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もう、年でネェ・・書き残したいのよ・・色々・・。

フツーのサラリーマンに転向して10年目・・・。(2011年現在)

テレビ業界、CS・BS放送も網羅して、芸能界の地味なこぼれ話が盛りだくさん・・。

新宿・歌舞伎町の人気No1ホステスさんをお嫁さんに迎え、南国マニラの教会で結婚して18年目。

卑屈だった「日本舞踊」少年は母の急死を機に裏方に転向し、20代で一度「破綻」。
テレビの世界に転向し手取7万円のアルバイトが年収700万に・・。

異国の嫁さんを悲しませぬ為に「終電前」に帰れる東証1部上場の「派遣会社正社員」に成ったら、今度は会社が「破綻」。

ま、流れに「乗る」しか無いです・・・。なるべく、古い記事からお読みくださいね。

2013最新の転職の顛末は2012・11月からご覧下さい!


古い記事もそれなりに面白い,ジェットコースターブログ 『ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生』

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あれ?知ってる人かなァ・・・

時流に乗り遅れまい、と、いうよりはフィリピンの甥の嫁さんに勧められて始めたface book。
会社の若い方達、大勢の甥っ子、姪っ子等々、楽しく利用しています。っていうか、眺めさせて戴いてます・・。


昔、少し仕事上で知り合い、お誘いを受けて劇団四季の野外公演を見に出かけたり、食事したりした人を思い出し、動静を密かに探ろうと名前を入力し検索してみたら・・。

グラフィックス竹内梨恵

居たっ!!この顔!25年以上前?かな・・面影十分にあるっ
東京・文化放送のラジオカーに乗り、颯爽とリポーターをしていたTさん

オンエア当日、リポートネタに困って仕事中のワタシに電話をよこし
当時出来たばかりの「アーク森ビル」の壁面の太陽光自動集光装置について
レクチャーして、とキタ

当時私の居た部所はテレ朝本社脇のテレ朝通り
沿いにあり、アークヒルズには地下食堂に局のシャトルバスでたまに行くくらいで、用が無かった・・。
したがって「装置」について知識も無し。

今みたいにネットも携帯も殆ど皆無の時代・・・。
(飯ごう炊飯のような無線電話器はレンタルであった)


オンエアまで時間の無い様子の彼女の為に、森ビルへ問い合わせ、事務所内で大騒ぎして電話で彼女に説明し、
ラジオカーからの生放送を他のスタッフと聞き入った「あの日、あの時・・」


・・現在の居住地、! デンマーク・・だって・・・、彼女に何があったのだろう??




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「クスリ」

家内の飲む「降圧剤」の残りが、あと2日分になった。飲み続けないとアッという間に血圧が上がる・・。
医者は2週間分しか寄越さないので月3回程度クスリを取りに行くのは私の役目だ。
黒柳徹子さんのジェネリックに切り替えてくれと頼んだら、「相性がナントか・・」と言って断られた・・。
いいのか?厚生省!!金の相性か?ドクターとカミサンの相性か?ブツブツ、ブツブツ、意味不明!!
ある日、マウンテンバイクで転倒し肘を大きく傷したのに、オシッコを採って下さい、と院長婦人。
「ナンデ!?」と殊更大きな声でワタシの応酬・・・。

バブル経済で日本が金満国だった頃、東京の広域圏U局で1時間の情報生番組を、ゼロから立ち上げた・・。
電通ローカルラジオ・テレビ局参事じきじきの制作依頼・・。

生まれて初めて、築地の電通本社の大会議室での、大勢の関係者を前にしてのプレゼンテーションの光景は
今でも鮮明に覚えている・・。

司会に島田伸助氏の番組で、後の活躍めざましい、作曲家で元アラジンの高原 兄氏を起用し開局依頼初、のタイムキーパーのお姉さんを契約し、番組コーナータイトルを全てCG化し、東京ディズニーランドがスポンサーとして参加し、くず哲也氏、元ダウンタウンブギウギバンドの相原 勇氏らをコメンテーターとして招き、当時、飛ぶ鳥落とす勢いの「学生援護会」も参画し、初ずくしのプログラム!

先日、亡くなられた、ジョー山中氏もゲストで歌いに来て下さった・・。


運命の放送初日・・。偶然にも昭和天皇が御崩御され、オンエアが前日夜、延期に・・。

1週間後、半年前から膨大な制作・演出準備に追われ続け、ワタシの緊張はピークを迎える・・。

胃痛、下痢、不眠・・。家にはずっと帰れず、会社に寝泊りの日々・・。
グラフィックス1年末2
(画面は同局が運用する千葉マリンスタジアム・中継サブ)

当時の職場にいた新入女性社員のAさんが、私の様子をミカネテある「クスリ」をくれた・・。
「セパゾン」「ハルシオン」他何種類かの向精神薬、睡眠薬、ヨク判らず分けてもらった・・。
お父様がお医者さまらしい。


ワタシはタブレットケースを買い求め、彼女に勧められるがまま、飲んだ。


どれ位の期間か覚えていないが、生放送には影響があった・・。
緊張は和らぐが、ろれつが回らない事がしばしば・・。ナマ放送中、頭の中がふわフワフワするのだ・・。
しかし、心配ごとが無い状態。アタマの内からグワーと押し広げられる感じ・・・。

「クスリ」をくれたAさんに内緒で飲むのをやめた・・。数ヶ月のオンエアで少し、ほんの少し余裕が出来、
「クスリ」の手を借りず、ナマ放送に対処出来たのだ・・

Aさんは、その後、寒い冬のとある日、会社の裏手を流れる大きな川に飛び込み、自殺しようとした・・・。
水上警察の船が出動する大騒ぎとなったのを、Aさんの恋人からの電話で知った・・。
人は皆、様々な人生を背負う・・・。少し、勉強した・・・。

「クスリ」は怖いのだ・・・・。

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わたしの中の「秋」の扉・・・・。

「秋」は、38歳の若さである朝、突然死した母の弔いの季節でもあり、TOYOGUCHI TAKEZOの1枚2万、3万する秋物シャツやセーターをいきがって買い換えたシーズンであり、1週間ぶっ通しで舞台公演用の音楽素材を徹夜で編集し、その本番当日朝、過呼吸で倒れ舞台ホールから救急搬送された「秋」であり、座ってひとり5万円の銀座の高級クラブへ社長のお供で通い傲慢とうぬぼれに陥った「秋」である・・・・。

「秋」の食べ物を見ると・・、「秋」の夜のひんやりとした空気に触れると・・、それらの「秋」が瞼に甦りだすのだ・・・「秋」の気配と共に・・。

迎える「冬」は・・・ある時はその銀座の5万円のクラブのヒトと恋に落ちたり、生まれて初めて生放送の番組を担当し会社に半年間寝泊りしたり、人生の大きな転機となった舞台製作を過労と睡眠不足で大失敗に終わらせた「冬」であり、今の家内と出会ったのも「冬」で・・・。

わたしの中で・・、わたしの心の中の「秋」と「冬」は人生の中で多くの曲がり角を持つ季節。
角を曲がるまでにさまざまのトラップに翻弄されるのだ・・、おばけが立っていたり、贋物の虜になったり。

今の自分にはまだ・・、まだその頃を判り易く「語る」術が薄い。
自分を飾ろうと、取り繕おうとするから、「表現」に手間取っているのだ・・・・。
グラフィックス101
(写真は三河地方を流れる”逢妻川”)

少し、時間をくださいな・・・・。少し・・。






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「秋」の扉・・・その2

いまや国際的な舞踊団に子供の頃から23歳位まで在籍していた・・・。kikunokai.co.jp/

「芸術の秋」というが、秋から冬の時期は舞台芸術が1年で最も活気づく季節だろう。
春に企画し、ひと夏を稽古し、秋に初日を開け、冬にかけて国内巡業する・・。そんなパターンかな。

大昔、東京・赤坂に国際芸術家センターという、舞台関係専用のリハーサル会館があった・・・。
場所は当時のTBS会館の真裏にあり東京放送の電波塔の下あたり、おそらくTBSの敷地内だったと思う・・。
当時既に、十分に古めかしいコンクリート打ちっ放しの建物で舞台を模した合板の床と壁全面が鏡張りであった。
グラフィックス110
(当時の赤坂TBS局社とマイクロタワー)
その夜、全国公演に向けての最終稽古が行われ、演出家をはじめ、振付家、製作者、舞台監督、音響、照明、美術、大道具さらに邦楽演奏の歌手、お囃子方の諸先生方など大所帯でのリハーサルだった。
1部が古典舞踊、2部を創作舞踊劇と民族舞踊で構成する2時間半程の大舞台。
午後の早い時間に舞台演者のみが集まり、稽古をはじめて身体をつくり夜になりスタッフの方々が順次参集され、第1部から通しで各々が段取りを確認しながらの流れの稽古。

リハの途中、第1部と2部の間で休憩をとる事となった・・・。
まだ、コンビニなんぞというあたりまえの便利な店舗の無い時代。今時の若いひとたちに判り易く言うと、カップヌードルが売り出されたばかりで、ケンタッキーも日本上陸したばかり、マックシェイクがお化けのように超、超特大サイズだった頃。(これじゃわかんないよね?)アルミホイルに包まれた母親の握った焼肉入りのお握りを夕食代わりにガツガツ食べ、始まろうとする第2部に備えて、おしっこがしたくなった・・。

70名近く集まった稽古場にトイレは入口付近にひとつ。たしか赤電話?がありトイレはその奥の方にあった。

なんのためらいも無く木製のトイレで用を足す為、扉を開けた次の瞬間!!そこには!ナント!!
お三味線の大先生が着物の裾を腰まで捲り上げておしりまるだしで和式便器にしゃがんでいらしたのだ!!
扉を開けたのと殆ど同時に先生は振り向かれ、一瞬目が遇った!まさか中に人が居ると思わず、中学生だったわたしはノックしてから開ける、という社会の基本動作を怠ったが故の「事故」であった・・・。

全身を電気ショックが駆け抜けた!!断っておくが大先生は女性である・・・・。

大変なことをした・・・・・」その夜、終始その大先生と目線すら合わせることが出来ず大切な稽古中ずっと、振り向いた瞬間の先生の顔とおしりのフラッシュバックに悩まされ、踊る中学生小僧のアタマん中が真っ白けだったことは言うまでもない・・・・。合掌。



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こんな筈じゃ無かった②

報道局でアルバイトをしていた当時、自分は田舎の無い東京出身者という事もあり、正月は常に元旦出勤であった・・。当時の番組編成では元旦は昼ニュースが極端に短く、数項目のニュースしか扱わないので仕事らしい仕事は無かった・・。3日間連続で早朝に六本木から代々木の明治神宮の参拝客の様子を取材に出掛け、あとはやる事が無い。
帰社すると局のデスクに一升瓶が現れ、お祝いの宴会が始まる。(今の時代はそんな事出来ないだろうが)
ろくにツマミも無く飲むので、帰りの地下鉄では顔を真っ赤に染めて帰る。1度は局の地下のトイレで酔いつぶれて寝てしまった事もある・・。
 人間何もするべき事が無いと囲んでお酒を飲むのは何処でも同じか・・・・。

国会の参議院の中にある「映放クラブ」(NHK・民放ラジオテレビで構成)という記者詰めがある。
ここでも当時は、長年の慣習で本会議や予算委員会等の開催の無い時期は午後になると、報道各社で麻雀や酒盛りが始まる・・。(今の時代はそんな事出来ないだろうが)
グラフィックス新年2

国会記者クラブ詰めのテレビ朝日の皆さんには本当にお世話になった。
皆、温厚な人柄でとりわけTデスク(故人)には当時の環太平洋合同軍事演習の取材でハワイに出掛けた際にわざわざ高価なお土産を戴いたり、カメラマンのM氏にはわたしが社員ディレクターとして初めて演出した際、コチラが若気の至りで生意気な態度でナメてかかった口をキイタ時も、黙って整然と現場を収めて戴いた・・。
クラブ詰めの大柄な某局のデスクは、酔うと他局の私を呼びつけよくわたしを膝の上に座らさせ抱きしめられた・・。(ソンナ趣味ないぜ・・)
手ごろな価格で大量のおかずが付く議員食堂での昼食、総理官邸地下で二束三文で食べれるカジュアルな昼食、何よりも光栄だったのは、参議院警務課から下付される入門証とスーツの襟に着けるクラブの胸章だった・・・。
国会中継の際には本会議場の民放各社向けに音声を分岐する代表音声操作を担当させて戴いた・・。
プロフィールにも記述しているが、少年期から所属していた舞踊団を自らの不心得で去る事となりわたしの人生は大きく挫折した・・。ところが程なく、そこで培った音響・音声業務の経験を買われアルバイトから正社員となり勤務先が国会の記者クラブ・・・。

ある朝、通勤の為自宅のある南阿佐ヶ谷から地下鉄丸の内線で国会議事堂前迄乗車した時、思いがけず途中の四谷見附駅から見覚えの在る美しい女性が私の前に乗り込んで来た。苦節を舐めて惨めに退団した舞踊団の人だ。とある新興宗教団体の大幹部のご令嬢でもある。

「気まずさと驚き」そして今の自分を「見てくれ」と言わんばかりに揺れる車内で仕事の事を必死に説明した・・。「この人に伝えれば、舞踊団の皆に自分なりの人生の挽回を知って貰える・・・。」

かつて「迷惑」をかけた穴埋めにはその程度の事しか考えつかなかった・・・。
グラフィックス新年1
名誉に思えた国会勤務の仕事は、思いも因らぬ形でやがて終焉を迎える・・・・。

その日、クラブ部屋詰めの総務のご婦人が不在で各社いつもの如く思い思いに麻雀卓を囲んだり、テレビを観て雑談したり暇していた。そこへ1本の電話が入る。電話は鳴り続けるが麻雀の牌をかき混ぜるガラガラとした音やテレビの音に掻き消され聞こえていない。大部屋をテレビや大きな棚で各局ごとに間仕切りしている最も端に、我がテレビ朝日のクラブは位置し鳴り止まぬその黒電話に最も近かった。

仕方なく受話器を取る。「議運(議員運営委員会)の会見です・・・。」とだけ電話の相手はボソッと言うと、相手は私が誰かも聞かずに一方的に電話を切った。「 ・・・?。」
電話を受けた時の手筈も、電話にでてしまう事も、でたらどうするかの手順も、その意味も何も理解せず、あろうことか、わたしは誰かがデスクに戻ってから電話の件を伝えれば良いであろうと勝手に解釈した。
暫らくして大騒ぎになる。再び黒電話が鳴る!「なんで各社誰も来ないんだ!!!」

NHK・民放各局が自社のテレビカメラを据え付けて会見の様子を収録する告知の定期的な重要連絡だったのだ。会見はテレビ・ラジオが揃う前に新聞記者のみで既に開始されていた!!
クラブのデスクが不在の時の「会見連絡の伝達方法の不備」は、何も知らないわたしが電話を取ってシマッタ事で責任を取らされた・・・・・・・こんな筈じゃ無かったノダ!

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野球つながり

プロ野球が、はじまった・・・・・。
野球が「嫌い」だ・・・・。

小学生の時、電子部品メーカー勤務のわたしのエンジニアの父は「読売巨人軍」の大ファンであった。
当時、日本の夜のテレビは何処の家庭も野球中継で席捲されていた・・・・。
父の会社は当時、後楽園球場のスタンド席を年間契約していて、試合観戦も付き合わされた・・・。
⇒「ゲームルールを知らないまま」

当のわたしは、そんな事より1週間毎夜続く特撮ヒーローに熱中した。

「ミラーマン」「ファイヤーマン」「変身忍者 嵐」「超人バロム・ワン」「人造人間キカイダー」「帰ってきたウルトラマン」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」・・・・。

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雨で試合中止にならぬ限り、たいせつな「番組」達は放送延期になった。猛烈な「ブルー」である。ベースボール・シンドローム。
①野球の中継を「見ない」、観ても父親と一緒に「楽しめない」⇒「ゲームルールを知らないまま」
食事を食べ終わってもまだ試合中継は終わらない。終わる訳がナイ!

②東京・新宿から地下鉄で10数分の一大商店密集地に育ち、「ボール」なんぞを投げて遊ぶ場所に乏しい。
友達も少ない・・・・。

③周囲の友達は皆、「読売巨人」のファンで「YG」マークの野球帽を被った。わたしは「つきあい」で仕方なく欲しくもない
のに母親にねだって同じのを「被った」⇒「ゲームルールを知らないまま」

④周囲の友達は皆、ぼちぼちと野球グローブを買い始めた。わたしは「つきあい」で仕方なく欲しくもないの父親にねだって皮製のを「買った」⇒「ゲームルールを知らないまま」
⑤こうして「動体視力」を鍛錬する間もなく、体育の時間、担任のK先生が突然野球をしようと言い出した!
皆、飛び上がって喜んでいたが、わたしは「??????!」バッター打席に「立った」⇒「ゲームルールを知らないまま」

野球中継ではバッターがヒットした打球を目で追いながらバットを放り出して出塁していた、その光景を思い出し


「生まれて初めて立った打席」で1回目のスイング!振ったバットを後方へ「放り出してみせた」。


「アブネェナァ!!」


K先生が怒鳴った
わたしの「偽りの野球人生」が終わった瞬間である・・・・・・。
父はたまの休みにわたしをキャッチボールに誘うものの、あまりのコントロールとキャッチの「どヘタさ」に呆れていた。

これも「トラウマ」。

動いているモノの方向へ目で追いながら移動する、予測する、これが苦手な家系、であると思う。


4半世紀以上昔、母の兄は、某巨大新興宗教団体の信者輸送警備の最中、旧国鉄・富士宮駅で降り遅れた信徒の子供を降ろそうと、既に動き出した客車列車のドアなしのデッキ部分に飛び移り損ねてホームに落下し亡くなった・・・・。

そんな判断をせずとも、列車がアウシュビッツに向かっている訳でもあるまいに・・・・。
教団の会長はこの事故の様子を自著のベストセラー小説に「実名」で描き、死を「偶像化」してしまった。


「動体視力」、劣れば命すら落とすのだ・・・・・・・。

1985年(昭和60年)1月19日、多摩市一本杉公園野球場グラウンドにわたしはビデオ・エンジニアとして立って居た。
1966年(昭和41年)、この年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガース、阪急ブレーブス、東映フライヤーズ、読売ジャイアンツ、の4球団から1位指名を受けた男、「江夏 豊」氏引退の様子をテレビ朝日「テレビスクープ」で特集取材中だった・・・・。


1971年のオールスター戦9連続脱三振や史上59人目となるノーヒットノーラン達成など輝かしい記録を持つも、西武移籍後の監督への不信感や体調不良を理由にこの日の引退式となったのだ。
グラフィックス1江夏引退1
http://number.bunshun.jp/

当時のNumber誌編集部主催、名球会協力の下、「たったひとりの引退式」。引退式の挨拶で、メジャーリーグ挑戦の意志を表明し、詰め掛けたファンの歓声に答えた。

ピッチャ・マウンドで胴上げの際「動体視力」音痴のわたしは両の肩に100キロのVTRと照明機材を担いでいて身動きが鈍く、各社一斉に腰を落として屈む姿勢をとる中、わたしだけ瞬時に屈めずその晩の各局のスポーツニュースに無様な格好を晒していた・・・・。各局・・・・。
グラフィックス江夏引退2
世界中の放送局で採用されたSONY製VTR 死ぬほど重い!

大歓声の中、江夏氏はこの後スタンド外周を一周する・・・。
このVTRと予備のバッテリー予備のVTRテープ数本、カメラ用バッテリー、照明、照明用バッテリー、音声ミキサー、ガン・マイク・・・・。
どれもコレも皆初期のものなので重いコト重いコト・・・。
転んだら、一人で起き上がれない、てかカメラマンも太いケーブルで繋がっているので、一緒に転倒する!転倒したら、テレビ朝日の画像は無くなる!!

江夏氏がグラウンドを降り控え室に戻る瞬間、最後の一言を貰おうと綿密な打ち合わせ済みであったが、正規の野球場では無い「市民球場」至る所の造りが狭くこんなに大勢を受け入れる余裕は無い!
通路階段を登る江夏氏を真正面から捕らえ様としたわたしのカメラマンは江夏氏の後ろに追いやられ、カメラを構えるスペースすら無いまま滅茶苦茶になった。
グラフィックス江夏引退4
http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp8051

幸いインタビューそのものはテレビ朝日「こんにちは2時」や「トゥナイト」の他番組クルーの画像を借用し、音声のみわたしの録った「テレビスクープ」から提供し、オンエアを乗り切れた。



しかしながら・・・、わたしの野球嫌いに何等、変わりはナイ・・・・・・。



出来る事なら、もっと楽しめる人生に「変わりたい」。もう・・・、間に合わない・・・・・。



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故障中・・・。その2

この間、妻から暴行(?)を受けて肋骨を数ヶ所折ったばかりなのに、今度は猛烈な腰痛に襲われた!
数日前オシッコの色が「アレ、濃いな・・」と思った途端のコレである・・・・・。

「静脈石があります・・」CT画像を診ながら、総合病院の超美人の若い女医さんから、そう告げられた・・・・・。
みなさん、判りますか?歳はトリタクナイよぉ・・・。
アチコチ突然、ガタが来るのだ・・・・。

女性の方もご覧になるだろうけど、敢えて、ココはハバカラズに書くね。


年配男性ならドナタデモ覚えがあるだろうが、男性自身の勃起の角度、射精時の快感度、視力の衰え・・・、あと「歯」。これは思いがけず、何の前触れも無く「抜け落ちる」・・・・。コワイヨーーーーーーー!!

コレを読んで鼻で笑ってるそこのアナタ!数十年経ってごらん、思い知るんだから・・・、そん時、謝っても許してやんないよっ!てか誰もあたしになんか謝んないよねぇ・・・・。

若いときは若いときで、それなりに倒れました・・・・。肝機能低下と自律神経の失調が心臓にキチャッタ・・・。

グラフィックス故障その2の1
http://www.preservationsound.com/?p=1958

徹夜に次ぐ徹夜の超睡眠不足が,舞台本番当日朝,自分で設営した舞台用のアメリカ製・音声調整卓の「音がウンともスンとも言わない」状態に陥り、それが「キッカケ」でカラダがSOS!!


過呼吸となり、意識が遠くなり救急搬送・・・・。


東京・一ツ橋のホールで倒れて、搬送されたのは浅草橋の救急指定病院。


SONYの「WALK MAN」の初代が発売された頃で、「八神純子」をベッドで聴いてた・・・・。


一日中、ベッドで朝から日没まで点滴を打たれ、それで具合がどんどん「悪くなる」感じがした・・・。

ザ・ベスト・セレクションザ・ベスト・セレクション
(1996/11/21)
八神純子

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入院後、数週間もするとする事も無くなり、暇を持て余し、昼夜が逆転し・・・・・。
女性の方もご覧になるだろうけど、敢えて、ココはハバカラズに書くね。

10代~20代の「オトコ」ってただの「獣」のように、なにかにつけてやたら勃起してしまう。「アクビ」をしても、「カタイウンチ」をしても前立腺を刺激するから24時間「カラダが制御不可能クレイジー」。

そんなカラダで、入院生活・・・・。


懸命に「生きる」看護婦さんの尊厳を傷つけるつもりもないけど、点滴中の毛布のズレを直すのにあからさまにわざわざご自分の二の腕をわたしの下半身に載せてしまい、やり過ごす方もいらした・・・。

こちらも「スルー」してみせたけど・・・・。

「はやく、にんげんに、なりたい!!!」性的な「排泄」の機会が無い!
手元には「その手の行為」のネタ本が無いのだ!!

今のようにエロ雑誌が手軽に買えてしまうコンビニエンス・ストアや病室に持ち込めるインターネットなんて皆無の時代。
わたしは決死の冒険に出る!勝負だ!

曖昧な病棟の入出管理の隙をみて、パジャマ姿のまま浅草橋から地下鉄に乗り、神田・神保町あたりの古書店で「ポルノ雑誌」2冊を購入し(それも引出し奥に隠せるチーーサイ奴)、地下鉄に乗り何食わぬ「顔」で病室に戻ってみせた・・・・。


・・・・・大成功!なのだ!!

ココロ、ウキウキ、ワクワク夜の消灯時間を待った・。「はやくーーー、じかんよーー!すぅぎぃーろぉーー!」
運命の楽しみのお時間到来である!!ヤッホーーーィーー!!!!!!!!!!!!

久しぶりに、射精が出来る!!! ??????

満を持した至極の高揚感は、瞬時に「後悔」へと変わった、猛烈な動悸と、息切れと、恐怖に襲われた!!




「イカン・・・。オレは、病人だった・・・。ドキドキ・・ドキドキ・・・シ、シヌ、カモ・・・。」


やっぱり、わたしは「 バカおとこ 」なのだった・・・・・・。



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春・・・・。

だいぶ、朝、起きるのが楽になりましたねぇ・・・。

一杯楽しむために出掛けるのも「寒さ」に躊躇無く往ける・・・・。

テレビの仕事をしていた頃は、一杯どころで済ませる訳など無く、家に給料を差し入れるでも無く、大金の殆んどを飲食・遊興(ギャンブル以外)に充てた・・・。

六本木、西麻布、渋谷、表参道、、新宿、地元 阿佐ヶ谷・・・。一人か二人位で飲み歩くのが好きだった・・。

今より太っていて腹も相当に出ていた・・。自分でミオロシテ、「局部」が見えないホド・・・・。

カウンターがあって、絶品のツマミが在り、バーボンが置いてあって、素敵な「女性」の居る店を探して、飲んで歩いた・・・・。気に入れば、通い詰めてツマミを鱈腹頼み、お店を喜ばせる・・・・。

おばかの見本である・・・・。

グラフィックス春GW前六本木
http://www.pakutaso.com/pakutasopost-929.html

テレビ局のロゴ入りジャンパーを局内の購買で購入し、お気に入りのヒトにコッソリ渡す・・・。・・・飲む。
それで親しくなると、誰彼構わず電話(携帯電話なんて無い時代)して深夜、押し掛ける「ワルイ癖」があった・・・。
在る時、ある女性の家に強引に上がりこみイイキになったわたしは、後日、再び深夜に押し掛けた。ドアの前で「入れてくれ」「帰ってョ!!」のしばしの攻防の後、引下らぬわたしの様子を溜まりかねてその彼女はこう言った。「警察呼ぶわよ!!」

「・・・・・・・・。」

翌日・夕刻、猛烈な二日酔い・・。
お尻の辺りが「カピカピ」に乾いて妙にコワバッタ感を布団の中で覚えた・・・。


前夜の記憶が無い・・・・・。
パンツが乾いた汚物で汚れていた。


警察からの電話で目覚めた・・・。わたしの財布を新聞配達の方が拾って下さり届いているので、取りに来て欲しいとの事であった。そうか!財布も無かったのだ!
「 ?? 」
わたしは警察を呼ぶと言った彼女の家のドアの前で、ナント「うんこ」してその場を立ち去ったらしい。
おばかの見本である・・・・。

在る時、ある新入社員の家に深夜、電話して無理矢理泊めて貰った・・・・。

翌朝、出勤して自席に居る処へその彼女がつかつかとヤッテキテ、こう言った。

「波田野サンっ!わたし昨日わたしの家に泊まった事、誰かに喋ったら、わたし会社辞めるからねっ!!」ときっぱり、大声で告げられた・・・・。
そのとき、そのわたしの斜め目の前には上司の課長が居た・・・・。課長とわたしは数秒、見詰め合った・・・。

その女性は当時勤めていたキー局の系列局の重役のご令嬢であった・・・・。

最初は自分からわたしの膝に手をおいてキテ、飲みに往こうと誘った癖に・・・・。

グラフィックス春GW前渋谷
http://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp6042.html

何処でも寝込む癖も酷かった・・・・。
六本木で日比谷線に乗り、恵比寿で降りるつもりが東急の横浜まで行き、折り返してそのまま東武線の東武動物公園で目覚め、折り返して延々ふたたび東急の横浜に着き、終電となったり、東京・渋谷駅のロータリーで寝込んでしまったり、名古屋・丸の内の中央分離帯で目覚めたり・・・・。


ばかおとこは、何処でも寝るのだ・・・・。


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街頭指差確認!

GWの長い長い休みに入った・・。
やりたい事がヤマホドあるが、一向に進まない。

昔手掛けていた番組が、あまりに過去の事過ぎてネットで検索しても殆んど引っ掛からず、ご出演戴いた、タレントさんの出演作品歴の中に僅かに、かろうじてその名を留めている・・・。
何の記録も無い、片鱗も無い出演記録・・・。
お気の毒かな・・、とせめてもの過去のご恩返しと謝意を込めて「ソノ番組」のホームページを
・・・立ち上げるぜ・・。
wikiにもカキカケ項目として長期に亘り保留され、意味不明となっている・・・。
そこで、この連休を利用してホームページの立ち上げを目論んだが、コイツガナカナカ手強過ぎて、素人の手にはとても負えない状況で、目下赤信号の真っ最中!

昼間、近所のコンビニへ買い物に出掛けたとき、車道を渡ろうとして思わず「左右の安全の為の指差し確認」をつい、やってしまった・・・・。
我ながらこれには失笑した・・・。会社でやっている行為だが、「クセ」になってしまっている。
知らないヒトが見たら、スコシオカシイ人と思われるに違いない。
わたしの会社は日に10トン~20トンのトラックが百数十台乗り入れる処で物凄い台数のフォークリフトが一斉に走り回っており、建屋内を移動中は、この「指差し確認」が欠かせないのだ。

「指」といえば、わたしはあまり手の大きい方では無いので、ディレクターとしてテレビスタジオの副調整室に入った時は、かなりの長い間、「指」がイイ音で鳴らずに苦労した・・・・。
スタジオで行われる番組の段取り進行に併せて、観る人に代わって映像の視点つまり、テレビカメラを次々と切替えて構成する作業・・・。
グラフィックス副調整室内3
スイッチャーと呼ばれる映像調整卓をタイミング良く切替えるのはテクニカルディレクターの方のお仕事だが、この切替えの「合図」として「言葉のみの指示」より「指パッチン」を併用した方が、副調整室の中では「簡潔明瞭」でよろしいのだ・・・。

番組収録技術を請負う技術会社にもパターンがあり、あらかじめテクニカルディレクターさんと打ち合わせて同意の上、あらかたの切り替えを委ねてしまえる場合と、演出ディレクターの明快な指示が無いと善しとしない場合もあったりする。(最近のことは存知あげないが・・)
グラフィックス副調整室内2
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/x10000/x10700/x10720/IPA-tv220.htm
それにしても、「手」が大きければ明快で余韻の或るイイ「指音」がするのだが、わたしには叶わぬ事だった。
徹夜で構成台本をまとめたりする間、一晩中イイ「指音」をさせるため散々、練習した・・・・・。
指の皮が多少でも厚くなれば少しは「太目の」音がするかしらん?と思っていた・・・。

こんなこと、練習なんてフツーしないよナァ・・・・・。


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忌憚伝記①

き‐たん【忌憚】
[名](スル) 1 いみはばかること。きらいいやがること。「友達から―され軽蔑されるような人間」〈谷崎・異端者の悲しみ〉 2 遠慮すること。多く、否定の語を伴って用いられる。「どうぞ―のないご意見を」

あしかけ5年、学校法人河合塾の通信衛星を使用した授業番組を降板し当時、名古屋市内の高級マンションを引払い家内と共に埼玉県に移り住んだ・・・・・。
在名当時住居に隣接する栄・大須観音といった大繁華街で、間取りに合せて買い揃えた家具をそのまま東京へ持ち帰るつもりで家賃設定をしたら、東京23区内はおろか、都下の武蔵野でも手ごろな賃貸物件は皆無で、都心から隣接県へ繋がる鉄道の終点駅から車で30分、もしくはもうヒト駅支線に乗り換えの上徒歩10~30分往かないと、3LDKの新築物件はナシ・・・・・。東京と地方の家賃料の格差を噛み締めた。
グラフィックスウィッキーさん

で、転職。 東京・青山にあった「 C 」という日本テレビ放送のグループ会社。
昭和の方なら誰でもご記憶在るだろう徳光和夫氏の「ズームイン朝」で「おはよう英会話」等の生中継の担当をしていた。
自宅を出て徒歩30分、単線だった川越線で埼玉・大宮駅。列車遅延、痴漢多発、超殺人ラッシュ電車・埼京線で赤羽、池袋、新宿を越し渋谷駅、都バスに乗換え六本木通りを15分、バス停から更に徒歩10分・・・。片道2時間半・・。
グラフィックス埼京線

新幹線なら東京・名古屋間に匹敵する時間、往復人生5時間!・・・。
結婚生活をおくる以前は東京・杉並に生まれた時から住み新宿12分、地下鉄を乗り継ぐ生活がアタリマエの身には肉体的・精神的にあっという間に疲弊しだした・・・・。
青山界隈の勤めは、それなりに楽しかったが、六本木・テレビ朝日勤務時代との変化点は、やはり「所帯」を構えた事。
そして「テレビディレクター」から映像全般の「プロデューサー」職になった事・・・。
新規案件の営業、制作予算管理・折衝・・・・。始発で出勤し、最終電車で帰宅・・。独身ならその辺のホテルにでも泊まり、風俗嬢とデートでもしてしまえた・・・。
「結婚」したらそうはイカナイ・・・。「食事」を作って帰りをじっと待つ「人」が居てくれるのだ・・・・。最初から判って居た事なのに、徐々に重荷をわたしの背中が感じ始めた・・・。
グラフィックス青山の飲食
http://sozaing.com/category/photo/food/
在籍した部署の退職者も多かった。毎月、若いスタッフが辞めてゆく。ほぼ毎月開かれる短期間で退職する若者たちの「送別会」と称する飲み会・・・。青山界隈の飲食が安く手軽な金額で済む訳がナイ。この送別会費用だけで2万5千円。他に付き合いの飲食はいくらでも在る。借金も増えた・・・。

最終電車が大宮止まりで、仕方なくそこからタクシーを使おうにも、超長蛇の列・・・。仕方なく徒歩で一駅歩こうと歩き出すと、コレが都心のひと駅ドコロの距離ではナイ。
東京の駅と駅間は電車ホームの端に立つと、隣駅が肉眼で見えたりするが、ここでは1時間強歩いてやっと到着する・・・。
そして駅前の駐輪場には鍵が掛けられ(終電車後閉鎖する)2メートル以上ある鉄門をスーツ姿で乗り越え、他の通勤客と協力しながら自転車を暗闇から引き出し更に明朝の仕事に思いを馳せながらペダルを漕いで自宅へと向かう。
コウナルコトは気付く、気付いておくべきだった・・・。家の「間取り」と新築にこだわらず家具を処分してでも、実家のある都心に住まうべきであった・・・。

家内を「放置」しておくわけにも往かなくなった・・・。
グラフィックス青山通り
http://www.sothei.net/htm/photo/D60_a3392.htm

ある「 春 」、全てを放り出して、「 C 」社を辞めた。大変、ご迷惑をお掛けした・・・。この場を借りてお詫びしたい。
愛する家内にも・・・・。


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起きろ!クソ爺!!

残業続きで睡眠不足気味の日が続く・・・。定時ベースで帰宅出来た頃が懐かしく思えるから不思議だ。
さすがに、この歳で「寝坊遅刻」はシナクナッタ・・・。カラダがジジイなのだ。不規則に寝てもカラダが起きる時間を心得てシマッテいる・・・。
グラフィックス教室
http://www.sothei.net/
小学生の頃、学区域のハジっこで一番遠い距離に住んでいた事も手伝って、「遅刻常習犯」であった・・・。殆んど毎朝の全校朝礼に遅刻した。
アホだ。
一転して中学校は近所で1,2を争う近さ・・・。だが、それなりに「遅刻常習犯」であった・・・。

高校は電車・バスを乗り継ぎ一往、通えたが「遅刻気味」な朝は、何故か通学のバスに乗らずに、玉川上水沿いに隣駅目指して歩き、そのまま家に戻った事もあった。中学・高校当時は連日「踊り」の稽古があり殆んど毎夜、深夜の帰宅で疲れ果て、学生らしく「通学」どころでは無かったのだ。
一度、あまりに疲れたのだろう、「自慰行為」の事後、エロ雑誌を開いたまま下半身丸出しで寝ていたのを母親に目撃サレテシマッタ事もあった・・・。コレはイタイ・・・。気まずさ200%だった・・・。

高校2年の時、母親が38歳の若さで突然、亡くなってからは、家事をする事が必然的に増え、精神的にはかなり「疲弊」していたのも事実だ・・・。9歳も年下の妹の朝ごはんをどうしてあげていたのか、世話していたのか?記憶が無く今想い起こすと大変不憫で気の毒な気持で一杯だ・・・。

舞台出演が神戸の市民会館であり、東京駅・「銀の鈴」前の集合に遅れ、朝神戸に居なければイケナイのに、電話で起こされ、慌てて新幹線目指した事があった・・。

六本木のビデオ制作会社に勤め出した時、静岡・熱海へのロケ当日の朝集合の東京・恵比寿駅前に一番最初に行っていなければならないのに、上司のプロデューサーから電話で起こされ、出発が1時間遅れた事があった・・。

報道取材部勤務当時は、泊まり番が深夜出払った場合の昼ニュースの補完要員として、始発電車で出勤せねばならないのに、電話で起こされた事が4度ホド有ったと思う・・・。
グラフィックス教室2フライト
http://www.sothei.net/
家内との結婚の手続き申請の為、フィリピンに渡航する朝、成田のチェックイン時間に自宅の荷造り完了したスーツケースの間で目覚め、心臓を口から吐きながらタクシーを拾い、運転手に2万円渡し「お願いだからスグ、出発ロビーへ横付けしてくれ」と懇願し、映画のワンシーンの如くタクシーが空をかっ跳び、わたしヒトリの為にJALの出発を遅らせ、最後に搭乗した時の客席のご一同さんの「刺すようなイタイ視線」を今でも、思い出します、ハイ・・・。すみませんでした。

朝、起きた感じがした・・。目覚めた感覚は在った・・・。しかし、真っ暗。息はシテイル・・。
パニックに襲われた!!!「 死 」というモノをハジメテ意識した・・・・。
排泄するウンチにまだ母親の胎盤から感染した回虫がウジャウジャ居るような、生まれたばかりのビーグル犬の「クロ」クンが深夜私の顔や目を舐め回し、降り注がれた「ヨダレ」で猛烈な目ヤニが発生し凝固したのだ・・。
グラフィックス教室3朝焼け
http://www.sothei.net/
「若さ」と「自分でも予想外の深い、深い眠り」

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漫然、必然。

20数年前、クルマの運転を ”漫然 ”と要としたことがあった・・。
自分は必要なかったが、会社の上司に言われるがまま、ナントナク「テレビ朝日報道局」がハイヤー配車の提携先にしていた東京・目黒にあった「日の丸自動車」の教習所へ通った・・。

報道やら制作やら営業やら、こなしながらの時期とあまりにも「通学」行動自体が「クロスオーバー」してしまい、、自然と卒業予定と学科進度が噛み合わなくなってしまった・・。

東京・新宿都心から地下鉄で12分足らずの戦前から建つ家に住み、グーグルのストリートビューで観てもお解りいただけると思うが、一戸建ての家とてカーポートなんかありゃしない、青空駐車不可の超住宅密集地・・。


時は過ぎ、「クルマ」無くば、ヒトにあらず・・、のこの地方で、” 必要に駆られ ”この歳でクルマの免許を取得する破目になった・・・。

父親が若いときにナナハンで「自損事故」をし、大怪我を負い、その教訓から「乗らないで、済むなら、乗らないでくれ」などと吹き込まれていたので、長年、「ヒトにあらず」であった・・。

最短で卒業し、最短で本免許に合格し、最短で「自家用車」での通勤を「開始」する・・。

ここ10年程の人生のなかでも難関度BEST1に輝くミッションである・・。
ひょえーーーっ

一刻も速く取得したくても、肝心の学校に入校の「枠」が無ければ意味の無い話・・。

当初、近所の愛知・西尾方面の「合宿免許」出発に空き枠ありとの話で、合宿仲介業者とクレジット契約をし、決済を終了してしたのに、前々日になって先方の学校の教官・研修会開催の都合でオーバーブッキング状態となり、西尾の教習所側がキャンセルを通告して来たらしい・・。
今更、立ち往生は困ると頼み込んだら、出発の前日になって、静岡・浜松の「合宿」なら空きが「在る」という・・・。

カミサンを2週間以上、放置することに成るのだが、これも結構オオゴトである・・。


然しながら、ブーたれて、迷いあぐねる訳にも往かず、観念して「浜松」へと半月のあいだ、出向く事と相成った・・。
グラフィックス浜松アクト
名古屋のツインタワーも凄いがこの「アクトシティ・タワー」も充分凄い・・。

浜松中心部はは、都市のマクロ経済であるインフラ整備や、区画整理事業が行き届いておらず、繁華街の土地や建物の殆どが、個人地権者所有で、投資できる余地はかなり限定されている様だ・・。
名古屋市と静岡市に挟まれた地理的要因により、西武百貨店・丸井など関東勢は撤退、現在は駅前の遠鉄百貨店を残すのみである。

グラフィックス浜松市街

スズキやヤマハ、カワイ、ローランドといった大企業が本社を構え、製造品出荷額は2兆円を超えているのに、1本裏へ廻ると,道路はどこもかしこも狭小で、クシャクシャ・凸凹だ・・。

そんなデコボコ道やら極狭な道を駅から15分ほど往くと目指す学校はある・・。 

グラフィックス浜松BMW
自慢の教習車「BMW」。でか過ぎて左側の感覚を掴むのに苦労した・・。

http://www.sohgoh.co.jp/

グラフィックス浜松ロビー
教習期間中に「竣工」したピカピカの新校舎・・。夜の最期の授業を終えるとこんな感じ・・。
誰もいない・・。
グラフィックス浜松宿
14日間お世話に成ったホテル。夜の最期の授業を終え食事から戻るとこんな感じ・・。
夜10時をカンタンに廻る・・。
誰もいない・・・。
グラフィックス浜松日程表
通常ならば、数ヶ月を要する「運転免許」教習を、僅か2週間で修得させるのだ・・。
これは、冗談抜きでキツカッタのだ・・。アタマん中は標識と法規だらけになる・・。
空き時間全てで筆記試験の練習問題を解き、短期間で「学科試験合格」のコツを掴む。

聞けば、皆、不眠に悩まされ、日に日に、疲弊してゆくのがお互い解かるのだ・・。

ただ、疲れても飲食に不自由しなかった・・。
この学校の凄いのは食事に新たな出費が一切不要なコト・・。

朝食はホテルバイキング、昼は丁寧に調理された学食、夜はホテル周辺の十数件の提携飲食店で利用出来る、千円分のクーポンをホテル・フロントで毎晩支給と、万全の体制なのだ。
クルマを3時間運転し、3時間学科講習を聞き、3時間テスト・・、このスケジュールを消化していたらあっと言う間に3キロも体重が増えてしまった・・。

グラフィックス浜松タブレット
わざわざこの合宿の為に、lenovoのタブレットPCをアマゾンで購入した・・・。

縦列駐車等、運転技術の解説ムービーや、グーグルMAPの機能で卒業試験走行時のバイパスの右折状況の確認等、大変に役立った・・。イイ買物をした・・。

Lenovo IdeaPad Tablet A1 シリーズ 7.0型ワイドHD液晶 16GB カーボンブラック 2228-3EJLenovo IdeaPad Tablet A1 シリーズ 7.0型ワイドHD液晶 16GB カーボンブラック 2228-3EJ
(2011/11/09)
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グラフィックス浜松タクさん
関東地方からやって来た「タク」さん・・。この「旅」最高の出会いとなった・・。
本当に楽しいヒトで、「元気」をタクサン貰えた・・。聞けば母上は私と同い年ジョー談でしょう・・・。
この風格で20歳も年下だって・・・。


一生「取らずに死ぬ」と思っていた「運転免許」だが、こんなに老けてから教習したインパクトはかなり大きいなァ・・。
実に大勢の19、20の夢と希望に溢れる若者たちを観た。・・この頃に戻れたらなァ・・・。

その有象無象の若者を教える大勢の「教官」の姿を見た・・。大変な「お仕事」である・。

宿舎のホテルでは毎朝、6時半には、山のような量と内容の朝食で準備に追われる「スタッフ」の姿を観た・・。
大変な「お仕事」である・・。

カミサンは黙々と毎夜残業をこなし、一度浜松までわざわざ着替えを持って会いに来た・・・。



そんな中でわたしは、やはり”漫然 ”ただの「バカおとこ」で居た・・・・。

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心機一転・・、か・・。

みなさま、新年あけましておめでとうございました、ですね・・。遅ればせながら・・。

さして目出度くも無い誕生日に「異動」があり、必要に駆られ自動車運転免許を取得する顛末は既にお伝えした通り・・。
着々と工事の進むフィリピン共和国の我が家に帰って、工事の進捗を、この目で確めるべく帰省を予定していたものの、免許の合宿費用と車の購入費用でその全ての経費が、消えてしまった・・・。

それはさておき、結婚して19年・・・。
この歳で免許を取得したコトには、正直、感謝せねばなるまい・・・・。

何故ならば、結婚して19年にならんとする我が「妻」・・・・。
今の、今まで、記念撮影という「写真」で自然な「湧き出る笑顔」をすることは、あまり無かった・・。

だが、どうであろう・・。
正月からドライブに出掛け、カメラを向けた途端、会心の笑顔である
グラフィックス新年笑顔1
グラフィックス新年笑顔2
新年に「クルマ」の在る事を、このうえなく喜んでくれた・・・。
この事は、一生、忘れないだろう・・。
家内は言った・・。

「コトシ、フタリ、ヨクナルナ・・。」

海の向こうの我が「ファミリー」も、新年を迎え、今までにわたしが見たことの無い、やはり、会心の笑顔に輝いていた・・。
グラフィックス新年笑顔3
日本の元日にあたる夜、街のあちこちで中国製の花火や爆竹が炸裂し、「豚の丸焼き」をごちそうにするのがフィリピン流・・・。「赤いもの・丸い水玉模様のもの」を飾り、身に付けると1年幸せに過ごせるのだという・・・。

新しい、マイホーム建設が着々と進行中であり、一方では、母が苦労して育てた子らが、着実にその才能を、かの国で、続々と開花させ始め、名実共に、「豊かさ」を共有できる「時代」に突入出来たからに他ならない・・。


この満面の、幸せの「笑み」は、我が人生の誇りである・・・。
この家族と知り合って十数年、こんな「笑顔」の記念写真はわたしの記憶に無い・・。

ああ、神様・・。ありがとうございます・・・・・。


どうか、この家族を、お見守りください・・・。

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何処すわってんだ、バカ・・。

スカパーの無料放送キャンペーンが再び始まった・・。


一方でわたしは、今勤めているカイシャを暫時休業することにした・・。
理由について、言及することはここでは避けるが、「台本シナリオ」の設定が、「登場人物」のわたしも含めて、全て「チグハグ」だったのだ・・。去年の秋から・・。
棟梁の下で働くものが、金槌が必要な時に釘抜きを渡し、釘抜きが必要な時に、金槌を渡してしまい、またそれらを交互に使っていては、一向に作業の進まぬ様を「鎮具破具」という・・。


さて表題の件だが、昨秋のノースクランブルイベントに引き続き、ブランドキャラクターとして俳優の「堺 雅人」氏が起用されている・・。
気さくさを装って彼が腰掛けているのは、副調整室の心臓部「映像調整卓」である・・。
グラフィックススカパー第二弾
(テレビ画面より)
映像調整卓は特注品が多く、価格は軽く数千万してしまう・・。
特に最期のこのカット、全国のテレビスタジオ業務に携わるテクニカル・ディレクター諸氏は、大いに呆れているであろう・・。
「ざけんなっ!コノ野郎!!」「何処座ってんだっ!!」深く腰掛けすぎだ。
グラフィックススカパーすわるな
(テレビ画面より)
更に別テイクでは、素人が調整卓のスイッチに触ろうとするバージョンもある・・。
技術者の面々をサシオイテ、経営者気取りのスーツ姿でほくそえむ「堺 雅人」氏。この態度・・。
まったくもって、ナメタ演出である・・。


こんなのを今時の若いADが見て、チョット仕事に慣れた頃、真似するのだ・・。


40数年前、撮像機材の電子化・小型化に伴い、VTR製作の番組本数が増加し、放送局内のVTR編集室のみでは、仕事量がこなせなくなり、東京・赤坂や六本木、四谷、銀座界隈の貸しビルに多数の局外VTR編集室が、新規事業者として次々に参入した・・。

やがて「JPPA・日本ポストプロダクション協会」なる技術交流と親睦を目的にした団体が誕生する。
そうした貸しスタジオに、若いテレビディレクターがやってきて、「映像調整卓」に作業中、足を乗せて困るという苦情を協会の会報記事で読んだ記憶がある・・。

「驕り」そのものだ・・。

このCMの演出プランも「驕り」である。
「堺氏」へのセリフの言わせ方に、その「心理」が垣間見える。
「お金を払わなかったら、観れないものが、無料で10日間、観れるんでスヨ・・。」
こんな演出にOKを出す代理店サイドも、「相当のジレンマ」が鬱積しているのだろう・・。
ボタンを掛け違い始めている・・・。
依然、映画専門チャンネル・音楽専門チャンネルの供給事業者側の放送設備更新が、全く進展しておらず、標準画質のままである。
「品質」の低いものを「タダでみせてやるヨ、ミタナインカィ」もはや誠実さの欠片もナイ・・。
・・・・・・これではタチノ悪いセールスである

※関連記事が10月6日付けのブログにあります。是非、ご覧下さい!
批判しておいてなんだが、そうした中、最高の掘り出し物がコレ!
グラフィックスサタデーナイトライブ1
CSフジテレビNEXT サタデーナイトライブ JPN
「アメリカの国民的ライブショーの日本版!「笑い」「音楽」を軸にゴージャスでプレミアな放送をお届け!」
http://www.fujitv.co.jp/snl/index.html

サタデー・ナイト・ライブ ベスト・オブ・ダン・エイクロイド [DVD]サタデー・ナイト・ライブ ベスト・オブ・ダン・エイクロイド [DVD]
(2007/12/05)
ダン・エイクロイド、TVバラエティ 他

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アメリカでもっとも歴史と権威あるバラエティ・ショウで在り、日本でも一部30年ほど前にテレビ東京かCSチャンネルNecoで深夜に放映を観た記憶がある。
番組タイトルの後ろにJPNと付いているのは、驚いたコトに「吉本興業」が本家との間で日本版製作の提携契約を結び、其の為の運営会社を立ち上げた事・・。
グラフィックスサタデーナイトライブ2
http://ynn.jp/feature/snl_jpn
月1回の生放送は「さんま」氏の、年齢を感じさせない力量と構成作家のワザで、VTR編集や効果に依存せず、本当に素晴らしい出来栄えである・・。

本家に負けず、音楽ゲストのパフォーマンスはフジテレビ撮像部の抜群のセンスが光輝き、コント舞台での絡みも秀逸である・・。

コントの繋ぎが、舞台暗転や中割幕により進行されるのも素敵だ。
最新の放送回で「さんま」氏自身が、「オレ、知り合いに聞いたら2人しかこの番組の事知らんカッタ・・」とボヤイテイタのが笑わせる。さすがCSである。

一方のこちらは数字的にも「惨敗」」のTBS。
「日曜ゴールデンで何やってんだテレビ」
グラフィックスたけしたかあき
加齢に加えて、ご本人が面白がれば面白がる程「滑舌の悪さ」に歯止めの無い「たけし」氏、高額な予算で一夜限りの被り物を被り、ピコピコハンマーを持たないと、テレビスタジオでの居場所が無くなるのは寂しい限りである・・。もはや「華」が無いのだ。
石橋貴明氏は、いわずもがな、もはや「ピン」では無理である。


今のお若い方はご存知ないであろう、久々の「コント赤信号」諸氏。
先日、日曜よるの老舗「笑点」(AX)への驚きの登場である。
グラフィックスコント赤信号
(テレビ画面より)
やはり、常に舞台を踏み研鑽されている方々の芸は、何時までもエネルギッシュでスゴイ!


だいぶ前の製作で存じあげなかったが、先日、再放送をBSフジで拝見した・・。
HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜「筒美京平」2005年1月1日放送
グラフィックス筒美京平1
(テレビ画面より)

およそ40年以上にも及ぶ専業作家人生は、昭和の日本音楽史に燦然と輝く・・。
メディアへの「露出」を極端に嫌い、長い間人前にその姿を現さなかった「巨人」へのインタビュー・証言で綴る長編ドキュメンタリー・・。番組はこの年の民放連・最優秀賞を受賞した。

筒美京平の世界 [増補新訂版] 作曲家・筒美京平データブック 1966-2011 (P-Vine Books)筒美京平の世界 [増補新訂版] 作曲家・筒美京平データブック 1966-2011 (P-Vine Books)
(2011/11/18)
森光厚夫、高浪高彰 他

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今から20数年前、わたしは東京・銀座の外れにあった筒美京平氏の田舎の従兄弟と称するY社長の居る映像製作会社に制作課長として在籍していた・・。「バブル経済」真っ盛りで、当時、Y社長は口癖のように言っていた。
「銀行がカネ借りてくれ、借りてくれって煩いんだよ・・。」
当時時期的に、わたしが何の仕事をしていたか、正確には思い出せないがオフィス・ビルの自分のデスクで作業中、不意に電話を受けた・・。


「あのう、ヤマシタですけどォー・・・、Yサン居ますゥ???・・。」

「ハイ、少々お待ち下さい・・。」上階に居る社長室に内線し転送した・・。


程なく、Y社長は上機嫌で階下のわたしの席にやってきてこう言った・・。

「イヤー、タツローから電話でさァ・・。謝ってきたよ・・・。」

わたしは全然、話が見えず戸惑ってみせた。


「昨日のサ、コンサートをサ、中止して申し訳ないと・・。」

ココまで聞いて、状況を理解した、スポーツ誌の何処もがコンサートのドタキャンを大批判していた。

Sound & Recording Magazine (サウンド アンド レコーディング マガジン) 2005年 10月号 表紙:山下達郎、7年ぶりの新作はPro Toolsの特性に合わせて作られた異色作かつ意欲作!Sound & Recording Magazine (サウンド アンド レコーディング マガジン) 2005年 10月号 表紙:山下達郎、7年ぶりの新作はPro Toolsの特性に合わせて作られた異色作かつ意欲作!
(2005)
サウンド アンド レコーディング マガジン編集部

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RIDE ON TIME (ライド・オン・タイム)RIDE ON TIME (ライド・オン・タイム)
(2002/02/14)
山下達郎

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たまげた事にわたしは当の「山下達郎」氏の電話を時下に受けていたのだ
「・・・シャチョー、スゲー・・。」




これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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