ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
カミサンが姉と共に里帰りした。

彼女の会社の同僚が、盆暮れでは無い時期に、安い直行便のチケットを手に入れ、短期間で頻繁に帰国するのを見て感化されたようだ。
デンソー系のメーカーだが既に派遣のブラジル勢は大量に撤退し、残されたのは勤続年数の長い日本人とカミサンたちフィリピン人正社員、で、撤退したブラジル勢の補充にフィリピン人の派遣。更に海外拠点各国からの研修生、これでライン稼動。
4年ぶりの帰省で現地滞在僅か6日足らずだが、これで充分・・・。
結婚して21年に為るが、共に里帰りすると、暫らくして必ず、「ニホンガ、イイ、カエリタイ・・。」と言い出す。
南国生まれの癖に、暑くて疲れる、らしい・・・。
現地の次々、お金の掛かる世代に成長してゆく甥や姪達に、最新機種の携帯電話は、クラスメートに対しての、大きなステイタス誇示に為る様だ。
今回、ワタシとカミサンの型落ち“iphone”を進呈するつもりで居たのだが、思わぬ処でつまずいてシマッタ・・。
購入後スグに設定したIDやらパスワードやら、初期の質問回答が、ナニがナンダか判らなくなってしまい、2台ともリセツトが不可能に・・。
結果、大判スーツケースやボストンバックに忍ばせる予定をこなせず、キッチンテーブルに置き去りに・・・。
遡って、この携帯2台を、彼らに譲渡する話が、カミサンから出た時、少々喧嘩腰になる事が有った。
これをリセットしたら,現地での通話料・通信料は、日本のジブン達で、払う、という・・・。
これには、少し、如何なものか?と思った。
甥・姪自身も彼らの親も、自分達で支払い能力の無いモノを、イイ顔する為にわざわざ持たせる必要が、有るのかや?と・・。
身の丈に合っていないのだ。
『祝ウルトラマン50~乱入LIVE!怪獣大感謝祭~』NHKBSプレミアム
1966(昭和41)年の放送開始から全39話29~42%の高視聴率を誇った、まだ国内では稀少な連続カラー放送の特撮ドラマ、『ウルトラマン』が50周年だそうだ・・。
(テレビ画面より)
ワタシ自身、6歳の時から、ずっと観てた。
宿敵“ゼットン”にいとも簡単に倒される最終回は、テレビ画面がボロボロと泣いて、溢れ出た涙で見えなくなったのを記憶する・・・。
企画者、脚本家、美術、造形、撮影、操演、俳優、監督・・・、すべてのジャンルで多くの人材を輩出し末永く、大勢の熱烈なファンを今尚、構成する社会現象。
半期に一度の濃厚な予算と時間で、緻密な世界を表現する“映画界の「東宝特撮」”技術を、そのまま、毎週毎週の“連続放送で製作日程が飽和し易い環境のテレビ製作”に持込んだスタイルは、到底維持出来るワケが無く、大赤字を産みながら企画短縮され、東京・練馬区に在る「東映東京撮影所テレビ部」に引き継がれる。
「光線」や「稲光」といったものを写実化したり、演出的要素を持たせる場面転換等には、シネマフィルムへの光学合成技術が必要に為るが、このシリーズ製作で、美術界の超名門「二科会」の研究生から転進し、光学作画の草分け的存在の重鎮に行き着く、昭和一桁生まれの「飯塚定雄」氏がおいでに成る。
(テレビ画面より)
番組内では、当時の「スペシウム光線」の制作工程の一部を再現していた。
(テレビ画面より)
トレペにサインペンで幾枚も線画を描き、元のフィルムと位置合わせをしながら,の地道な合成作業・・。
(テレビ画面より)
驚いた事に、氏は今尚現役の“CGデザイナー”でいらっしゃり、自らも映画効果専門会社の社長職に収まり続ける。
(テレビ画面より)
半世紀もの間、ひとつの事をまっとうし続ける、生命力、人脈、財力・・・。
“裏方に徹する”とは正にコノ事であり、到底、安易に真似出来るものでも無い。
羨ましい限り・・・、この言葉に尽きる。
今一度、過去に“帰れる”のなら、神様が許して下さるのなら、母の亡くなる前辺りからやり直し、もう一度、イマのカミサンに出会って、軌道修正掛けたい・・・、掛けたい・・・・・。
帰れるなら。
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