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味くらべ。

長い夏休みに入った・・・。

我が家は「共働き」なので、残業して買物し帰宅すると家内には夕食の支度が待っており、大変だ・・。

そこへ、わたしが後追いで残業して帰宅すると、夜の10時にふたりで晩御飯となる・・・。
チョットうんざりだ・・・。

家内の実家は、ちいさな食堂を商っており、其のせいか料理は得意である・・・。
フィリピン料理はもとより、煮物、煮魚、茶碗蒸し、南瓜の煮つけ、日本料理も「お手のもの」だ。


結婚して15年が経つが、未だに「焼き物」「揚げ物」の類いは、必ず「カエルマエニ、メール、チョウダイ!」と「頑なな掟」があり、「出来立て」を惜しまず、作る・・・。
グラフィックスho2味噌汁
いまやわたしより、上手にだしをいれ「コクのある」味噌汁をつくります・・。(味はスベテ関東風)

オイシイものをオイシク食べる・・・。
「いただく身分」で贅沢は言えないが、この「掟」が、長きに渡り「破綻」しないのは「 O型 」の所為か・・。
いずれにしても、こう長い間続けられては、アタマがさがる・・・。

で、夏休み中はそうした「食事」の支度から、さすがに「開放」されたいらしく、朝食も3日連続で「マック・モーニング」と相成った・・・。

家内は「ツナマフィン」わたしは「ホットドッグ」・・・。
マックのソーセージの「プリッ」とした感触がたまらない・・。

グラフィックスho1
http://www.publicdomainpictures.net/top-images.php
 
1971年(昭和46年)「フレンチ・コネクション」(原題 The French Connection)はニューヨーク州の麻薬捜査を描いた、アカデミー賞5部門に輝くアメリカ映画。
グラフィックスフレンチコネクション
(画面左 ジーン・ハックマン、右は相棒役のロイ・シャイダー)

1971年(昭和46年)「ダーティハリー」(原題 Dirty Harry)こちらはサンフランシスコを舞台に連続殺人犯を追うアメリカ映画。
後にこの映画公開の影響を受け、ダーティハリー症候群(Dirty Harry syndrome)なる「犯人逮捕時の射殺の正当化傾向」に、全米の現職警官が苛まれるコトに・・・。
グラフィックスho3
(画面は クリント・イーストウッド)

当時、中学生だったわたしは、「描かれた彼ら」の傍若無人な捜査過程の僅かな合間に「ソフトクリーム」や「ホットドッグ」を「ムシャムシャやる姿」にやたら憧れた・・・。

しびれちゃったのだ・・・。いつか、いつの日か判らないけれど、本場(?)で食べてみたい

全米で上記2作品が封切られた同じ年、「マクドナルド・ハンバーガー」第一号店が日本に上陸・・。
わざわざ、銀座まで地下鉄で「食べに」行った記憶がある・・・。

この時代の「ビッグマック」は蓋をしたどんぶりの様に「デカく」「マックシェイク」も「シネコン」にある「キャラメルポップコーン」の容器のように高く、太く、「ポテト」は魚肉ソーセージ並みの厚切りであった・・。

「一度、アメリカでホットドッグを、映画の捜査官達のように立ち食いしてみたい・・。」

グラフィックスmgm
http://www.lasvegasconcierge.us/free_photos_5.html
20数年後、アメリカ・ラスベガスに「研修」で出掛けた時、「夢」が叶った・・・。
映画会社「MGM」の経営するホテルに宿泊し、夜はあらゆる「ショー」を観に出掛ける以外は終日の自由行動。

ホテルとホテルを繋ぐ回廊の途中に、「夢」のホットドッグスタンドはあった・・。

グラフィックスho4
http://pro.foto.ne.jp/free/product_info.php/cPath/21_28_80/products_id/518
2度、3度スタンドの前を行きつ戻りつ、売り子のオンナノコに声を掛け、食べた・・・。

まずい・・・。

パンも肝心のソーセージもフニャフニャ。
ニホンではとても売り物にならない。
これ以上、不味いものを「形容」しても(ていうか気力がナイ)・・なので割愛させていただく。

数十年前、東京・渋谷のJR千駄ヶ谷駅前や体育館脇、代々木公園界隈で見かけた「その筋」の方の「魚肉ソーセージ製ドッグ」の移動販売の方が、何倍も旨いぜェ
この小さな車の後部にオーブントースターを積んで、車内には裸電球を吊るしてた。

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グラフィックスシャウエッセン
「ラスベガス」に出掛けたその時点では、既にパリパリ・ジューシーな「日本ハム・シャウエッセン」(1985年 昭和60年)の味を知っていたので、ナンでこんなモノに何十年も「憧れて」いたのか、自分に腹が立った。

「ジーン・ハックマン」や「クリント・イーストウッド」の頬張る演技にまんまと騙された・・・。
勝手に、「オイシイに違いない」と思い込んでいた訳だ。
世界中から観光客の集まるロスやワシントン、ニューヨークでも、こんな程度のモノなんだろうか?

後日談とさせていただくが、エジプトの「ルクソール」で「5つ星」のホテルでの食事でも、同様の経験をした・・。

欧米人の「味覚」を疑いたい・・。




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これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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