ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!





NHK・日本民間放送連盟、官民挙げての総力取材戦・・・。
「ジャパン・コンソーシアム」。緻密に「機能」しています。携わるみなさま、本当にご苦労様です・・。


http://getset.london2012.com/en/the-games/about-london-2012/the-london-2012-venues/international-broadcast-centre-and-main-press-centre
開催の度驚かされるのが「放送権料」の高騰・・・。
円建てレートで325億円



コレ、NHKと民放連の合同「御愛想」料金。
「国際オリンピック委員会」から「幹事さん」に指名されているのが、世界最大の広告代理店「電通」。
「契約書」だけ作成して、シコタマ「正規に抜いてる」。10ケタ位平気で「ヌイチャウ」のだ。

だーれも「文句」ナンカ言えない・・・。


若い頃、よく通いました・・・。
あまりの高額な契約に、今後脱落会社の出る可能性を示唆する民放経営者も居る・・・。
苦肉の策で「民放連」が企画したのが、コレ。


地上波・BSで放送しない競技限定で、生中継を行う。NHKは約1000時間、民放連は150時間配信。


みなさんの観る競技映像はここから「配信」されてます。
http://www.obs.es/index.html




http://www.obs.es/index.html
過去に、日本でも、放送専門学校が「充実した現場研修!」、「躍動する中継!」と入学案内パンフレットに豊富なテレビ中継現場写真を掲載して、盛んに勧誘してたコトがあった・・・。
実態は、ローカルネットの深夜帯の非常にチープな低予算の番組に「技術協力」の名目で「学校名」を番組エンドのスタッフロールに「挿入」させ、交換条件として、中継収録の補助作業(雑用)を「学生」たちに「無償」で「ヤラセル」」仕組み・・・。

「 OBS 」のホームページを観たらこの「ロンドン・オリンピック」の現場でも補助要員の「学生」を大量に募集・採用しているようだ・・・。
「正規雇用」の経験者・プロの作業者を雇用するよりも、安価に済む筈である・・・。
「世界中で抜きまくり」の連鎖・・・。
昔、わたしが30歳過ぎた頃に、「電通」のローカルラジオ・テレビ局の「参事」の「Nさん」とお仕事をご一緒させて戴いたコトがある・・。
「電通・N参事」じきじきのテレビ番組制作の依頼が、おつきあいの在った番組制作会社社長を通じて持ち込まれた・・・。
当時、バブル景気の真っ只中にあり、何処の会社も「仕事」は山のように有っても「ヒト」が全く「揃わない」状況にあった・・・。
「仕事」を振りたくても「受けられる会社」の皆無な窮状を察し、「どうせ、1クール(3ヶ月)で終了するだろう・・。」、と軽い考えの二つ返事で引き受けたのが大間違い


詳細は後日とさせて頂くが、大変な思いをスル事になるのだ・・・・。
「銀座」方面もご一緒したり、ご多用の中、度々、製作指揮に当たるわたしの番組をご覧になっては、「いつも、本当に、悪いねェ・・。」と、生放送の終了した翌日、ご丁寧なお電話を頂戴して、大変恐縮していた・・。

http://lovefreephoto.blog110.fc2.com/blog-entry-1566.html
何故、そんなにお気使い戴いたかと言えば、「製作予算」の大半を「社外費」として運用せねば「番組枠」の見栄が立たず、わたしの会社への「社内留保」が無い、つまり「赤字」運営だったのだ・・・。
「番組企画」の当事者が「電通のN参事」であるが故、「おつきあい上」、「質」を下げられなかったのだ・・・。
わたしの居た会社は皆、その「番組」の「先の未来」に期待をして・・・・。

4クール目の「番組製作延長」のお話が来た時、あまりの過酷・過剰な



「N参事」にも体力的・精神的に限界であり、続投の意志ナシと、お告げした・・。
自分が抜けてしまえば、「番組製作」自体、ご破算なのだ・・。
アトに続く人材が居ないのだ・・。
止む無く番組は出演者を総入れ替えして、「番組名」のみ引継ぎ「新装開店」したが、半年続かなかった・・。
・・・それから毎年、毎年、「N参事」から「お歳暮」を自宅に戴くことになるのだ・・・。
お付き合いも「切れた」のに・・・、延々毎年・・・。
年下の「チンケなアホの若造ディレクター」に「電通参事」じきじきに・・・。



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ロンドン五輪の「女子マラソン」中継放送の日曜の朝、日本の女子陸上マラソンの先駆者・パイオニアが「素晴らしい対談」をしてた・・。
日本を代表するロス五輪の「増田明美」さん。バルセロナ・アトランタ五輪の「有森裕子」さん。アテナ五輪の「野口みずき」さん・・・。
感慨深いのは「増田明美」「有森裕子」両氏のさまざまな自らの「過去史」をそれぞれが、「どう乗り越えたのか」「自分の言葉」で「人前」で素直に、語れるくだり。
わたしの「ブログ」では、まだまだそこまでは「到達」し得ないけれど、お二人のお話は「人」としての「経験・成長」の幅の拡がりを充分に垣間見せた・・・・。

「ボクらの時代(CX)」テレビ画面より
「資生堂」が「東京国際女子マラソン」を主催し始めた頃、テレビ朝日報道局在籍当時に「増田明美」さんを取材した事がある・・・。

http://komekami.sakura.ne.jp/archives/3259
スタート地点の東京・代々木の国立競技場で彼女の姿を押さえ、マラソン用に閉鎖された国道の反対側車線を、時速100キロで走行し品川駅を過ぎ、平和島近辺の折り返し地点で折り返す姿を待ち受け収録し、ゴール後、インタビュー・・。(この頃の彼女はこんなに目がパッチリ二重では無かったんだがなァ・・・)
続く日曜の朝、目下、旅行業界首位を走る「エイチ・アイ・エス」社長・澤田秀雄氏がこの番組2度目の登場。

「がっちりマンデー(TBS)」ホームページ画面より
ひさしぶりに拝見したが、相変わらず、ロケ取材の「カメラ」が酷い、酷過ぎ・・。

http://www.yokaphoto.net/yoka70/210307b/06780.html
「エイチ・アイ・エス」社長・澤田秀雄氏が再生支援している長崎県のリゾート「ハウステンボス」での追跡取材。
「電動カート」で移動しながら、社員スタッフに場内の掲示・展示・レイアウト、細部のカイゼン指示をこなす模様を収録しているが、コノ、「カメラワーク」が滅茶苦茶・・・。
「手ブレ」「ピンボケ」「前ピン」のオンパレード


「局プロデューサー」は何故こんな「編集」をOKするのだろう

素人でも使用しない「フォーカス」の合せられなかったボケボケ・カットを平気でツナイデイル・・・。
大丈夫か
(撮影)技術会社「ヌーベル・ヴァーグ」・・・。
この会社、もともとの前身は「クリエィティブ・フォース」なる「日本テレビ放送網」系列の「ズームイン朝」や「24時間テレビ」等こなす技術会社で、営業職の方には、わたしと家内の結婚披露パーティーにもお越し戴いている・・・。
この酷い「手ブレ」番組で思い出したのが「田舎に泊まろう(TX)」

(画像の放送回と「手ブレ」は関係ありません)
撮影のセオリーには素人の、「お若い演出ディレクター」も、レンタル価格の安い、サブカメラを持つのか知らんが、放送当時、「手ブレ」「ピンボケ」のオンパレード
こちらの収録技術会社も同様に「ヌーベル・ヴァーグ」・・・。

以前にもこのブログで触れたが、小型軽量で高画質、調整箇所が少なく、素人でも持てる安価な機材で、この手合いの「 被写体を前段取り無く追いかける番組を、カメラマン以外の素人に持たせ構成 」すると「番組仕上げ工程」で「強い編集権限」を持つディレクターが「グシャグシャ」な「手ブレ画像」を平気で「安易に編集」してオンエアしてしまう風潮がある・・・。
自分の廻した「画」は問題無い・・・。技術会社のプロのカメラマンの「画」と遜色ナイ
これギョーカイのカンチガイ

本来なら、「削除・切り捨てるべき」「手ブレ場面」を・・・・。
安い機材費で、技術と制作が現場でナアナアでやっていると、ロケ画像は「最近流」の「テキトー番組」になるのだ・・・。
地デジ化前のブラウン管画面ならいざ知らず、大型液晶で観るのにはとても適さない「映像づくり」・・。
値切られて、安い値段で請負うのもホドホドにしないと、わたしなんか、「ギョーカイ」から「遠い・疎い」身には、みなさんが「ソンナカイシャ」に、見えてしまうぜよ
「ヌーベル・ヴァーグ」のみなさん
、「がっちりマンデー」スタジオ技術会社の「東通」の年輩カメラマンや、往年のテレビ製作会社「テレビマンユニオン」のオジサン達に「陰」で笑われてるぜ、たぶん



日本を代表するロス五輪の「増田明美」さん。バルセロナ・アトランタ五輪の「有森裕子」さん。アテナ五輪の「野口みずき」さん・・・。
感慨深いのは「増田明美」「有森裕子」両氏のさまざまな自らの「過去史」をそれぞれが、「どう乗り越えたのか」「自分の言葉」で「人前」で素直に、語れるくだり。
わたしの「ブログ」では、まだまだそこまでは「到達」し得ないけれど、お二人のお話は「人」としての「経験・成長」の幅の拡がりを充分に垣間見せた・・・・。

「ボクらの時代(CX)」テレビ画面より
「資生堂」が「東京国際女子マラソン」を主催し始めた頃、テレビ朝日報道局在籍当時に「増田明美」さんを取材した事がある・・・。

http://komekami.sakura.ne.jp/archives/3259
スタート地点の東京・代々木の国立競技場で彼女の姿を押さえ、マラソン用に閉鎖された国道の反対側車線を、時速100キロで走行し品川駅を過ぎ、平和島近辺の折り返し地点で折り返す姿を待ち受け収録し、ゴール後、インタビュー・・。(この頃の彼女はこんなに目がパッチリ二重では無かったんだがなァ・・・)

続く日曜の朝、目下、旅行業界首位を走る「エイチ・アイ・エス」社長・澤田秀雄氏がこの番組2度目の登場。

「がっちりマンデー(TBS)」ホームページ画面より
ひさしぶりに拝見したが、相変わらず、ロケ取材の「カメラ」が酷い、酷過ぎ・・。


http://www.yokaphoto.net/yoka70/210307b/06780.html
「エイチ・アイ・エス」社長・澤田秀雄氏が再生支援している長崎県のリゾート「ハウステンボス」での追跡取材。
「電動カート」で移動しながら、社員スタッフに場内の掲示・展示・レイアウト、細部のカイゼン指示をこなす模様を収録しているが、コノ、「カメラワーク」が滅茶苦茶・・・。

「手ブレ」「ピンボケ」「前ピン」のオンパレード



「局プロデューサー」は何故こんな「編集」をOKするのだろう


素人でも使用しない「フォーカス」の合せられなかったボケボケ・カットを平気でツナイデイル・・・。
大丈夫か

この会社、もともとの前身は「クリエィティブ・フォース」なる「日本テレビ放送網」系列の「ズームイン朝」や「24時間テレビ」等こなす技術会社で、営業職の方には、わたしと家内の結婚披露パーティーにもお越し戴いている・・・。


(画像の放送回と「手ブレ」は関係ありません)
撮影のセオリーには素人の、「お若い演出ディレクター」も、レンタル価格の安い、サブカメラを持つのか知らんが、放送当時、「手ブレ」「ピンボケ」のオンパレード

こちらの収録技術会社も同様に「ヌーベル・ヴァーグ」・・・。


以前にもこのブログで触れたが、小型軽量で高画質、調整箇所が少なく、素人でも持てる安価な機材で、この手合いの「 被写体を前段取り無く追いかける番組を、カメラマン以外の素人に持たせ構成 」すると「番組仕上げ工程」で「強い編集権限」を持つディレクターが「グシャグシャ」な「手ブレ画像」を平気で「安易に編集」してオンエアしてしまう風潮がある・・・。
自分の廻した「画」は問題無い・・・。技術会社のプロのカメラマンの「画」と遜色ナイ

これギョーカイのカンチガイ


本来なら、「削除・切り捨てるべき」「手ブレ場面」を・・・・。
安い機材費で、技術と制作が現場でナアナアでやっていると、ロケ画像は「最近流」の「テキトー番組」になるのだ・・・。
地デジ化前のブラウン管画面ならいざ知らず、大型液晶で観るのにはとても適さない「映像づくり」・・。
値切られて、安い値段で請負うのもホドホドにしないと、わたしなんか、「ギョーカイ」から「遠い・疎い」身には、みなさんが「ソンナカイシャ」に、見えてしまうぜよ

「ヌーベル・ヴァーグ」のみなさん






暑い夏の、我が夏休みが始まった・・・。
「ショート丈」の靴下が大変、快適な事を最近になって知った・・・。
ソレまでは頑なに、フツーのハイソックスを履き続けていた・・・。
仕事現場でショート丈」の靴下を愛用している「若い人」を見掛けると、「ナンテ馬鹿げたデザインだ・・。」
そう想っていた・・・。
プロフィールにも書いているように、子供の頃、日本舞踊を習っていた。「習う」というより、亡くなった母親の「強い信仰心」が縁で「引き合わされた格好」だった。
日本有数の「新興宗教」の会長が、わたしの母の「兄の死」を偶像化し、教団の半世紀史を綴ったベストセラー「私小説」の中で、実名で登場させた・・・。
その教団の信者に、京都の「鴨川をどり」や大阪エキスポ「お祭り広場」、黒澤映画の振付等を歴任された先生が居らした・・・・。

「畑 道代」先生(故人)
http://www.cinematoday.jp/page/N0026556
「信仰心」に根ざした活動展開は、世襲制で封建的・閉鎖的な日本の「古典舞踊界」に広く一般から募集した子供を投入し、「一流の芸術家」として育成しその成果を世に「問う」試みであった・・・。
あくまで「信仰ベース」で・・・・。
「小説」掲載を期に、まるで申し子のように、その先生の処へ連れて逝かれた・・。
しかしながら当時のわたしはといえば、このブログでも触れたとおり、1日12時間以上、平気でテレビを観続ける、通信簿には「1」と「2」と「3」+「4」がひとつだけの、勉強の苦手な「背の低い」コンプレックス児童。
更にはこのブログに書いたが「動体視力」の神経センサーが、並外れて「劣る」ので、子供ながらに「向いてなさそう」なのは、「やる前から」オボロゲながら判然していた。
本人の躊躇を他所に、両親、踊りの先生の「思惑は一致」し、多少の好奇心で「踊り」を習い始める・・。

http://komekami.sakura.ne.jp/archives/2430/p1030614
京都の「南座」、大阪「フェスティバルホール」、九州、東北、関東・・、あまねく国内を網羅された、「新興宗教団体」直轄の日本最大の「音楽鑑賞団体」(当時)の招聘により、一流のスタッフを揃え、学校に「欠席届け」を提出し、巡業したりもした。
巡業の途中で、自前の「足袋」が汚れ、宿泊するホテルでの洗濯が必要であった・・。
洗ったは良いものの一晩で乾くわけも無く、生乾きで「舞台」に立った・・・。
当然、微量の水分を含むので、アチコチの市民会館、文化ホールの楽屋や舞台裏を「足袋」で掃除して「歩く」コトになる・・・。
子供ながら、「うんざり」である。
この「うんざり」は、わたしが高校2年生の秋、母が急逝したコトで「加速」する・・・。
家族の食事・洗濯すべてが、自分に降り懸かる。連日連夜の「お稽古」に履く「足袋」が回らなくなるのだ・・・。
9歳年下の「妹」の面倒を見ながら、高校に通い、深夜帰宅後「足袋」の洗濯に追われるコトが「大きな負担」になった・・。
身長161cm「背が低く」、振付が2,3回では全く、少しもアタマに入らない「動体視力」センス。
自分の不甲斐無さにスベテが嫌になった・・・。
遠からず、「ショート丈の靴下」を「敵視」した心理の由来は、この辺に或るようだ・・・。バかまるだし。

後列中央がわたし。
ちなみに、故「畑 道代」先生の数十年前の「ご構想」は見事に「開花」され「大成功」を収めておられる・・。
心から、ご冥福をお祈りいたします・・・・。
http://kikunokai.co.jp/
「ショート丈」の靴下が大変、快適な事を最近になって知った・・・。
ソレまでは頑なに、フツーのハイソックスを履き続けていた・・・。
仕事現場でショート丈」の靴下を愛用している「若い人」を見掛けると、「ナンテ馬鹿げたデザインだ・・。」
そう想っていた・・・。
プロフィールにも書いているように、子供の頃、日本舞踊を習っていた。「習う」というより、亡くなった母親の「強い信仰心」が縁で「引き合わされた格好」だった。
日本有数の「新興宗教」の会長が、わたしの母の「兄の死」を偶像化し、教団の半世紀史を綴ったベストセラー「私小説」の中で、実名で登場させた・・・。
その教団の信者に、京都の「鴨川をどり」や大阪エキスポ「お祭り広場」、黒澤映画の振付等を歴任された先生が居らした・・・・。


http://www.cinematoday.jp/page/N0026556
「信仰心」に根ざした活動展開は、世襲制で封建的・閉鎖的な日本の「古典舞踊界」に広く一般から募集した子供を投入し、「一流の芸術家」として育成しその成果を世に「問う」試みであった・・・。
あくまで「信仰ベース」で・・・・。
「小説」掲載を期に、まるで申し子のように、その先生の処へ連れて逝かれた・・。
しかしながら当時のわたしはといえば、このブログでも触れたとおり、1日12時間以上、平気でテレビを観続ける、通信簿には「1」と「2」と「3」+「4」がひとつだけの、勉強の苦手な「背の低い」コンプレックス児童。
更にはこのブログに書いたが「動体視力」の神経センサーが、並外れて「劣る」ので、子供ながらに「向いてなさそう」なのは、「やる前から」オボロゲながら判然していた。
本人の躊躇を他所に、両親、踊りの先生の「思惑は一致」し、多少の好奇心で「踊り」を習い始める・・。

http://komekami.sakura.ne.jp/archives/2430/p1030614
京都の「南座」、大阪「フェスティバルホール」、九州、東北、関東・・、あまねく国内を網羅された、「新興宗教団体」直轄の日本最大の「音楽鑑賞団体」(当時)の招聘により、一流のスタッフを揃え、学校に「欠席届け」を提出し、巡業したりもした。
巡業の途中で、自前の「足袋」が汚れ、宿泊するホテルでの洗濯が必要であった・・。
洗ったは良いものの一晩で乾くわけも無く、生乾きで「舞台」に立った・・・。
当然、微量の水分を含むので、アチコチの市民会館、文化ホールの楽屋や舞台裏を「足袋」で掃除して「歩く」コトになる・・・。
子供ながら、「うんざり」である。

この「うんざり」は、わたしが高校2年生の秋、母が急逝したコトで「加速」する・・・。
家族の食事・洗濯すべてが、自分に降り懸かる。連日連夜の「お稽古」に履く「足袋」が回らなくなるのだ・・・。
9歳年下の「妹」の面倒を見ながら、高校に通い、深夜帰宅後「足袋」の洗濯に追われるコトが「大きな負担」になった・・。
身長161cm「背が低く」、振付が2,3回では全く、少しもアタマに入らない「動体視力」センス。
自分の不甲斐無さにスベテが嫌になった・・・。
遠からず、「ショート丈の靴下」を「敵視」した心理の由来は、この辺に或るようだ・・・。バかまるだし。


ちなみに、故「畑 道代」先生の数十年前の「ご構想」は見事に「開花」され「大成功」を収めておられる・・。
心から、ご冥福をお祈りいたします・・・・。
http://kikunokai.co.jp/
長い夏休みに入った・・・。
我が家は「共働き」なので、残業して買物し帰宅すると家内には夕食の支度が待っており、大変だ・・。
そこへ、わたしが後追いで残業して帰宅すると、夜の10時にふたりで晩御飯となる・・・。
チョットうんざりだ・・・。
家内の実家は、ちいさな食堂を商っており、其のせいか料理は得意である・・・。
フィリピン料理はもとより、


煮物、煮魚、茶碗蒸し、南瓜の煮つけ、日本料理も「お手のもの」だ。
結婚して15年が経つが、未だに「焼き物」「揚げ物」の類いは、必ず「カエルマエニ、メール、チョウダイ!」と「頑なな掟」があり、「出来立て」を惜しまず、作る・・・。

いまやわたしより、上手にだしをいれ「コクのある」味噌汁をつくります・・。(味はスベテ関東風)
オイシイものをオイシク食べる・・・。
「いただく身分」で贅沢は言えないが、この「掟」が、長きに渡り「破綻」しないのは「 O型 」の所為か・・。
いずれにしても、こう長い間続けられては、アタマがさがる・・・。
で、夏休み中はそうした「食事」の支度から、さすがに「開放」されたいらしく、朝食も3日連続で「マック・モーニング」と相成った・・・。
家内は「ツナマフィン」わたしは「ホットドッグ」・・・。
マックのソーセージの「プリッ」とした感触がたまらない・・。

http://www.publicdomainpictures.net/top-images.php
1971年(昭和46年)「フレンチ・コネクション」(原題 The French Connection)はニューヨーク州の麻薬捜査を描いた、アカデミー賞5部門に輝くアメリカ映画。

(画面左 ジーン・ハックマン、右は相棒役のロイ・シャイダー)
1971年(昭和46年)「ダーティハリー」(原題 Dirty Harry)こちらはサンフランシスコを舞台に連続殺人犯を追うアメリカ映画。
後にこの映画公開の影響を受け、ダーティハリー症候群(Dirty Harry syndrome)なる「犯人逮捕時の射殺の正当化傾向」に、全米の現職警官が苛まれるコトに・・・。

(画面は クリント・イーストウッド)
当時、中学生だったわたしは、「描かれた彼ら」の傍若無人な捜査過程の僅かな合間に
「ソフトクリーム」や「ホットドッグ」を「ムシャムシャやる姿」にやたら憧れた・・・。
しびれちゃったのだ・・・。
いつか、いつの日か判らないけれど、本場(?)で食べてみたい
全米で上記2作品が封切られた同じ年、「マクドナルド・ハンバーガー」第一号店が日本に上陸・・。
わざわざ、銀座まで地下鉄で「食べに」行った記憶がある・・・。
この時代の
「ビッグマック」は蓋をしたどんぶりの様に「デカく」「マックシェイク」も「シネコン」にある「キャラメルポップコーン」の容器のように高く、太く、
「ポテト」は魚肉ソーセージ並みの厚切りであった・・。
「一度、アメリカでホットドッグを、映画の捜査官達のように立ち食いしてみたい・・。」

http://www.lasvegasconcierge.us/free_photos_5.html
20数年後、アメリカ・ラスベガスに「研修」で出掛けた時、「夢」が叶った・・・。
映画会社「MGM」の経営するホテルに宿泊し、夜はあらゆる「ショー」を観に出掛ける以外は終日の自由行動。
ホテルとホテルを繋ぐ回廊の途中に、「夢」のホットドッグスタンドはあった・・。

http://pro.foto.ne.jp/free/product_info.php/cPath/21_28_80/products_id/518
2度、3度スタンドの前を行きつ戻りつ、売り子のオンナノコに声を掛け、食べた・・・。
まずい・・・。
パンも肝心のソーセージもフニャフニャ。
ニホンではとても売り物にならない。
これ以上、不味いものを「形容」しても(ていうか気力がナイ)・・なので割愛させていただく。
数十年前、東京・渋谷のJR千駄ヶ谷駅前や体育館脇、代々木公園界隈で見かけた「その筋」の方の「魚肉ソーセージ製ドッグ」の移動販売の方が、何倍も旨いぜェ

この小さな車の後部にオーブントースターを積んで、車内には裸電球を吊るしてた。

「ラスベガス」に出掛けたその時点では、既にパリパリ・ジューシーな「日本ハム・シャウエッセン」(1985年 昭和60年)の味を知っていたので、ナンでこんなモノに何十年も「憧れて」いたのか、自分に腹が立った。
「ジーン・ハックマン」や「クリント・イーストウッド」の頬張る演技にまんまと騙された・・・。
勝手に、「オイシイに違いない」と思い込んでいた訳だ。
世界中から観光客の集まるロスやワシントン、ニューヨークでも、こんな程度のモノなんだろうか?
後日談とさせていただくが、エジプトの「ルクソール」で「5つ星」のホテルでの
食事でも、同様の経験をした・・。
欧米人の「味覚」を疑いたい・・。

我が家は「共働き」なので、残業して買物し帰宅すると家内には夕食の支度が待っており、大変だ・・。
そこへ、わたしが後追いで残業して帰宅すると、夜の10時にふたりで晩御飯となる・・・。
チョットうんざりだ・・・。
家内の実家は、ちいさな食堂を商っており、其のせいか料理は得意である・・・。
フィリピン料理はもとより、




結婚して15年が経つが、未だに「焼き物」「揚げ物」の類いは、必ず「カエルマエニ、メール、チョウダイ!」と「頑なな掟」があり、「出来立て」を惜しまず、作る・・・。


オイシイものをオイシク食べる・・・。
「いただく身分」で贅沢は言えないが、この「掟」が、長きに渡り「破綻」しないのは「 O型 」の所為か・・。
いずれにしても、こう長い間続けられては、アタマがさがる・・・。

で、夏休み中はそうした「食事」の支度から、さすがに「開放」されたいらしく、朝食も3日連続で「マック・モーニング」と相成った・・・。
家内は「ツナマフィン」わたしは「ホットドッグ」・・・。
マックのソーセージの「プリッ」とした感触がたまらない・・。

http://www.publicdomainpictures.net/top-images.php


(画面左 ジーン・ハックマン、右は相棒役のロイ・シャイダー)

後にこの映画公開の影響を受け、ダーティハリー症候群(Dirty Harry syndrome)なる「犯人逮捕時の射殺の正当化傾向」に、全米の現職警官が苛まれるコトに・・・。

(画面は クリント・イーストウッド)
当時、中学生だったわたしは、「描かれた彼ら」の傍若無人な捜査過程の僅かな合間に

しびれちゃったのだ・・・。


全米で上記2作品が封切られた同じ年、「マクドナルド・ハンバーガー」第一号店が日本に上陸・・。
わざわざ、銀座まで地下鉄で「食べに」行った記憶がある・・・。
この時代の


「一度、アメリカでホットドッグを、映画の捜査官達のように立ち食いしてみたい・・。」

http://www.lasvegasconcierge.us/free_photos_5.html

映画会社「MGM」の経営するホテルに宿泊し、夜はあらゆる「ショー」を観に出掛ける以外は終日の自由行動。
ホテルとホテルを繋ぐ回廊の途中に、「夢」のホットドッグスタンドはあった・・。

http://pro.foto.ne.jp/free/product_info.php/cPath/21_28_80/products_id/518
2度、3度スタンドの前を行きつ戻りつ、売り子のオンナノコに声を掛け、食べた・・・。
まずい・・・。
パンも肝心のソーセージもフニャフニャ。

ニホンではとても売り物にならない。
これ以上、不味いものを「形容」しても(ていうか気力がナイ)・・なので割愛させていただく。



この小さな車の後部にオーブントースターを積んで、車内には裸電球を吊るしてた。
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「ジーン・ハックマン」や「クリント・イーストウッド」の頬張る演技にまんまと騙された・・・。
勝手に、「オイシイに違いない」と思い込んでいた訳だ。
世界中から観光客の集まるロスやワシントン、ニューヨークでも、こんな程度のモノなんだろうか?
後日談とさせていただくが、エジプトの「ルクソール」で「5つ星」のホテルでの


欧米人の「味覚」を疑いたい・・。



以前このブログでご紹介したが、フィリピンの首都圏に家を建築中だ・・・。
暮れの休暇中、様子を見に帰る為の「自衛策」。
家内と向こうの家族がやる事なので一切口出ししていない・・・・。が、「お金」は出している。が、、幾ら出しているか、正確なところはわたしには、判らない・・・。
家内は、社員旅行で



ま、コレで、イイのだ・・・。



長年、わたしの通帳とキャッシュ・カードは渡しっ放しでいる・・・。
わたしはといえば、ガソリン代と缶コーヒー代、冷蔵庫の備蓄が無い場合の缶ビール(勿論、発泡酒)代が必要な時に、逐次貰うだけだ・・・。「500円」亭主・・・。
彼女のクレジット・カードは「イオン」から明細が届くのでチェックしている・・。
行動の9割以上は、自宅



「幾ら」掛かっているのか判らない「工事」はいつ終わるのかも判らない・・・。
鉄筋コンクリートの3階建てであるが、未完成の写真の壁の「背筋「を見る限り「素人」でも不安になる。
かの国では、住宅建築は、「個人発注」をしてしまうと、全ての工事過程での進捗交渉を自分達でやらねばならず、お金の掛からないぶん「苦労」するようだ・・・。個別に業者の「言い値」で「払わされる」感じかなァ・・。
「自由設計」とは日本なら聞こえがいいが、要は正常な契約状態では無い。口頭契約・・。
長男を含めて「幾ら収入」があって、その長男家族の子供3人の「学費」に向こう十数年「幾ら」掛かって・・。
そんな計算ナシで、「プール」まで作っちゃってる





ウーーン




「海のむこう」のコトでいちいち「気を揉んでも」仕方ないので、口を出さないコトにしている・・。

ま、コレで、イイのだ・・・。


「彼女と結婚するということは、彼女の「後ろ」に居る家族とも、一緒になるという事だよ・・。」と・・。
家内の所もご多分に漏れず、最近の


未完成の3階部分から漏水しているらしい・・。




いろんなコト、気ィ、揉んでもねェ、何にもしてあげらんナイ・・、です。
取り敢えず、年末、行きますね・・・。

コロナ犬舎


小学生の時、近所の「ナショナル電気店」の同級生、「柳下クン」と、家の前で「小石」をどちらが高く投げれるか、競争をした・・。
交互に石を放り上げ、「高さ」を競った・・。
それなりに盛り上がって、次第に「石」の大きさなど、厭わずに手にしたモノを手当たり次第投げ出した・・。
自分の「アタマ」の真上に・・・。
40年以上経っても、ここは覚えている・・。手に取った「感触」が鋭く、「青白く重い」石・・・。
投げて、数秒・・・・、やけに落ちてくるのが遅いなァ・・・・・、そう想った瞬間

頭頂部に激痛、そして目の前が「暗黒」と化した・・・。
ここが、おバカの真骨頂


さすが、オレである

アタマを押さえウズクマルわたしを他所に、
「柳下君」は「アーー、オレ知らないよーー。」とビビって後ずさりしながら20メートル程先の自宅へ帰ってしまった・・・。
その顔を未だに、よく覚えている・・・。ちなみに彼は「東大」を現役で合格した・・・。
どれ位の時間が経ったのだろう・・・。
木製の電柱脇のゴミ箱の陰で激痛に耐え、血だらけのまま、ひたすら座っていた・・・。
何故なら「母親」に知られれば、「怒られる」に決まっているからだ・・・。
怪我の心配より、そうなった経緯をキツク咎められる気がしたのだ。
程なく、突然、アタマの上から「声」がした・・・。
「どーしたの ? 」近所の行政書士の「川井さん」が、長身の身を折り曲げ、わたしの顔を覗き込んだ・・。
身長180センチはあろう、大きな、おおきな、おじさんだ。
「川井さん」が
「母」のもとへ、連れて行ってくれたお蔭で、さして責められずに事なきを得た・・・。
固まった「血」をお湯で、拭き取られ、近所の「家田医院」へ連れて行かれた・・・・。
わたしが、バカおとこなのは、この「事故」のせいなのだ・・、たぶん・・・。
NHKニュース「おはよう日本」の6時半代の「顔」が、ロンドン・オリンピック中継の為に「江崎 史恵」さんに変わっている・・・。
メインで、ロンドン出張中の「鈴木 奈穂子」さんの代打である。

(テレビ画面より)
もともとの担当を外され、「土日祝」担当とされ、再び局の一大イベントで「出張」した後輩の実質「穴埋め」起用である・・。
なんとも気の毒な話だ・・・。
しかしながら、「この道」は、ご本人が選んだ「道」・・・。
組織上層部の「判断」なら致し方ない・・・。
1995年(平成7年)日本テレビ放送網で製作されていた「ジパングあさ6」と呼ぶ
早朝のニュース・ショーに「角田久美子」さんなる局アナウンサーの方がいらした・・・。

http://www.dailymotion.com/video/xe4oln_yyyyy_shortfilms
他者との「掛け合い」が、かなりおかしなヒトで、「オオ、ホウ、ウン」と、身体を90度、カメラと話し相手をキョロキョロ「雀」のようにかわるがわる見つめる、独特の合いの手の入れ方で、アナウンサーとしては「鬱陶しいタイプ」であった・・・。
ご自分の「言葉」を持たずに、其の動きが「可愛く、受けているだろう・・。」という思い込みである。

(テレビ画面より)
今回、代打でご登場の「江崎 史恵」さん、こちらも相変わらず「ヘン」だ・・・。
この日の朝は、ロンドン・オリンピックから凱旋帰国を果たした、アーチェリーの代表チーム4名のゲストをスタジオに迎えてのトーク場面・・・。
NHK側の番組出演者全員、外に居た「お天気キャスター」までスタジオ入りしての歓迎ぶりが、「引き」の画像になったタイミング・・・。
画面一番左の彼女の、奇妙な手振り、目線も床に、喋りながら落としてしまっているのだ・・・。
両の足もご覧戴きたい・・・、仁王立ちとまでは行かないが、周囲のアナウンサーと比べて御覧なさい・・。
アーチェリーの代表チームは当然、彼女を見詰めている筈なのだが、彼女はお構いなく、目線を外し「段取り」で一杯一杯の様子である・・・。(決して手前に置かれたアクリル製の原稿台を見ている訳では無い)
別コーナーの「街かど情報室」などでプライベートなニュアンスを「振られる」と、途端に「不安定」なコメントを「返す」・・・。
今年の4月頃、このブログでも触れたのだが、「意識が過剰」なのか、「立ち位置」がヘンなのだ・・・。
「NHKニュース」の「朝の顔」としての「立ち位置」が・・・・。
「抜擢」されている事実と「本番に臨む意識」が旨く噛み合っていないのだ・・・。
「髪の毛」は念入りにセットしたのに・・・・。
「こころ、ここに在らず・・・。」
・・・どうしたの


健やか総本舗亀山堂

交互に石を放り上げ、「高さ」を競った・・。
それなりに盛り上がって、次第に「石」の大きさなど、厭わずに手にしたモノを手当たり次第投げ出した・・。
自分の「アタマ」の真上に・・・。
40年以上経っても、ここは覚えている・・。手に取った「感触」が鋭く、「青白く重い」石・・・。
投げて、数秒・・・・、やけに落ちてくるのが遅いなァ・・・・・、そう想った瞬間



ここが、おバカの真骨頂



さすが、オレである


アタマを押さえウズクマルわたしを他所に、

その顔を未だに、よく覚えている・・・。ちなみに彼は「東大」を現役で合格した・・・。
どれ位の時間が経ったのだろう・・・。
木製の電柱脇のゴミ箱の陰で激痛に耐え、血だらけのまま、ひたすら座っていた・・・。
何故なら「母親」に知られれば、「怒られる」に決まっているからだ・・・。
怪我の心配より、そうなった経緯をキツク咎められる気がしたのだ。
程なく、突然、アタマの上から「声」がした・・・。
「どーしたの ? 」近所の行政書士の「川井さん」が、長身の身を折り曲げ、わたしの顔を覗き込んだ・・。
身長180センチはあろう、大きな、おおきな、おじさんだ。
「川井さん」が

固まった「血」をお湯で、拭き取られ、近所の「家田医院」へ連れて行かれた・・・・。
わたしが、バカおとこなのは、この「事故」のせいなのだ・・、たぶん・・・。

NHKニュース「おはよう日本」の6時半代の「顔」が、ロンドン・オリンピック中継の為に「江崎 史恵」さんに変わっている・・・。
メインで、ロンドン出張中の「鈴木 奈穂子」さんの代打である。


もともとの担当を外され、「土日祝」担当とされ、再び局の一大イベントで「出張」した後輩の実質「穴埋め」起用である・・。
なんとも気の毒な話だ・・・。
しかしながら、「この道」は、ご本人が選んだ「道」・・・。
組織上層部の「判断」なら致し方ない・・・。



http://www.dailymotion.com/video/xe4oln_yyyyy_shortfilms
他者との「掛け合い」が、かなりおかしなヒトで、「オオ、ホウ、ウン」と、身体を90度、カメラと話し相手をキョロキョロ「雀」のようにかわるがわる見つめる、独特の合いの手の入れ方で、アナウンサーとしては「鬱陶しいタイプ」であった・・・。
ご自分の「言葉」を持たずに、其の動きが「可愛く、受けているだろう・・。」という思い込みである。


今回、代打でご登場の「江崎 史恵」さん、こちらも相変わらず「ヘン」だ・・・。
この日の朝は、ロンドン・オリンピックから凱旋帰国を果たした、アーチェリーの代表チーム4名のゲストをスタジオに迎えてのトーク場面・・・。
NHK側の番組出演者全員、外に居た「お天気キャスター」までスタジオ入りしての歓迎ぶりが、「引き」の画像になったタイミング・・・。
画面一番左の彼女の、奇妙な手振り、目線も床に、喋りながら落としてしまっているのだ・・・。
両の足もご覧戴きたい・・・、仁王立ちとまでは行かないが、周囲のアナウンサーと比べて御覧なさい・・。
アーチェリーの代表チームは当然、彼女を見詰めている筈なのだが、彼女はお構いなく、目線を外し「段取り」で一杯一杯の様子である・・・。(決して手前に置かれたアクリル製の原稿台を見ている訳では無い)
別コーナーの「街かど情報室」などでプライベートなニュアンスを「振られる」と、途端に「不安定」なコメントを「返す」・・・。
今年の4月頃、このブログでも触れたのだが、「意識が過剰」なのか、「立ち位置」がヘンなのだ・・・。
「NHKニュース」の「朝の顔」としての「立ち位置」が・・・・。
「抜擢」されている事実と「本番に臨む意識」が旨く噛み合っていないのだ・・・。
「髪の毛」は念入りにセットしたのに・・・・。
「こころ、ここに在らず・・・。」
・・・どうしたの



健やか総本舗亀山堂
折角の長い夏休みなだが、さしてやる事も無くなって来たので、普段観ない「テレビチャンネル」を観てやれ、ってコトでローカル局の昼間の「演歌ジャンル」の番組「激カラ大賞」なるローカル番組を拝見した・・・。
フツーのカラオケスナックの店内で、見たことも・聞いたことも無い、自主制作レコード(今はCDか)を売って歩く自称歌手の「クローズ・マーケット番組」・・・。
スゲー・・
。



(テレビ画面より)歌手名のテロップの大きさがバラバラ、スゲーっ
昭和の頃からローカルテレビ局の早朝・深夜枠に「巣食う」こうした独特の「演歌自主制作番組市場」というのを認識していたが、改めてみて感じるのは、益々「素人化」してしまっている点・・・。
度々このブログでも触れているが、近年のパソコン上で完結する、安価な「デジタル電子画像編集ソフト」の登場や、調整不用の「デジタルテレビカメラ」の技術革新により、民放連所属のネット加盟局や、それに準ずる製作環境の「プロダクション」で殆んど、作業実績の無い、地方業者(いわゆるナンデモ屋広告制作会社)が、極めて安い、ナンテ価格では無く、単に「シゴト」を廻すだけの「二束三文」(子供のお年玉程度の金額)で請負っているケースが大半のようだ・・。
これはヒドイ・・・・。
ひと昔前なら、こうした「撮影・編集・製作」の作業は、数百万~数千万単位の資本企業が「請負わないと成り立たない」幅広い「参入」を許すものでは無かった・・。

放送用VTRを制御する、編集機財。シロウトには金額的にも技術的にも及ばない。
そもそも素人には簡単に「放送規格の収録・完成原版VTR納品」はムリであった・・。
IT産業における、そうしたテクニカル・デバイスの「超」がつく発達は、「液晶テレビ」マーケットが急速に激変したように、「放送制作」そのものを、ますます「マンション・プロダクション化」してしまった・・。
「マンション・制作プロ」と底辺の音楽・歌謡マーケットの「マンション・芸能プロ」が「引っ付いた格好」だ。
その「象徴的」画像が、コレ。(テレビ画面より)

カメラの「画角」「フレーム」が著しくズレテいるのは、撮影技法にお詳しくなくても、「ご理解」戴けるのでは無いか
手前の司会者と、撮影協力したお店のオーナーと、更に背後の看板を入れ込んだこのカット。
シロウト丸出しである・・・。
撮影を担当した「素人カメラマン」も「演出ディレクター」も「撮影の意図」を全く「明確に理解していない」ので、フレームの処理に「整理」がつかず、店のママも看板も「両方移さなくては成らない」と錯覚しているのだ。
「モンタージュ」の技法を理解していない・・・。
驚く無かれ、このカットで突然、番組本編は「終了」するのだ・・・。
デ、オールラストの画がこれ1枚のスタッフロール・・・。(テレビ画面より)

放映したローカル局は製作著作権を持たないのだ・・・・。
クレジットナシ・・・。
放送局の社員「プロデューサー」は監査しないのだ・・・。
通販番組のように、「金払って、流している」営業形態。
番組ホームページを見ると、当初こそ大阪の「コックスプロ」なる準大手の製作会社が「監修」の名目で、呼ばれていたようだが、回を重ね自分らが、「手馴れ」てくると、予算も無いのに、放送番組を「本業」としない、「ナンデモ屋」にたらい回しされ始める・・・。
地場企業の安い印刷物をMacで制作してるような連中や、ラジオの選曲屋が「知った振り」して、「にわかテレビ屋」になっている・・。
有象無象のたらい回し・・・・。
シゴトを発注しているのは、「東海テレビ」系列の「東海ラジオ」退職者が興した「テレビ放送センター」なる処。「ラジオ畑」の方である。
一部下請け、元請けも含め、わたしを「知る」方が片手程おられるので、コレ位にしておくが、「21世紀」になり、金銭授受のあまりにも少ない「番組」とはいえ、誠に、あまりに「情けない」環境である・・・。
こんなコト、金が無いのに「やらせるほうが」バカなのだ・・・。
フツーのカラオケスナックの店内で、見たことも・聞いたことも無い、自主制作レコード(今はCDか)を売って歩く自称歌手の「クローズ・マーケット番組」・・・。
スゲー・・







昭和の頃からローカルテレビ局の早朝・深夜枠に「巣食う」こうした独特の「演歌自主制作番組市場」というのを認識していたが、改めてみて感じるのは、益々「素人化」してしまっている点・・・。
度々このブログでも触れているが、近年のパソコン上で完結する、安価な「デジタル電子画像編集ソフト」の登場や、調整不用の「デジタルテレビカメラ」の技術革新により、民放連所属のネット加盟局や、それに準ずる製作環境の「プロダクション」で殆んど、作業実績の無い、地方業者(いわゆるナンデモ屋広告制作会社)が、極めて安い、ナンテ価格では無く、単に「シゴト」を廻すだけの「二束三文」(子供のお年玉程度の金額)で請負っているケースが大半のようだ・・。
これはヒドイ・・・・。
ひと昔前なら、こうした「撮影・編集・製作」の作業は、数百万~数千万単位の資本企業が「請負わないと成り立たない」幅広い「参入」を許すものでは無かった・・。


そもそも素人には簡単に「放送規格の収録・完成原版VTR納品」はムリであった・・。
IT産業における、そうしたテクニカル・デバイスの「超」がつく発達は、「液晶テレビ」マーケットが急速に激変したように、「放送制作」そのものを、ますます「マンション・プロダクション化」してしまった・・。
「マンション・制作プロ」と底辺の音楽・歌謡マーケットの「マンション・芸能プロ」が「引っ付いた格好」だ。


カメラの「画角」「フレーム」が著しくズレテいるのは、撮影技法にお詳しくなくても、「ご理解」戴けるのでは無いか

手前の司会者と、撮影協力したお店のオーナーと、更に背後の看板を入れ込んだこのカット。
シロウト丸出しである・・・。

撮影を担当した「素人カメラマン」も「演出ディレクター」も「撮影の意図」を全く「明確に理解していない」ので、フレームの処理に「整理」がつかず、店のママも看板も「両方移さなくては成らない」と錯覚しているのだ。
「モンタージュ」の技法を理解していない・・・。



放映したローカル局は製作著作権を持たないのだ・・・・。
クレジットナシ・・・。
放送局の社員「プロデューサー」は監査しないのだ・・・。
通販番組のように、「金払って、流している」営業形態。
番組ホームページを見ると、当初こそ大阪の「コックスプロ」なる準大手の製作会社が「監修」の名目で、呼ばれていたようだが、回を重ね自分らが、「手馴れ」てくると、予算も無いのに、放送番組を「本業」としない、「ナンデモ屋」にたらい回しされ始める・・・。
地場企業の安い印刷物をMacで制作してるような連中や、ラジオの選曲屋が「知った振り」して、「にわかテレビ屋」になっている・・。
有象無象のたらい回し・・・・。
シゴトを発注しているのは、「東海テレビ」系列の「東海ラジオ」退職者が興した「テレビ放送センター」なる処。「ラジオ畑」の方である。
一部下請け、元請けも含め、わたしを「知る」方が片手程おられるので、コレ位にしておくが、「21世紀」になり、金銭授受のあまりにも少ない「番組」とはいえ、誠に、あまりに「情けない」環境である・・・。
こんなコト、金が無いのに「やらせるほうが」バカなのだ・・・。

画像ファイルに一部欠損が発生しています。
修正には、大変時間が必要ですので、欠損記事については一時クローズとさせて頂きます・・・。
酔いに任せて触ってたら、何を思ったか?片っ端から削除してしまいました・・。
修正には、大変時間が必要ですので、欠損記事については一時クローズとさせて頂きます・・・。
酔いに任せて触ってたら、何を思ったか?片っ端から削除してしまいました・・。
こうして、いつも長い休みに入ると思うのだが、ふと自分の手掛けた「映像制作」の作品を見てみたくなる衝動に駆られる・・・。
もう正業デハナイ、十数年に及ぶ仕事の「過去」は100パーセント、「VHSビデオテープ」で大量に所持していた・・。
段ボール箱にして20箱程、以前住んでいた東京の実家の床が、抜けそうに成るほどのそれは凄まじい量・・。
CMの絵コンテからテレビ台本、企画書、ロケハン、タレントさんのオーディションテープに至るまで・・・・。
大量のスナップ写真と一緒に・・・。
結婚してからというもの、所持する意味合いが、無くなり、一切を処分した・・・。
だが、たとえそれを現在所持していたとしても、「VHS」なんぞを我が家のハイビジョンテレビで見ようものなら、グジャグジャの「ゴッホ」か「ムンク」の絵画のような状態で、とても観る気になれない・・・。
「VHS」を「DVD」にプリントしても「画質」は一緒・・。
放送局に行けば、一部ライブラリーとして保管されているであろう・・。
これはムリ。
かつての制作会社に行けば、「収録時マスターテープ」と「局納品分のコピーマスターテープ」くらいはあるだろう・・。
電話で先方の社長にご挨拶し、お土産を用意して新幹線に乗り、放送用VTRが再生出来る1時間数万円の編集室を手配して頂き、制作会社の方立会いで、ダビングし、個人での取引は原則しないのだが、特例で現金で清算し、さらに、制作会社さんに謝礼もキャッシュで・・・・。
これも殆んどムリ。(皆さん、そんなに暇じゃないネ!)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/x10000/x10400/IPA-banguminodekirumade.htm
放送用取材テープの変遷、くわしい説明はメンドーなので省きます。

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/x10000/x10400/IPA-banguminodekirumade.htm
放送用完成原版となる一般的な変遷、左が最も古い。
くわしい説明はメンドーなので省きます。
実物は画像の見た目より、かなりデカイです。
デ、ナニが言いたいかというと、放送用でも我が家用でも、再生するデッキがもう無い、ってコト。
知人に、かつての「レーザーディスク」で大量に映画を収集したヒトが未だに「ディスク」を部屋中に抱えてるのですが、所持している再生機はトックに故障していて200パーセント2度と見る事が出来ないのに、「捨てられない」だと・・・。カレ、独身です・・・。ナントナク判るでしょ、カレの「生活観」・・。

「素敵にドキュメント」朝日放送(昭和62年・1987年10月23日 - 1992年9月25日)

「これは知ってナイト」朝日放送(平成5年・1993年4月から1995年3月)
今の時代なら、いくらでもネット上にUP出来るでしょうが、当時はねェ・・・。
手掛けた番組のほんの一部の「タイトル」しか観られません・・・。
もう正業デハナイ、十数年に及ぶ仕事の「過去」は100パーセント、「VHSビデオテープ」で大量に所持していた・・。
段ボール箱にして20箱程、以前住んでいた東京の実家の床が、抜けそうに成るほどのそれは凄まじい量・・。
CMの絵コンテからテレビ台本、企画書、ロケハン、タレントさんのオーディションテープに至るまで・・・・。
大量のスナップ写真と一緒に・・・。
結婚してからというもの、所持する意味合いが、無くなり、一切を処分した・・・。
だが、たとえそれを現在所持していたとしても、「VHS」なんぞを我が家のハイビジョンテレビで見ようものなら、グジャグジャの「ゴッホ」か「ムンク」の絵画のような状態で、とても観る気になれない・・・。
「VHS」を「DVD」にプリントしても「画質」は一緒・・。
放送局に行けば、一部ライブラリーとして保管されているであろう・・。
これはムリ。
かつての制作会社に行けば、「収録時マスターテープ」と「局納品分のコピーマスターテープ」くらいはあるだろう・・。
電話で先方の社長にご挨拶し、お土産を用意して新幹線に乗り、放送用VTRが再生出来る1時間数万円の編集室を手配して頂き、制作会社の方立会いで、ダビングし、個人での取引は原則しないのだが、特例で現金で清算し、さらに、制作会社さんに謝礼もキャッシュで・・・・。
これも殆んどムリ。(皆さん、そんなに暇じゃないネ!)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/x10000/x10400/IPA-banguminodekirumade.htm


http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/x10000/x10400/IPA-banguminodekirumade.htm

くわしい説明はメンドーなので省きます。
実物は画像の見た目より、かなりデカイです。
デ、ナニが言いたいかというと、放送用でも我が家用でも、再生するデッキがもう無い、ってコト。
知人に、かつての「レーザーディスク」で大量に映画を収集したヒトが未だに「ディスク」を部屋中に抱えてるのですが、所持している再生機はトックに故障していて200パーセント2度と見る事が出来ないのに、「捨てられない」だと・・・。カレ、独身です・・・。ナントナク判るでしょ、カレの「生活観」・・。





今の時代なら、いくらでもネット上にUP出来るでしょうが、当時はねェ・・・。
手掛けた番組のほんの一部の「タイトル」しか観られません・・・。

テレビ製作の世界では、現場作業中における
「食事・飲料」の一切は制作会社側が「手配・準備」し掛かる金額も「負担」する。
これは最早通例であり、常識でもある・・・。
撮影の「現場」で多くの車両や機材を使用し、屋外・スタジオを問わず、速やかに一律の「飲食」を提供し、速やかに予定の「スケジュール」をこなして貰うコトで、「余計な経費」を抑制するのだ・・・。
個々のスタッフの「嗜好」で休憩の度に、三々五々散開されては「製作現場」は維持出来ないからである。
全米の映画・テレビユニオンの如く、就労に関する詳細な条件が「整備」されない、され得ないわが国では、スタッフから出演者に至るまでが大抵、同じものを食し、長時間拘束・短期日程・スタンダードな「予算管理」により、「あらゆるジャンル」の「製作」が遂行される・・・。
過去に、「電通」からの製作依頼でテレビCMでご一緒した方に、劇団民藝の「日色ともゑ」さんという女優さんがいらした・・。

昭和36年(1961年)、劇団民藝に入団、宇野重吉に師事。
昭和42年(1967年)、NHK朝の連続テレビ小説『旅路』で主役デビュー。
著名な建築家のご主人を持ち、映画・テレビのご活躍の当時、ワタシにとっては初の「大物女優」さんとのお仕事であった・・。
東京・目黒に地方から進出した
「お漬け物店」のCM撮影。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:1985-SAAB900CD-front.jpg
北欧の高級車に乗り、お一人で撮影現場にお見えになった・・・。
店内でのご挨拶、打ち合わせを済ませ、午後を跨ぐ撮影スケジュールに成るので、ご本人の望まれるモノを用意しようと、直接、「「お昼」のご用意をさせて頂きますが、何をお召し上がになりますか?」と尋ねた・・。
「あ、みなさんと、同じ物で結構デスヨ・・。」そう仰って微笑まれた・・・。
ここは、「素直」に皆と同じく「カツ丼」をお出しした・・。
・・・すみません、若かったのと、当時「カロリー」なんて概念、大塚製薬の「カロリーメイト」なんてのが普及する以前でしたし・・・。


世のサラリーマン族から見たなら明らかに「異常」な「食事の振る舞い」。
この「ギョーカイ」の撮影・照明・編集のスタッフは、個人・法人所属を問わず、製作会社の「プロデューサー」や「ディレクター」から「指名」を受け、収入を得ているのに、食事・おやつ・打ち上げ費用を一切払わないのだ・・・。
いま、自分がこれら「ギョーカイ」を離れてみて考えるに、この「ギョーカイ」常識は「集り(たかり)行為」だと想う・・。
暗に、「良い、美味しい飲食」をさせないと「いい仕事」を「してやらない」「徒党」である。
わざわざ、撮影の調整に「一見、必要な手間」を掛けている様に見せ、
スケジュールの「遅延」を図る「連中」は確かに、「居る」のだ・・・。

http://hokusai-kyoto.co.jp/bento/locationbento.html
ひとりぐらい、居ないものか?「ア、結構ですよ、自分の分は自分で清算シマスヨ・・。」
「集り」と言われたくなくば、「自前で払えば良い」のだ・・。

映画の撮影所(撮影技師・照明技師)連中がテレビと合流した、昭和のその昔、始まったであろう、悪しき「慣習」・・。「飲食の振る舞い」。
まさに「働かせて戴いている」のでは無く、オレがこんなに「やってやってんだ」の世界。
わたしの勤める現在の会社のもそういうのが「居る」。
残業代をしっかり「受け取る」のに、いい歳をして通勤の不便を理由に遅刻はする、「搾病」で欠勤はする。
その「勤務態度」を注意すると、猛烈な剣幕で現場で大声を張り上げ「タメ口」化し、最期には残業付き合って、「やらされて」「やってやってんだぞ」啖呵を切り出す世界・・・。
空いた口が塞がらない・・アルバイトから「社員」に引き上げた途端の「モンスター社員」。
この先、「どうするのだろう?」
自分の「病理」が観えていないのだ・・・。

これは最早通例であり、常識でもある・・・。
撮影の「現場」で多くの車両や機材を使用し、屋外・スタジオを問わず、速やかに一律の「飲食」を提供し、速やかに予定の「スケジュール」をこなして貰うコトで、「余計な経費」を抑制するのだ・・・。
個々のスタッフの「嗜好」で休憩の度に、三々五々散開されては「製作現場」は維持出来ないからである。
全米の映画・テレビユニオンの如く、就労に関する詳細な条件が「整備」されない、され得ないわが国では、スタッフから出演者に至るまでが大抵、同じものを食し、長時間拘束・短期日程・スタンダードな「予算管理」により、「あらゆるジャンル」の「製作」が遂行される・・・。
過去に、「電通」からの製作依頼でテレビCMでご一緒した方に、劇団民藝の「日色ともゑ」さんという女優さんがいらした・・。


昭和36年(1961年)、劇団民藝に入団、宇野重吉に師事。
昭和42年(1967年)、NHK朝の連続テレビ小説『旅路』で主役デビュー。
著名な建築家のご主人を持ち、映画・テレビのご活躍の当時、ワタシにとっては初の「大物女優」さんとのお仕事であった・・。
東京・目黒に地方から進出した


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:1985-SAAB900CD-front.jpg
北欧の高級車に乗り、お一人で撮影現場にお見えになった・・・。
店内でのご挨拶、打ち合わせを済ませ、午後を跨ぐ撮影スケジュールに成るので、ご本人の望まれるモノを用意しようと、直接、「「お昼」のご用意をさせて頂きますが、何をお召し上がになりますか?」と尋ねた・・。
「あ、みなさんと、同じ物で結構デスヨ・・。」そう仰って微笑まれた・・・。
ここは、「素直」に皆と同じく「カツ丼」をお出しした・・。
・・・すみません、若かったのと、当時「カロリー」なんて概念、大塚製薬の「カロリーメイト」なんてのが普及する以前でしたし・・・。



世のサラリーマン族から見たなら明らかに「異常」な「食事の振る舞い」。
この「ギョーカイ」の撮影・照明・編集のスタッフは、個人・法人所属を問わず、製作会社の「プロデューサー」や「ディレクター」から「指名」を受け、収入を得ているのに、食事・おやつ・打ち上げ費用を一切払わないのだ・・・。
いま、自分がこれら「ギョーカイ」を離れてみて考えるに、この「ギョーカイ」常識は「集り(たかり)行為」だと想う・・。

暗に、「良い、美味しい飲食」をさせないと「いい仕事」を「してやらない」「徒党」である。
わざわざ、撮影の調整に「一見、必要な手間」を掛けている様に見せ、



http://hokusai-kyoto.co.jp/bento/locationbento.html
ひとりぐらい、居ないものか?「ア、結構ですよ、自分の分は自分で清算シマスヨ・・。」
「集り」と言われたくなくば、「自前で払えば良い」のだ・・。


まさに「働かせて戴いている」のでは無く、オレがこんなに「やってやってんだ」の世界。
わたしの勤める現在の会社のもそういうのが「居る」。
残業代をしっかり「受け取る」のに、いい歳をして通勤の不便を理由に遅刻はする、「搾病」で欠勤はする。
その「勤務態度」を注意すると、猛烈な剣幕で現場で大声を張り上げ「タメ口」化し、最期には残業付き合って、「やらされて」「やってやってんだぞ」啖呵を切り出す世界・・・。

この先、「どうするのだろう?」
自分の「病理」が観えていないのだ・・・。

以前、このブログでも子供の頃の「出来事」として触れた、三重県・鈴鹿市にある「鈴鹿サーキット」が50周年を迎える・・。
昭和37年(1962年)開業であるから国内最古の「国際レーシング場」だ・・・。
来月9月初旬、日本の「中嶋 悟」氏をはじめ往年のF1レーサー達50名が集まり、記念のコース周回を行う・・。

「中嶋 悟」氏
昭和41年(1966年)鈴鹿開業の「後を追う」形で、静岡県駿東郡小山町に「富士スピードウェイ」の建設計画が「商社 丸紅」の手により開始・・。
昭和60年前後に「パリ・ダカール・ラリー」で、一世を風靡した「篠塚 建次郎」氏や前出の「中嶋 悟」氏を撮影取材で追いかける「プロダクション」さん(社名が思い出せない)と、一時仕事をご一緒した・・。
記憶が曖昧で申し訳ないが、多分「中嶋 悟」氏のレース出場をメインで撮影する「撮影技術請負の仕事」であった・・・。わたしの「立場」は「技術営業」だかの、「付き添い」・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fisco-mainstand.jpg
「富士スピードウェイ」は開設当初から、その設計・運営・資金面での紆余曲折を余儀なくされた「問題コース」であったが、今回のお話は「撮影カメラマン」のおはなし・・。
機材車で現地入りし、製作依頼主側の「プロダクション」さんに、ご挨拶・・・。
わが「撮影カメラマン・Ⅰさん」名詞交換時に、「不意」に先方の「プロダクション」さんから、こう切り出された・・。
「こういったレースの撮影経験は過去にされたコトありますか?」
「無いです・・・。」(プロカメラマン・Ⅰさん)
ここで、双方が始めて「不味さ」に気付くのだ・・・。
依頼側は電話で「レースの撮影経験」のあるカメラマンを特に事前に希望していなく、請負う側も「レースの撮影経験」の要不用を、人を手配する段階で、全く「認識」シテイナカッタノダ・・・。
「誤算」のスパイラル・・・。
爆音の轟くレース場・スタート地点のスタンドでカメラを構える「カメラマン・Ⅰさん」。
試合が開始され、クルマが周回に入ったた時、彼の用意した「機材」と「技能」が、レースカーのエンジンノイズで瞬く間に「撃沈」されてゆく・・・。

いかなる条件下でも撮影に専念させる特許技術「完全バランス」の三脚。画像は近年の小型HDカメラ用。
http://www.vinten.com/ja/vinten-tv-2
その当時、わたしの居た会社は「テレビ朝日グループ」の中でも、かなり資本整備に遅れのあった部署で、同業の「テレビ朝日映像」や「文化工房」等とは、撮影・編集機材資産が著しく劣っていた・・。
他社が1式100万円する、堅牢なカーボン樹脂のアメリカ製テレビカメラ用三脚を使用していたのに対し、多くの場合、安価な国産品とアメリカ製ヘッドの「組み合わせ木製三脚」で、現場を凌いでいたのだ・・・。

チョット画像が古過ぎるのだが「木製」の「脚」にカメラと三脚を結合させる「ヘッド」部分がある。(決してこの会社の製品が劣る訳では無い)http://www.sachtler.co.jp/
猛スピードで周回するクルマを「全く」カメラで追えないのだ・・。
ファインダーに収める事が出来ない・・・。
右方向にカメラを送るたび、客席スタンドに立てた三脚がズレ動くのだ・・。
「カメラマン・Ⅰさん」。は苛立ち始め、我々に「カメラ三脚」の脚を身体で支えるよう、命じる・・・。
「ガクン!」「チッ!」・・・・「ガクン!」「チクショー・・。」
いまのわたしが想えば、其の場所は「ホームストレート」スタンドのかなり上部であり、そうした「不安定」な場所を諦めて「コースサイド」寄りの「振込み」の少なくて済むポイントに移動し、取り敢えず「立て直す」コトを考えたであろう・・。
暫らくしてこう、Ⅰさんは、洩らした・・・。「出来ねェ・・・。」
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昭和37年(1962年)開業であるから国内最古の「国際レーシング場」だ・・・。
来月9月初旬、日本の「中嶋 悟」氏をはじめ往年のF1レーサー達50名が集まり、記念のコース周回を行う・・。


昭和41年(1966年)鈴鹿開業の「後を追う」形で、静岡県駿東郡小山町に「富士スピードウェイ」の建設計画が「商社 丸紅」の手により開始・・。
昭和60年前後に「パリ・ダカール・ラリー」で、一世を風靡した「篠塚 建次郎」氏や前出の「中嶋 悟」氏を撮影取材で追いかける「プロダクション」さん(社名が思い出せない)と、一時仕事をご一緒した・・。
記憶が曖昧で申し訳ないが、多分「中嶋 悟」氏のレース出場をメインで撮影する「撮影技術請負の仕事」であった・・・。わたしの「立場」は「技術営業」だかの、「付き添い」・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fisco-mainstand.jpg
「富士スピードウェイ」は開設当初から、その設計・運営・資金面での紆余曲折を余儀なくされた「問題コース」であったが、今回のお話は「撮影カメラマン」のおはなし・・。
機材車で現地入りし、製作依頼主側の「プロダクション」さんに、ご挨拶・・・。
わが「撮影カメラマン・Ⅰさん」名詞交換時に、「不意」に先方の「プロダクション」さんから、こう切り出された・・。
「こういったレースの撮影経験は過去にされたコトありますか?」
「無いです・・・。」(プロカメラマン・Ⅰさん)
ここで、双方が始めて「不味さ」に気付くのだ・・・。
依頼側は電話で「レースの撮影経験」のあるカメラマンを特に事前に希望していなく、請負う側も「レースの撮影経験」の要不用を、人を手配する段階で、全く「認識」シテイナカッタノダ・・・。
「誤算」のスパイラル・・・。
爆音の轟くレース場・スタート地点のスタンドでカメラを構える「カメラマン・Ⅰさん」。
試合が開始され、クルマが周回に入ったた時、彼の用意した「機材」と「技能」が、レースカーのエンジンノイズで瞬く間に「撃沈」されてゆく・・・。


http://www.vinten.com/ja/vinten-tv-2
その当時、わたしの居た会社は「テレビ朝日グループ」の中でも、かなり資本整備に遅れのあった部署で、同業の「テレビ朝日映像」や「文化工房」等とは、撮影・編集機材資産が著しく劣っていた・・。
他社が1式100万円する、堅牢なカーボン樹脂のアメリカ製テレビカメラ用三脚を使用していたのに対し、多くの場合、安価な国産品とアメリカ製ヘッドの「組み合わせ木製三脚」で、現場を凌いでいたのだ・・・。



ファインダーに収める事が出来ない・・・。
右方向にカメラを送るたび、客席スタンドに立てた三脚がズレ動くのだ・・。
「カメラマン・Ⅰさん」。は苛立ち始め、我々に「カメラ三脚」の脚を身体で支えるよう、命じる・・・。
「ガクン!」「チッ!」・・・・「ガクン!」「チクショー・・。」

いまのわたしが想えば、其の場所は「ホームストレート」スタンドのかなり上部であり、そうした「不安定」な場所を諦めて「コースサイド」寄りの「振込み」の少なくて済むポイントに移動し、取り敢えず「立て直す」コトを考えたであろう・・。
暫らくしてこう、Ⅰさんは、洩らした・・・。「出来ねェ・・・。」

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