ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
カミさんの故郷に住む姉さんがこの年開けに、亡くなった。
ってか、今年の正月に書き出した記事だ。


御年57歳、独身。
六人兄弟の2番目、20年以上連れ添うカミさんからの情報のみで、その姉さんが一体、どんな人生を歩まれたのか推量する余地が無い。
親戚とはいえ遠い異国の地の生活背景なんぞ思い知るすべも無く、漫然と“死”を受け止める。
声すらも、殆ど交わした事が無い。
回復不能な腎不全による尿毒症物質による皮膚掻痒症が、亡くなる直前まで彼女をこれでもかと苦しめた・・・。
入院から半年間、入院治療費の日本からの送金の段取りで、、ウチのカミさんと島根県に住む姉さんの間と現地と電話やメッセンジャーを通じたやり取りが延々
、夜な夜な続いた。
24時間の病院での付き添い介護も、自宅と、その入院先までの通院距離の長さも、現地家族の体力的、精神的な大きな負担と為っていた。
日本とは違い、海外へ出稼ぎにでる兄弟姉妹以外が揃って暮らす事が当たり前の文化・世帯経済環境の国。
大家族とて、交替交替の看病生活が、
じわじわと破綻を来たす進行過程を見た。
介護する側とされる側の「エゴ」が、互いの心労と、更には病人本人にしか解らない病苦が、共に日に日に増殖して往くのが、カミさんのこぼす愚痴から見て取れた・・。
「介護殺人」なんぞという単語が有りか否か、このままエスカレートしたらば、面倒な事に成る、そんな予感すらさせた。
“国”が違えども、直面する苦労、背負う心労は同じなのだとつくづく実感した。

7年程前であろうか、カミさんの父上が亡くなった時に購入した華僑経営の公園墓地。今回の葬儀何がどういう理由からか判らないが、市警察の警官が葬儀車列をエスコートした。

この国では、近親者では無く、葬儀屋スタッフが棺を担ぐ。何故か警察官もいる。ま、重いからなぁ。
某日某日、いつか、いつの日か、こういう日が来れば私の子供時代の踊りの先生の夢が、思い描いた通りに成った、成就した、証しであろうなと思って来た事が、ついに実現した・・・。
具体的出自に謎の部分も多く、生前のご本人も、その出生の多くを決して自ら語ろうとはしなかったに日本舞踊の師匠H先生。
遠回りには、ワタシのテレビ業界入りと今のカミさんとの必然の出会いを繋ぐ方でも在る。
歌舞伎・尾上流の流れを汲み、先代尾上菊之丞氏の振り付け助手となり、「都をどり」から「大阪万博・日本の祭りナショナルデー」、故黒澤 明監督のフィルム作品振り付けから文化庁の海外派遣使節を歴任するなど描き切れぬ程の功績を納めつつ、8年前に73歳で亡くなられた。
其れまでの
日本の舞踊界が、花柳界の系譜を汲む者と、経済的超富裕層でのみ編成・離合集散を繰り返す中、自らが信仰する東京都内の創価学会員の小中学生の中から、次世代(その頃、まだ夢も希望も描けた)の伝統新進舞踊家を育成しようと、毎週毎夜、錦糸町や千駄ヶ谷の貸会議室や宴会場を借り、日本舞踊の基礎から、踊りを来る日も来る日も指導した・・・。
受験問題、経済問題、信仰からの離脱、様々な事情でその子供達の集団も激しく離合集散の後、古典舞踊の世界でローカル新聞社や財団法人主催のコンテストに於いて、個別に成長した若手のその舞踊家達が、相次いで優秀賞を例年の如く受賞し続け、その功労によりH先生ご自身も、育成の栄誉を称え表彰を受けた。
ワタシ自身はもう既に20代で、この舞踊集団を辞めてしまっているので、その場に居合わせないし、結婚時とテレビディレクターとしての活動期以外の親交は皆無であったが恐らく、度重なる受賞は、ご自分の信念の成就を体現させたものに他ならない、と確信する。
とは言え、新聞社や財団での受賞はクローズサーキットであり、クロサワ映画へのかつてのその子供たちの参画は、H先生存命中の遠い過去の話で在る。
時は過ぎ、残暑厳しいこの9月末、NHK Eテレ「古典芸能への招待」 古典芸能を未来へ~尾上流の芸 と題し、今夏創設70周年を迎えた「尾上流」の音羽屋・親子三代に渡る新作舞踊劇に若手名手として、この時の子弟の彼ら彼女らが共演・・・・。
ついにマスメディアのゴールデンタイム 新国立劇場の開園直前の「定式幕」前に、皆の名前がテロップスーパーとしてスクロールした。自分も在籍当時、踊り手のひとりとしてテレビ朝日「水曜スペシャル」やフジテレビ「笑っていいとも!」枠の前身「ハイヌーンショー」やらにチビッ子芸能人企画で駆り出されたが、それらは、この「構想」の前哨戦に過ぎなかった。

テレビ画面より
当時、数十人居た少年少女のウチの数名、数は僅かだが永く40年の歳月を掛け、庶民の中から、「松竹」系列では無い舞踊家達が、伝統と格式を重んじる「音羽屋」の舞台に立ったのだ。
天国のH先生もさぞかし、この活躍の流れをお喜びであろう・・・。

テレビ画面より 新作舞踊劇斧琴菊旭旗 よきことぎくげんじのよあけ
・・現状、「日本の踊り」で世界平和を!とは決して往かぬ、残念で痛い世界・世の中に為った。
幼い頃、創価学会の信仰で、この踊りで世の中を変えるんだ!変えて見せるんだ!と曼荼羅を拝んでは舞台に立った記憶・・・、これは狂気の沙汰だ、今思えば・・。
宗教はアヘンである、とはさる哲学者の格言だが、その信仰は、困難に立ち向かう幼い素人が、舞台に立つ恐怖心を払拭し、湧き立たせる単なる洗脳行為であったに過ぎない。
何も曼荼羅を何時間も拝まなくても、拝んでいない人でも、信念と伝統に裏打ちされた稽古を積み上げれば、大舞台の緊張から開放され、大観衆の前で見事に自己実現・自己表現する潜在能力が在る。
菊五郎さんでも菊之助さんでも。(楽屋・劇場小屋にある神棚と先代の遺影は拝むであろうが)
「24時間テレビ」に登場する障がい者のパフォーマーの方でもヒトの魂を揺さぶる力を持つ。曼荼羅を拝んではいない。
この舞踊集団の広告情報戦略には重大な錯誤がある。
記事編集に外部(踊る舞踊手が片手間で運営)選任者を持たぬ事も情報発信力を弱めており、YouTubeを含め総当たり的にネット向けアプローチを実施しているが、情報更新進まず記事が非常に古い。
呆れるのは、マスコミ向け、業界向けフライヤーやホームページ、ツイッター、フェイスブックありとあらゆるアプローチに、いつまでもいつまでも、昭和51年度文化庁主催芸術祭での参加受賞歴や、平成2年の黒澤・スピルバーグ映画への出演を際限無く謳い続けている事だ。
だから何なのか?
それがどうしたのか?
時すでに、「平成」の世が終わろうとしている中、何十年も以前の栄誉を呼称し続けて今一体、何の意味を持つのか?
その「あと」は一体、どうなのか?これからの未来はどうなのか???
公演企画も弱い・・・。新しさが無い。先代を追う旺盛な公演企画力が無い。
いつまでも、狂言「茶壷」と舞踊選集ばかりの演目構成。
養子として相続された「H 聡」氏が見えない・・・。
このベクトルでイイ筈が無い。
観客動員と公演実績、開催地の選択が、長く創価学会勢力分布の地域に偏り過ぎていて、動員のマーケット自体が一般的では無く、クローズサーキットなのだ。これは舞踊団設立のフィロソフィーに著しく逆行している。
このマーケットが創価学会婦人部層の死滅による自然減に陥れば、舞踊団はあっという間に公民館クラスかスーパー銭湯劇場の選任舞踊団に凋落するであろう・・・。
団員全員に厚生年金や介護保険
社会保険の資格給付は出来ているのだろうか?
まさか、今の時代、過去同様、全ては在籍舞踊手の実家の扶養家族扱いに依存してまいか?
先代が成し遂げえない道を進まにゃならない!!
新しく、深く、真摯に、様々に模索の必要がある・・・・。
舞踊集団菊の会 Hさん!大丈夫か?アイディアなら幾らでも考えるが・・・。
ってか、今年の正月に書き出した記事だ。



御年57歳、独身。
六人兄弟の2番目、20年以上連れ添うカミさんからの情報のみで、その姉さんが一体、どんな人生を歩まれたのか推量する余地が無い。
親戚とはいえ遠い異国の地の生活背景なんぞ思い知るすべも無く、漫然と“死”を受け止める。
声すらも、殆ど交わした事が無い。
回復不能な腎不全による尿毒症物質による皮膚掻痒症が、亡くなる直前まで彼女をこれでもかと苦しめた・・・。
入院から半年間、入院治療費の日本からの送金の段取りで、、ウチのカミさんと島根県に住む姉さんの間と現地と電話やメッセンジャーを通じたやり取りが延々

24時間の病院での付き添い介護も、自宅と、その入院先までの通院距離の長さも、現地家族の体力的、精神的な大きな負担と為っていた。
日本とは違い、海外へ出稼ぎにでる兄弟姉妹以外が揃って暮らす事が当たり前の文化・世帯経済環境の国。
大家族とて、交替交替の看病生活が、

介護する側とされる側の「エゴ」が、互いの心労と、更には病人本人にしか解らない病苦が、共に日に日に増殖して往くのが、カミさんのこぼす愚痴から見て取れた・・。
「介護殺人」なんぞという単語が有りか否か、このままエスカレートしたらば、面倒な事に成る、そんな予感すらさせた。
“国”が違えども、直面する苦労、背負う心労は同じなのだとつくづく実感した。




某日某日、いつか、いつの日か、こういう日が来れば私の子供時代の踊りの先生の夢が、思い描いた通りに成った、成就した、証しであろうなと思って来た事が、ついに実現した・・・。
具体的出自に謎の部分も多く、生前のご本人も、その出生の多くを決して自ら語ろうとはしなかったに日本舞踊の師匠H先生。
遠回りには、ワタシのテレビ業界入りと今のカミさんとの必然の出会いを繋ぐ方でも在る。
歌舞伎・尾上流の流れを汲み、先代尾上菊之丞氏の振り付け助手となり、「都をどり」から「大阪万博・日本の祭りナショナルデー」、故黒澤 明監督のフィルム作品振り付けから文化庁の海外派遣使節を歴任するなど描き切れぬ程の功績を納めつつ、8年前に73歳で亡くなられた。
其れまでの

受験問題、経済問題、信仰からの離脱、様々な事情でその子供達の集団も激しく離合集散の後、古典舞踊の世界でローカル新聞社や財団法人主催のコンテストに於いて、個別に成長した若手のその舞踊家達が、相次いで優秀賞を例年の如く受賞し続け、その功労によりH先生ご自身も、育成の栄誉を称え表彰を受けた。
ワタシ自身はもう既に20代で、この舞踊集団を辞めてしまっているので、その場に居合わせないし、結婚時とテレビディレクターとしての活動期以外の親交は皆無であったが恐らく、度重なる受賞は、ご自分の信念の成就を体現させたものに他ならない、と確信する。
とは言え、新聞社や財団での受賞はクローズサーキットであり、クロサワ映画へのかつてのその子供たちの参画は、H先生存命中の遠い過去の話で在る。
時は過ぎ、残暑厳しいこの9月末、NHK Eテレ「古典芸能への招待」 古典芸能を未来へ~尾上流の芸 と題し、今夏創設70周年を迎えた「尾上流」の音羽屋・親子三代に渡る新作舞踊劇に若手名手として、この時の子弟の彼ら彼女らが共演・・・・。
ついにマスメディアのゴールデンタイム 新国立劇場の開園直前の「定式幕」前に、皆の名前がテロップスーパーとしてスクロールした。自分も在籍当時、踊り手のひとりとしてテレビ朝日「水曜スペシャル」やフジテレビ「笑っていいとも!」枠の前身「ハイヌーンショー」やらにチビッ子芸能人企画で駆り出されたが、それらは、この「構想」の前哨戦に過ぎなかった。


当時、数十人居た少年少女のウチの数名、数は僅かだが永く40年の歳月を掛け、庶民の中から、「松竹」系列では無い舞踊家達が、伝統と格式を重んじる「音羽屋」の舞台に立ったのだ。
天国のH先生もさぞかし、この活躍の流れをお喜びであろう・・・。


・・現状、「日本の踊り」で世界平和を!とは決して往かぬ、残念で痛い世界・世の中に為った。
幼い頃、創価学会の信仰で、この踊りで世の中を変えるんだ!変えて見せるんだ!と曼荼羅を拝んでは舞台に立った記憶・・・、これは狂気の沙汰だ、今思えば・・。

宗教はアヘンである、とはさる哲学者の格言だが、その信仰は、困難に立ち向かう幼い素人が、舞台に立つ恐怖心を払拭し、湧き立たせる単なる洗脳行為であったに過ぎない。
何も曼荼羅を何時間も拝まなくても、拝んでいない人でも、信念と伝統に裏打ちされた稽古を積み上げれば、大舞台の緊張から開放され、大観衆の前で見事に自己実現・自己表現する潜在能力が在る。
菊五郎さんでも菊之助さんでも。(楽屋・劇場小屋にある神棚と先代の遺影は拝むであろうが)
「24時間テレビ」に登場する障がい者のパフォーマーの方でもヒトの魂を揺さぶる力を持つ。曼荼羅を拝んではいない。
この舞踊集団の広告情報戦略には重大な錯誤がある。
記事編集に外部(踊る舞踊手が片手間で運営)選任者を持たぬ事も情報発信力を弱めており、YouTubeを含め総当たり的にネット向けアプローチを実施しているが、情報更新進まず記事が非常に古い。

だから何なのか?
それがどうしたのか?
時すでに、「平成」の世が終わろうとしている中、何十年も以前の栄誉を呼称し続けて今一体、何の意味を持つのか?
その「あと」は一体、どうなのか?これからの未来はどうなのか???
公演企画も弱い・・・。新しさが無い。先代を追う旺盛な公演企画力が無い。
いつまでも、狂言「茶壷」と舞踊選集ばかりの演目構成。
養子として相続された「H 聡」氏が見えない・・・。
このベクトルでイイ筈が無い。
観客動員と公演実績、開催地の選択が、長く創価学会勢力分布の地域に偏り過ぎていて、動員のマーケット自体が一般的では無く、クローズサーキットなのだ。これは舞踊団設立のフィロソフィーに著しく逆行している。
このマーケットが創価学会婦人部層の死滅による自然減に陥れば、舞踊団はあっという間に公民館クラスかスーパー銭湯劇場の選任舞踊団に凋落するであろう・・・。
団員全員に厚生年金や介護保険
社会保険の資格給付は出来ているのだろうか?
まさか、今の時代、過去同様、全ては在籍舞踊手の実家の扶養家族扱いに依存してまいか?
先代が成し遂げえない道を進まにゃならない!!
新しく、深く、真摯に、様々に模索の必要がある・・・・。
舞踊集団菊の会 Hさん!大丈夫か?アイディアなら幾らでも考えるが・・・。
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