(製作された本数は200本を超える)
グラフィックス奥様は魔女

アメリカの最も先進的な中流家庭の豊かな1戸建て住宅の様子、ダーリンの勤める広告代理店の豪華な建築内装、広告業務のあわただしい駆引き、そして何よりも日本語吹替え版での主役エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery, 1933年4月15日 - 1995年5月18日)を担当された、「K」さんの「艶とハリ」のある声。

子供ながらも「魔女の母親」のハマリ役の「声」に永く魅了された・・・。


数十年後、ディレクターとして仕事を始めたわたしのもとへ、「レディース・ウイッグ」のTVCMの演出依頼が来た・・。
このCMの「ナレーター」に女声で、アノ、サマンサ役で「艶とハリ」のある声を持つ「K」さんを起用しよう・・。
企画の立ち上がりとほぼ、同時に、思いついた・・。
グラフィックスエリザベスモンゴメリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC
ギャラも一流で在るが、商品の購入層にもピタリハマル「風格」があった・・・。

グラフィックスナレーションスタジオ
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/index.html

当時の東京・新宿副都心とスタジオ分での撮影・VTR編集を終え、仕上げの「マルチ・オーディオ」と呼ばれるBGM音楽とナレーション録り工程・・。


スポンサーの社長、代理店担当者、わたし、わたしの上司の製作プロデューサー、他関係者。
定刻に程なく、大きなサングラスを掛けた「K」さんが颯爽と東京・六本木の録音スタジオに現れた・・・。


大ベテランの持つ「オーラ」と「ハイセンスな風格」・・・。


あらかじめ企画内容は彼女のマネージャー氏を通じてFAXで打ち合わせ済みなので、「ナレーション原稿」を元に軽く、お決まりのご説明を終え、「では、映像に併せて「テスト」往きましょう」、と「アナウンス・ブース」へ向かった・・。

スポンサーに一発でOKを貰うべく、編集したVTRには、既に選曲したBGMを入れて在る。


ナレーション:[新しいワタシ、見つけました!
                  光り輝く街に、いま、ココロときめいて!]



大ベテランの持つ「オーラ」と「ハイセンスな風格」・・・。もうサイコーである!!


ディレクターデビュー以来、お世話に成っている「選曲家」の奥行きある「フルオーケストラ編成」のBGMチョイス、これもピタリと「ハマって」ああ、この「テイク」で一発OKだ・・・。

マタ、イイ仕事をシテシマッタ・・、そう思った次の瞬間・・・。



・・・・・・「トキメイテ無いなァ・・・。」


「トキメイテ無いよ・・・。」と、スポンサー社長氏・・・・・。


これにはスタジオ中が、瞬間冷凍


初回の顔合わせから、企画プレゼン、撮影・編集に立会い戴き、今日の今日まで、「無口」であり「寡黙」であり、こちらの意志が通し易い楽な部類のお客様であったのに・・・。


「テスト」を含め「本番」で1発OK!大ベテランの声優さんの「K」さんの「艶とハリ」の「声」でコノCMは、劇的に十二分に力を発揮するであろう・・、なのに・・・。
「トキメイテ無いよ・・・。」
ああ、ナンテ事言い出すんだ、素人のオッサン(お金はイタダキマスガ・・。)


「K」さんは「アナウンスブース」に入ったまま・・。
長い長い沈黙の時間が過ぎてゆく・・・。

音声調整卓の演出席で固まるワタシに、上司のプロデューサー氏は「助け舟」を出すかと思いきや、「ハタノ・・、トキメイテナイヨ・・。」と発言してしまい、説得どころか、収拾が尽かない状態に・・・。

薄暗い照明のスタジオに重苦しい空気が大挙押し寄せた。
ここで揉めてコノCMが「お蔵入り」に成る事は、責任上絶対避けなければならない・・・。
ここは失礼を承知でシカタナク、足取り重く「アナウンス・ブース」へ向かい、分厚い遮音扉を開けた。


ワタシ:「スミマセン、大変申し訳無いのですが、お客が”トキメイテナイ”と言い出してマス・・。」
「K」さんはピクリともせず、小僧ディレクターの言い訳を聴いていた。

脂汗まみれのわたしは、何事も無かったかの如く演出席に戻り、「テイク2」をお願いした。


(この時、彼女が「テイク2」を読んでくれたのか、どうか記憶が曖昧)


突然、「アナウンス・ブース」を出てきた「K」さんは無言で、わたし達一同を尻目に録音室を後にした・・・。

あの、大きなサングラスを掛けて・・・・。
大ベテランの持つ「オーラ」と「ハイセンスな風格」を撒き散らしながら・・・・。


わたしに「助け舟」を寄越さなかった上司のクソプロデューサーが、ボソッと言った・・・。

「ナンテ、シツレイなヤツなんだ・・・。」(ドッチがダ


奥さまは魔女 1stシーズン セット1 [DVD]奥さまは魔女 1stシーズン セット1 [DVD]
(2007/02/07)
エリザベス・モンゴメリー、ディック・ヨーク 他

商品詳細を見る


にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村

09

09

コメント

30年のレッツ・ゴー!

グラフィックスjpop1
http://www.nhk.or.jp/bs/jpop80/

「オヤジブログ」なので、懐古的話題が多く、最近のお若い方には、申し訳ないがNHK BSで「J-POP青春の80s」を拝見した・・・。

グラフィックスJPOP2香坂
(テレビ画面より)
「香坂みゆき」さん。後楽園のステージで2年の間2度ほどご一緒した記憶がある・・・。

当時は「サンミュージック」所属で「楽屋」で、何故か「ふたりきり」になる時間があり、「ドキドキ」しながらお話したコトがあったが、気さくな方だ。お若い頃と殆んど雰囲気の変わらぬ落ち着いた「素敵な女性」である・・。

グラフィックスjpop4大場
(テレビ画面より)
一時期、レストラン経営に頓挫された「大場久美子」さん。
お元気そうである・・。
「天地真理」さんマデは往かないが、ギリギリ・・・。

往年の「あどけない、か弱さ」はイズコヘ・・・。
後ろのダンサー達の衣装ダサ過ぎ・・。ダボダボ、ビロンビロンのドレス・・・。
昔の健康的な「スクールメイツ」にはほど遠いネェ・・。

グラフィックスjpop33s
(テレビ画面より)
画面右端が「フィンガー・ファイブ」の「晃」さん・・。
たしかグループ5人兄弟の次男か三男が、わたしの高校の先輩・・。

グラフィックスjpop客
(テレビ画面より)
客席の「インサート」カット・・。
みなさん、わたしと同い年だろうネェ・・・。

グラフィックスjpop6バンド
(テレビ画面より)
この「譜面台」・・、昔は毎晩、テレビに「登場」してたのに・・・。

腰をかがめているのは「新田純一」さん。
「マッチ」こと「近藤真彦」さんに、「ラーツー」が「クリソツ」で「ジャニー」さんにスカウトされているのに、断ったヒト・・。

一体、どうやって生活しているのだろう

グラフィックスjpop優2
(テレビ画面より)
以前、わたしのブログでも触れた「早見 優」さん・・。

「アメリカン・キッズ」のビデオ版が、何処かの「リサイクルショップ」に放置されていないか、探しています・・。

もう、収録現場で「勝手に」スタッフを「クビ」にしないでね・・・。オジサン怒るぜェ、シカシ

グラフィックスjpop7gs
(テレビ画面より)
番組のエンディング。

「原型」となる「過去の番組」が丁寧に創られていたからこその、「復刻版」である・・・。
イイ仕事してますねェ・・・。


タダね、NHKさん、いい加減、「出演料」くらい、民放並みに「払って」あげなさいな・・・。
ご自分達は、贅沢してるクセに・・・。

ねェ・・


青春歌年鑑 80年代総集編青春歌年鑑 80年代総集編
(2004/11/03)
オムニバス、岩崎宏美 他

商品詳細を見る




にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ

09

03

コメント

ボソボソ・・・。

スカパー恒例のノースクランブル・デーの日曜日早朝、「月光仮面」を観た・・。

日曜よる7時のTBS「枠」といえば、「さんまのからくりTV」(平成4年・1992年~)が長寿番組として続いているが、「月光仮面」は今から50数年前の昭和33年(1958.2.24~1959.7.5 )同様のこの時間に放映されていた・・・。

猛烈に昔なのだ・・。
グラフィックスタケダ薬品

「アリナミンA」や「ベンザブロック」で知られる、国内売上高トップを誇る総合医薬品企業である「武田薬品」の単独スポンサー枠として、約15年間、日曜よるを「提供」した・・。
この「タケダアワー」と呼ばれる「時間枠」には「ウルトラマン」」シリーズや「隠密剣士」が登場する・・。

で、「月光仮面」・・。
さすがのワタシの年齢でも、オンタイムでは放映を観ていない。
グラフィックス月光1
(ファミリー劇場HD放映画面より)
ターバンにマスク、マントを羽織って「真似」して遊んだ「記憶」は在ります・・。

こうして改めて拝見するに、製作は著しく「祖雑」で鑑賞に堪えない・・。

「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という「テーマ」設定は「日本的ヒーロー」の創造者とされ、「まんが日本昔ばなし」(昭和50年~・1975年)監修者で知られる「川内康範」氏の手に依る作品・・。

前枠の「時代劇」があまりの低視聴率で頓挫し、「武田薬品工業」がスポンサー降板を示唆、急遽スポンサー「引き留め」の為に、低予算で製作する「和製スーパーマン」の立案に着手・・・。

グラフィックス月光2
(ファミリー劇場HD放映画面より)

企画決定から放映マデに数週間しか無く、撮影には米国ベル&ハウエル社製の安いカメラを使用し、劇団出の26歳の新人に監督を任せ、美術セットを組めず社長個人の自宅玄関・応接間・車庫を舞台に仕立てた・・。
グラフィックス月光カメラ
Public Domain: Gerda Taro died in 1937.
当時全盛であった手巻きゼンマイ式の「フィルモ70」

見苦しい、というより「聞き苦しい」のは全篇の「台詞」の発音・発生が鍛錬を積んでいない「役者群」で構成されている点である・・・。
主演の「大瀬康一」氏ですら、東映東京撮影所の大部屋俳優さんであった・・。
大抜擢の理由は「声の張りの良さ」だそうである・・・。

【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 大瀬康一

膨大な脚本・著述を手掛ける「筋」の「川内康範」氏お得意の構成演出台本は、脇役達を延々「ボソボソ」とつぶやかせるのだが、撮影現場での「同時録音」では無く、当時の「音声収録」方法でスタンダードだった「アフターレコーディング」に因り、益々その「発声習練の無い役者群」の「ボソボソ」ぶりは、悪い方へ「際立って」いるのだ・・。

グラフィックス月光4
(ファミリー劇場HD放映画面より)
台本の「ト書き」部分の演出や編集にも「奇妙」な部分が多く、製作の全ての「工程」に未経験者を「多用」したため、「創り急ぐ」あまり「ダメだし」の無い環境であったのは容易に察しがつく・・。

原作者である「川内康範」氏の来歴と着想力・企画力、後世のリメイク、社会に与えたインパクトは計り知れないが、それ以外の「イケ往けドンドン、金なら無いぜ」で創った部分は、製作者たちの「存在背景」を知った上であれば、それなりに「楽しめるかも」・・・。


月光仮面 第4部  幽霊党の逆襲篇 VOL.2 [DVD]月光仮面 第4部 幽霊党の逆襲篇 VOL.2 [DVD]
(2012/09/26)
大瀬康一

商品詳細を見る



08

11

コメント

夏の「足袋」

暑い夏の、我が夏休みが始まった・・・。

「ショート丈」の靴下が大変、快適な事を最近になって知った・・・。
ソレまでは頑なに、フツーのハイソックスを履き続けていた・・・。

仕事現場でショート丈」の靴下を愛用している「若い人」を見掛けると、「ナンテ馬鹿げたデザインだ・・。」
そう想っていた・・・。


プロフィールにも書いているように、子供の頃、日本舞踊を習っていた。「習う」というより、亡くなった母親の「強い信仰心」が縁で「引き合わされた格好」だった。

日本有数の「新興宗教」の会長が、わたしの母の「兄の死」を偶像化し、教団の半世紀史を綴ったベストセラー「私小説」の中で、実名で登場させた・・・。

その教団の信者に、京都の「鴨川をどり」や大阪エキスポ「お祭り広場」、黒澤映画の振付等を歴任された先生が居らした・・・・。
グラフィックス夏足袋1
「畑 道代」先生(故人)
http://www.cinematoday.jp/page/N0026556
「信仰心」に根ざした活動展開は、世襲制で封建的・閉鎖的な日本の「古典舞踊界」に広く一般から募集した子供を投入し、「一流の芸術家」として育成しその成果を世に「問う」試みであった・・・。

あくまで「信仰ベース」で・・・・。

「小説」掲載を期に、まるで申し子のように、その先生の処へ連れて逝かれた・・。

しかしながら当時のわたしはといえば、このブログでも触れたとおり、1日12時間以上、平気でテレビを観続ける、通信簿には「1」と「2」と「3」+「4」がひとつだけの、勉強の苦手な「背の低い」コンプレックス児童。

更にはこのブログに書いたが「動体視力」の神経センサーが、並外れて「劣る」ので、子供ながらに「向いてなさそう」なのは、「やる前から」オボロゲながら判然していた。

本人の躊躇を他所に、両親、踊りの先生の「思惑は一致」し、多少の好奇心で「踊り」を習い始める・・。
グラフィックス夏足袋2
http://komekami.sakura.ne.jp/archives/2430/p1030614

京都の「南座」、大阪「フェスティバルホール」、九州、東北、関東・・、あまねく国内を網羅された、「新興宗教団体」直轄の日本最大の「音楽鑑賞団体」(当時)の招聘により、一流のスタッフを揃え、学校に「欠席届け」を提出し、巡業したりもした。

巡業の途中で、自前の「足袋」が汚れ、宿泊するホテルでの洗濯が必要であった・・。

洗ったは良いものの一晩で乾くわけも無く、生乾きで「舞台」に立った・・・。
当然、微量の水分を含むので、アチコチの市民会館、文化ホールの楽屋や舞台裏を「足袋」で掃除して「歩く」コトになる・・・。

子供ながら、「うんざり」である。

この「うんざり」は、わたしが高校2年生の秋、母が急逝したコトで「加速」する・・・。
家族の食事・洗濯すべてが、自分に降り懸かる。連日連夜の「お稽古」に履く「足袋」が回らなくなるのだ・・・。

9歳年下の「妹」の面倒を見ながら、高校に通い、深夜帰宅後「足袋」の洗濯に追われるコトが「大きな負担」になった・・。
身長161cm「背が低く」、振付が2,3回では全く、少しもアタマに入らない「動体視力」センス。
自分の不甲斐無さにスベテが嫌になった・・・。

遠からず、「ショート丈の靴下」を「敵視」した心理の由来は、この辺に或るようだ・・・。バかまるだし。

グラフィックス菊の会
後列中央がわたし。

ちなみに、故「畑 道代」先生の数十年前の「ご構想」は見事に「開花」され「大成功」を収めておられる・・。

心から、ご冥福をお祈りいたします・・・・。
http://kikunokai.co.jp/





02

11

コメント

割り箸・・。

37度の微熱と猛烈な胃痛で目を覚まし、お腹をコワシ有給を頂いて寝込んだら、背骨がツマッタ感じがして、その背骨の閉塞感を取り去ろうとして、家内に背中を踏んで「ポキポキ」っと背骨鳴らしをする事にした・・・・。
グラフィックス割り箸
妻による暴行が行われた現場
テレビのあるリビングのフローリングの床に、いつもならば完全に腹這いの姿勢を採るのだが、何故かこの時は胸前で腕組みし背中が反る格好でカミサンの脚を待ち受けた・・・。この姿勢はいけなかった・・・・。
カミサンが背中に乗った途端!「パチンッ!」左胸で音がした!!驚きと痛さでノタウチ回った・・。

「ヒビがハイッタ・・・」「救急車呼ぶか?!」「ソンナ大袈裟な!」

傷みをこらえて1週間、今度は職場で作業中に左胸で音がした・・。「パチンッ!」
職場の若い子たちに、「頼むからオレを笑わさないでくれたまえ。」
何度かアタマを下げたが、彼女らが「攻撃の手」を緩める事は無かった・・・。
歩くと響くようになり、ベッドで朝晩の寝返りもママ為らなくなった・・。デンソー本社向かいの赤レンガづくりの整形外科に伺った・・・。

「第7、第8、第9、第10・・、ココに黒く線が見えますね・・。折れてますね。割り箸が折れた感じ・・。」

オンナ先生は恐ろしい表現を笑顔で説明してくれた・・。
笑っている。あたりまえだ!こうなった経緯を詳しく説明した際、すでに先生は吹き出していたのだ。

と、いうわけで夜は地上波のお笑い番組を避け、BSへ逃げた。

BS-TBSで松本清張サスペンス特別企画「一年半 待て」
夫に因るDV家庭内暴力に耐え切れなくなった妻が夫を殺害し、市原悦子演じる表向きは正義の辣腕弁護士と被害者妻の用意周到な演技で執行猶予を勝ち取ってしまう・・という筋書き。
グラフィックス2月骨1
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/DRT1006100

劇中、愛人役で登場したのが「清水 美沙」さん。
いまや幾多のドラマ・映画に活躍の素晴らしい女優さんである・・・。

彼女がまだデビュー前の遥かむかし・・・。芸名を「清水 美砂」さん、としていた頃、「松田聖子」さんの所属する事務所サンミュージックの「おつきあい」でまだ御自分の楽曲も持たずタレントとしての方向性をプロデュースする為にプロモーションビデオを撮ったのを思い出した・・・。

まだ、冬の明けない肌寒い季節・・経緯は覚えていないが、もの凄く、モノスゴク「速撮り」をマネージャーから要求され慌てた覚えがある・・・。たしかロケ時間の猶予が1時間程度しか無かった・・。

初顔あわせから衣装着替え、打ち合わせ、撮影終了までの全てを小1時間で!
グラフィックス清水美沙
wikiには明大中野定時制卒と記載があるが、当時は「白百合学園」在学中のお嬢さんだった・・・。
東京・JR原宿駅前で待ち合わせした彼女は学校の真っ白な制服のまま現れた。


まぶしさに息を呑んだ・・・。


前日前夜に依頼された彼女の撮影のハナシは絵コンテを書いている暇など無く、原宿の街中を移動しながら、考えながら撮影して歩くスタイル。いきあたりばったり。御本人には申しわけ無いが事実です・・・。

現在の様な簡単に放送規格の信号が取り出せるデジタルカメラなんぞは無く、重さ数十キロになるテレビカメラとVTR、照明、スタイリスト、メイク、制作陣、無許可の撮影である。

「美砂」さんには16ミリフィルム用のテレビカメラを持たせ、散歩しながら原宿の風景を「歩いて」もらう事にした。原宿交差点~歩道橋~竹下通り~表参道・ブテック 。

途中、オンナノコに人気のクレープ屋さんで立ち食いのシーンも回した・・・。
このクレープのシーンも歩きながらの思いつきなので、「領収証」をモラッテいない。 
わたしの自腹だ・・・・。
グラフィックスブログ用2月2


にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村 家族ブログ 国際結婚夫婦(アジア人)へ
にほんブログ村 家族ブログへ

01

22

コメント

センター試験

受験生の皆さん!ご苦労様です!

足掛け5年くらい、か、大学受験予備校河合塾で「河合サテライト講座」なる通信衛星を使用したナマ中継業務に従事していた。
年間を通じて大学入試の解析番組を演出した。

東京・港区は六本木の旧テレビ朝日裏のビルにスタジオ棟があった。テレビ朝日を退職し数社の映像製作会社を経て、映画監督・後藤幸一監督の事務所での最初の仕事だった・・・。
日本全国の河合塾予備校と系列校、大学の進学授業として高校にも配信された。

グラフィックス河合サテライトパラボラ

受験生と同じ「視点」(必死さ、人生を掛けた差は受験生には及ばないが)で必死で演出の為に「勉強」した。

高校在学中に「舞台音響」の業務を「プロ」として「委託」され、変節を経て予備校授業の番組に携わり、同時期、同じ事務所で「全国ネット」の民間放送のゴールデン・タイムの番組を任され・・・・。
収入、作業質共に最高額を得た「時期」でもある・・・・。
東京・六本木のその、スタジオは、やがて「河合塾」発祥の地、愛知県名古屋市瑞穂区・桜山に「移設」する。

この後、「我が人生」は大きな転機に揉まれてゆく・・・・。
以下次号。

01

14

コメント

正月の水死体・・・

何度も記述させて頂いているが、マスコミに殆ど登場しないが日本の伝統芸能を海外に広く展開し続ける国際的舞踊集団に在籍していた当時、年末の大晦日から愛知に出張の仕事があった・・・・。

「名鉄サニーワールド」と称する遊園地?では無い・・・(記憶が無い)名古屋にあった・・。
東京人から観ると長島であろうが、桑名であろうが皆、「名古屋」と勘違いしていたので、正確な場所がよく判らないで居る・・・・。ネットで探る限り、おそらくその周辺にあったのだろう・・・・・。
17歳で亡くした「母」の代わりにろくに正月のお節料理の用意もせず、父や9歳も年下の妹の面倒も見る事無く、後ろ髪を曳かれながら新幹線に乗った記憶はある・・・・。
わたしは音響技師として音響機材一式を陸送で送り、選抜された男女10数名の舞踊家さん達と共に現地入りした・・・。
東京の催事企画会社の依頼業務。
大晦日の日中舞台リハーサルを行い、元旦から数日?現地滞在したと思う・・・。
はるな愛さんの顔をスリム顔にしたロングヘアーで長身の大変な美人のKさんという方が舞台司会を勤められた。
東京の舞台稽古から既に参加されていたので、既に顔見知りであったが、何故か意気投合して、大晦日の夜にふたりきりで「年越しそば」を食べに中心街へ出掛けた・・。寒々とした蛍光灯の燈る暗い蕎麦屋しか営業しておらず、この地方の「透明な汁のそば」に関東出のふたりは躊躇しつつも、夜を過ごした・・。

聴けば、当時大人気刑事ドラマ「西部警察」PART1(ANB昭和54年~)でナント、「水死体」の役を担当したという・・・。
さかのぼって渡哲也・松田優作共演の「大都会シリーズ」(AX昭和51年~)の大ファンであったわたしは大いにのけぞった・・・。

大都会 PARTⅡ BOX 2 [DVD]大都会 PARTⅡ BOX 2 [DVD]
(2012/07/27)
石原裕次郎、渡哲也 他

商品詳細を見る

年末の楽しい晩を過ごした翌、元旦の夜。昼間の舞台公演を終了し宿へ戻ると東京から派遣された舞踊団のリーダー格の女性から、昨晩の外出の件を咎められた・・・・。単独行動は厳禁なのだ・・・・。某新興宗教の大幹部のご令嬢でもあるその方からキツクお叱りを受けた・・・。ワルイ事とは知りつつも、Kさんの輝く魅力には敵わなかったのだ・・・・・。「蕎麦」喰っただけだけど・・・・。
その現場が終了して、互いに2度と顔を逢わせる事は無かったが、携帯電話なんぞの無い時代に自宅の電話番号まで教えて戴き、暫らくの間電話で近況を伝えあった・・・。
いまは、お元気にしてらっしゃるのだろうか?


01

09

コメント

年明けの3連休

この連休の中日が日曜で、刺身を酒の肴に夕方「笑点」を見て「サザエさん」を観ても明朝が「休み」という不思議な感覚・・・。今は「ウレシイ」けど来月の給与明細を見て「クジケル」んだ、これが!

というわけで「サザエさん 新春スペシャル」(CX)の1時間バージョン。「人面猫」のタマのご機嫌採りに紫の「2ピース缶」と呼ばれるステイオンタブのキャットフードが登場した。
グラフィックス新年サザエ1
詳しくは定かで無いので、シビアな議論は猫愛好家諸先輩にお譲りするが・・あったのかなァ、こんな豪華な「テリーヌ仕立て」のキャットフード。1971年(昭和46年)キハダマグロ油漬け「いなばライトツナ」を発売。ツナ肉のフレーク化・高速充填システムによって日本のまぐろ缶詰の大量生産化。
1973年(昭和48年)には、アメリカにおいてスチール製DI缶がバドワイザー社(Budweiswr Co.)によりビール用に採用された。時を同じく国内においても大和製罐により、スチール製のDI缶が炭酸飲料、ビール用に開発。
画面に登場の紫色の「2ピース缶」=「DR缶」。時期的には符合するのかも知れないが、中身がなァ・・。紫色の缶は「モンプチ」や「カルカン」といった製造メーカーと同様だけど・・・。
色の連想で言えば、下の画面右側、黒電話の台の下にある「黄色の本が電話帳」
グラフィックス新年サザエ2
1985年(昭和60年)の電電公社民営化当時、旧来の電話帳のイメージ刷新で翌年登場したのがアメリカのイエローページを模して黄色&黒色のデザインで製作した「タウンページ」。
画面左側は言わずと知れた磯野家の居間の「東芝製音声多重テレビ」
グラフィックス新年サザエ4
1978年(昭和53年)世界最初のステレオ試験放送を実施したのは日本テレビ(AX)。
画面はその2年後に商品化された「東芝製音声多重テレビ・極める」磯野家のものはこれの後継機。

波平やマスオが「あさひが丘駅」から乗るの電車は「普通鋼製」から「ステンレス製」に切り替わった1985年(昭和60年)以降登場の「直流通勤型電車」。重量の軽減と塗装等の保守面が簡素化された。

だから??ナニが言いたいのかって??
「テリーヌ仕立て」のキャットフードは!まだ! 無いんだヨ!!・・・・・・・たぶん。

12

30

コメント

こんな筈じゃ無かった①

私の勤務先にはface bookで会話する知人が3人居る。

この事業所は正社員、派遣社員含めて300名程いる。全国の営業所・海外の出先も含めれば1000人単位の筈・・。会話中の3人以外他に7,8人に友達リクエストを送信したものの、更新が殆ど無くエントリーのみで放置か、プロフィール写真も無く携帯エントリーのみで放置の方がたである。

少くネェ??・・・・。

会話中の3人とて最近は殆ど更新が無く風前の灯状態。かくいう私も1ヶ月近く放置していた。
勤務先ではコミュニケーションが成立しないのだ!
グラフィックス1年末7
(face book画面で友達探し)

さりとて学生の頃の知人は記憶すら曖昧で東京都下の超低偏差値校であったので、校風・その後の人生展開の可能性を考えてもface book上で友人探しするとは、とても創造しにくい・・。
多くの方のように、大学でも出ていれば別だが・・。(ちなみに父は中央大学卒)
学校ではコミュニケーションが成立しないのだ!

そもそもface bookを始めたのは義父の葬儀でフィリピンに家内と帰った時に甥の嫁さんから勧められて始めたもの。皆パソコンを所持しており家族・親戚約20人程の動静を見ることが出来る。

コミュニケーションというより、遠隔地での飲食や学校行事や誕生会や・・諸々の生活ぶりを画像で見て安心する機会とするのが操作の中心。チャットがアクティブな状態だと、言葉の問題もあり躊躇する!

あちらは、公用語は英語なので親戚の誰かにチャットを仕掛けられたら、慌てて「エキサイト翻訳」を開き、日本語⇒英語変換のコピー&ペーストの繰返しで会話する。・・・長時間は疲れる。
家族ではコミュニケーションが成立しにくいのだ!
グラフィックス1年末8
(陽気な家族、中央がわたし)

休みに入って、暇を持て余し、face bookにて「hatano」をキーワードに同姓の方を検索し、片っ端から友達リクエストを送信したら、12時間後に利用規約違反だとface bookから怒られてしまった・・。未承認のリクエストを全て削除した。

不愉快な思いをされた方、ごめんなさい・・・。

認識不足でした。「同姓」くらいの動機ではコミュニケーションしちゃいけないのだ!
でも・・8人の方は12時間以内に承認戴いて、友達になれた・・。よかった・・・。



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ
にほんブログ村 家族ブログへ

12

18

コメント

踏み込む

http://www.shinchosha.co.jp/

今週の「週間新潮」に元俳優の加勢大周さんの記事がセンセーショナルに全告白、として登場している。
逮捕の瞬間自室で一糸まとわぬ姿で(実際は下着1枚)いたところを警察に踏み込まれたその顛末を取り扱っている。
グラフィックス1秋新潮社
もう時効だろうから描くが、自分も同じ状況に置かれた事があった・・・。

「TVスクープ」(ANB)という報道番組。溝口泰男さん(故人)と安藤優子がキャスターを勤めた。

溝口さんとは報道局報道取材部の技術でわたしがANBに出向していた当時取材によく同行させていただいた。気さくな方だった。
安藤優子さんはCXへ移籍前でたしか同い年。取材途中、何処かの喫茶店でたまたま席がわたしの正面になり随分どぎまぎしたものだ・・。まだお互い20代、彼女は輝いて見えた。小麦色のスラリとした脚がとても魅惑的だった。
グラフィックス1秋溝さん

さて報道技術のデスクから「ハタノ、明日から大阪、出張な!」不意に申し渡された・・。
「「テレスク」でナ、題名が「覚せい剤」。で、ヨロシク・・。」
大量の機材を局から東京駅へ新幹線で大阪へ、開局当初からあった大淀のABC旧社屋のロビーで時間を潰した?か,記憶が少し曖昧だが,とあるその筋の撮影協力して戴ける方の元へと向う・・・。

グラフィックス通天閣
http://www.fukei-kabegami.com/cgi-bin/kabegami/6904.html

そのときの取材ディレクターが現在の某局のA代表取締役社長。
あまり詳しく書くと、相手方に何かご迷惑を掛けるかもしれないので記述を避けるが、その方のご自宅やらで下打ち合わせの後、いよいよ収録となった・・・。同行したカメラマンが不意に言った。


「ハタノ、今、警察に踏み込まれたら、全員、終わりだからな・・。」

「!!??!!」何も言葉を返す空気では無かったので、わたしは黙っていた。覚悟した。


密室状態の真っ暗な和室・・。緊迫した。


覚せい剤をガラスのコップを横に倒しながら擦り潰し、小袋に小分けする作業・・。
ライターで炙る⇒注射する・・。

収録終了直後、室内に篭ったあまりの熱でわたしがセットした照明機材にかけたパラフィン紙と呼ぶライティング用の紙が突然燃え上がり、ナント!その方の家の畳を焦がしてしまった。!ひれ伏して、平謝り・・・。
その方は何も言わなかったが、頷く事も無く・・。

その時の残念そうな顔を今でも覚えている・・・・。
前後して別棟2階から覚せい剤を買いに訪れる主婦を、カーテンの隙間から、隠し撮りし終了。


事後、その方のお店で皆で酒を御馳走になった・・。


しばしの休憩の後、御いとましようとするとその方が「よかったら大阪へ来ないか云々」、「ウチの下の娘を貰ってくれ云々」(スゴイ!美人!)とわたしに言い出し、言われたコチラはアタマが混乱しながら何故か畳みを焦がした事に触れず、お許し戴けたと、その方に感謝しつつ退散した。

帰路、新大阪駅前か通天閣か何処かで今回の収録のお膳立てをした仲介者の方への謝礼金の領収証の宛先をディレクターがやりとりするのを車の中で聴きながら撤収と相成った・・・。

前科一犯にならず、帰ってこれた・・・。



にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家のH氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・Y氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事G氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

最新記事・早く見ないと下に下がって消えちゃうヨ!

ヤメDブログの遅々として増加しないダメ視聴率!マウスを添えると閲覧数が見れるぜよ

ブロとも一覧

ヤメディレクターおすすめ!覗いてみてネ!

アクセスランキング(気にしない・・。たぶん。)

[ジャンルランキング]
テレビ・ラジオ
207位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
30位
アクセスランキングを見る>>

全記事表示リンク・是非!覗いてネ!!

Designed by

Ad