ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
本格的な
「夏」を前に芸能人の方の訃報が、相次ぐ・・・。
「芸能人」・・・。自ら選んだ「道」であろうから、仕方が無いが、こんな時代、喰うや喰わずのヒトも相当多い筈だ・・。
サラリーマンならいざ知らず、人気の在るウチに「資金」を貯め凋落しても「開業」して自らの「道」を再び築ける「強運」なヒトは少ない・・・。
毎月、一定の金額の生活に足りる「お金」の入らない、自営業・・・・・。
わたしが高校生の頃、母親を突然亡くし「舞台裏」の世界に入り、初めて知り合った「芸能人」は「大木凡人」さんと「吉村明宏」さん・・・。共に身長が高く「オーラ」に溢れていらした・・。
以前、当ブログで触れたが東京・後楽園ジャンボプールの数万人のプール入場者向けに夏休み中毎日開催されたステージ・イベントで長くご一緒した・・・。

http://ameblo.jp/ooki-bondo/
後年、TBSが1982年~(昭和57年)月~金で関東近県から毎日ナマ中継した歌謡バラエティ番組「街かどテレビ11:00」でのご活躍が目覚しいが、当時、東京・赤坂界隈の超高級クラブでの司会業やお菓子のテレビCMで、稼いでいらした「大木凡人」さん・・・。
スカイブルーのパンタロンに真っ白のエナメルベルト、真黄色のゴルフシャツ、厚みの充分あるお財布をポケットに刺し、毎年夏
お仕事で1ヶ月半、お会いした・・・。周囲のスタッフからも「凡ちゃん、凡ちゃん」と呼ばれ、大きな身体で屈託の無い「笑顔」を常に振りまいていらした・・。
子供のわたしにも、全く分け隔てなく「敬語」で接し続け、「恐縮」した記憶がある・・・。
当時から、アノ大きな大きなフレームの黒ブチ眼鏡は「ダテ」であった・・。今はたぶん、「老眼」かなァ・・・。

一方、東京ローカルながら、かつての「夕焼けニャンニャン」(CX)のように夕方の中高生をテレビ前に釘づけにした「ぎんざNOW!」1975年(昭和50年)で芸能界デビューを果たす「吉村明宏」さん。
神奈川県ご出身という事で「ハマっ子吉村」を名乗り、真っ黒に日焼けした精悍な身体に真っ白のTシャツ短パンがこれまた、絶妙に「芸能人オーラ」を際立たせた・・・。
「吉村」さんとも、「大木凡人」さん同様、
毎夏1ヶ月半に渡りお仕事をご一緒させて戴いた・・・・。
土曜お昼のTBS「笑って笑って60分」1975年(昭和50年)に「小松政夫」「伊藤四郎」といったコメディー界の重鎮とともにレギュラー出演しており、知名度は抜群であった・・。
詳しいいきさつは存じ上げないが、この番組は当時の芸能界に君臨した「渡辺プロダクション」の製作であり、ご本人も現在の「ホリプロ」では無く「ナベプロ」の所属ではなかっただろうか?・・・・。
ちなみに、この「笑って笑って60分」で当時、番組ADを勤めていたのが、後にわたし自身がお世話になるこのブログでも紹介した、「六本木の製作会社・H社長」・・・。
「吉村」さんには、その後かなりあとに、わたしがディレクターとしてひとり立ちし、NTTのイベントの企画・演出を手掛けるようになった頃、再び巡り合う事が出来た・・・。
イベントに関わるいきさつをお話し、ありがたく、ご協力を快諾戴いた・・。
後楽園での勤務当時、この先、何かご縁があれば・・・、と
自宅のお電話番号を伺っていたのがおおいに役立った・・・。
すぐさま「ホリプロ」のマネージャー氏をご紹介戴き、正式にイベントへの出演を要請し、デビューしたての「山瀬まみ」さん等ゲストタレントもブッキングした。
また、不思議な事に、偶然、彼のマネージャー氏がわたしと同じ町内に住み、それをご縁に地元で
度々お酒をお供した・・・。

http://www.reve21.co.jp/result/contest/contest2008/report/
・・・共に「芸能生活」の長いおふたり、どうか、末永く、ご活躍いただきたい・・・。
それにしても「芸能人」の生き様、ここ数日の
「訃報」に接するにつけ、実にさまざまである・・・・。

「芸能人」・・・。自ら選んだ「道」であろうから、仕方が無いが、こんな時代、喰うや喰わずのヒトも相当多い筈だ・・。
サラリーマンならいざ知らず、人気の在るウチに「資金」を貯め凋落しても「開業」して自らの「道」を再び築ける「強運」なヒトは少ない・・・。
毎月、一定の金額の生活に足りる「お金」の入らない、自営業・・・・・。
わたしが高校生の頃、母親を突然亡くし「舞台裏」の世界に入り、初めて知り合った「芸能人」は「大木凡人」さんと「吉村明宏」さん・・・。共に身長が高く「オーラ」に溢れていらした・・。
以前、当ブログで触れたが東京・後楽園ジャンボプールの数万人のプール入場者向けに夏休み中毎日開催されたステージ・イベントで長くご一緒した・・・。

http://ameblo.jp/ooki-bondo/

スカイブルーのパンタロンに真っ白のエナメルベルト、真黄色のゴルフシャツ、厚みの充分あるお財布をポケットに刺し、毎年夏

子供のわたしにも、全く分け隔てなく「敬語」で接し続け、「恐縮」した記憶がある・・・。
当時から、アノ大きな大きなフレームの黒ブチ眼鏡は「ダテ」であった・・。今はたぶん、「老眼」かなァ・・・。



神奈川県ご出身という事で「ハマっ子吉村」を名乗り、真っ黒に日焼けした精悍な身体に真っ白のTシャツ短パンがこれまた、絶妙に「芸能人オーラ」を際立たせた・・・。
「吉村」さんとも、「大木凡人」さん同様、

土曜お昼のTBS「笑って笑って60分」1975年(昭和50年)に「小松政夫」「伊藤四郎」といったコメディー界の重鎮とともにレギュラー出演しており、知名度は抜群であった・・。
詳しいいきさつは存じ上げないが、この番組は当時の芸能界に君臨した「渡辺プロダクション」の製作であり、ご本人も現在の「ホリプロ」では無く「ナベプロ」の所属ではなかっただろうか?・・・・。
ちなみに、この「笑って笑って60分」で当時、番組ADを勤めていたのが、後にわたし自身がお世話になるこのブログでも紹介した、「六本木の製作会社・H社長」・・・。
「吉村」さんには、その後かなりあとに、わたしがディレクターとしてひとり立ちし、NTTのイベントの企画・演出を手掛けるようになった頃、再び巡り合う事が出来た・・・。

後楽園での勤務当時、この先、何かご縁があれば・・・、と

すぐさま「ホリプロ」のマネージャー氏をご紹介戴き、正式にイベントへの出演を要請し、デビューしたての「山瀬まみ」さん等ゲストタレントもブッキングした。
また、不思議な事に、偶然、彼のマネージャー氏がわたしと同じ町内に住み、それをご縁に地元で



http://www.reve21.co.jp/result/contest/contest2008/report/
・・・共に「芸能生活」の長いおふたり、どうか、末永く、ご活躍いただきたい・・・。
それにしても「芸能人」の生き様、ここ数日の


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