ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
以前、このブログでも子供の頃の「出来事」として触れた、三重県・鈴鹿市にある「鈴鹿サーキット」が50周年を迎える・・。
昭和37年(1962年)開業であるから国内最古の「国際レーシング場」だ・・・。
来月9月初旬、日本の「中嶋 悟」氏をはじめ往年のF1レーサー達50名が集まり、記念のコース周回を行う・・。

「中嶋 悟」氏
昭和41年(1966年)鈴鹿開業の「後を追う」形で、静岡県駿東郡小山町に「富士スピードウェイ」の建設計画が「商社 丸紅」の手により開始・・。
昭和60年前後に「パリ・ダカール・ラリー」で、一世を風靡した「篠塚 建次郎」氏や前出の「中嶋 悟」氏を撮影取材で追いかける「プロダクション」さん(社名が思い出せない)と、一時仕事をご一緒した・・。
記憶が曖昧で申し訳ないが、多分「中嶋 悟」氏のレース出場をメインで撮影する「撮影技術請負の仕事」であった・・・。わたしの「立場」は「技術営業」だかの、「付き添い」・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fisco-mainstand.jpg
「富士スピードウェイ」は開設当初から、その設計・運営・資金面での紆余曲折を余儀なくされた「問題コース」であったが、今回のお話は「撮影カメラマン」のおはなし・・。
機材車で現地入りし、製作依頼主側の「プロダクション」さんに、ご挨拶・・・。
わが「撮影カメラマン・Ⅰさん」名詞交換時に、「不意」に先方の「プロダクション」さんから、こう切り出された・・。
「こういったレースの撮影経験は過去にされたコトありますか?」
「無いです・・・。」(プロカメラマン・Ⅰさん)
ここで、双方が始めて「不味さ」に気付くのだ・・・。
依頼側は電話で「レースの撮影経験」のあるカメラマンを特に事前に希望していなく、請負う側も「レースの撮影経験」の要不用を、人を手配する段階で、全く「認識」シテイナカッタノダ・・・。
「誤算」のスパイラル・・・。
爆音の轟くレース場・スタート地点のスタンドでカメラを構える「カメラマン・Ⅰさん」。
試合が開始され、クルマが周回に入ったた時、彼の用意した「機材」と「技能」が、レースカーのエンジンノイズで瞬く間に「撃沈」されてゆく・・・。

いかなる条件下でも撮影に専念させる特許技術「完全バランス」の三脚。画像は近年の小型HDカメラ用。
http://www.vinten.com/ja/vinten-tv-2
その当時、わたしの居た会社は「テレビ朝日グループ」の中でも、かなり資本整備に遅れのあった部署で、同業の「テレビ朝日映像」や「文化工房」等とは、撮影・編集機材資産が著しく劣っていた・・。
他社が1式100万円する、堅牢なカーボン樹脂のアメリカ製テレビカメラ用三脚を使用していたのに対し、多くの場合、安価な国産品とアメリカ製ヘッドの「組み合わせ木製三脚」で、現場を凌いでいたのだ・・・。

チョット画像が古過ぎるのだが「木製」の「脚」にカメラと三脚を結合させる「ヘッド」部分がある。(決してこの会社の製品が劣る訳では無い)http://www.sachtler.co.jp/
猛スピードで周回するクルマを「全く」カメラで追えないのだ・・。
ファインダーに収める事が出来ない・・・。
右方向にカメラを送るたび、客席スタンドに立てた三脚がズレ動くのだ・・。
「カメラマン・Ⅰさん」。は苛立ち始め、我々に「カメラ三脚」の脚を身体で支えるよう、命じる・・・。
「ガクン!」「チッ!」・・・・「ガクン!」「チクショー・・。」
いまのわたしが想えば、其の場所は「ホームストレート」スタンドのかなり上部であり、そうした「不安定」な場所を諦めて「コースサイド」寄りの「振込み」の少なくて済むポイントに移動し、取り敢えず「立て直す」コトを考えたであろう・・。
暫らくしてこう、Ⅰさんは、洩らした・・・。「出来ねェ・・・。」
サーバー・レンタルサーバー

昭和37年(1962年)開業であるから国内最古の「国際レーシング場」だ・・・。
来月9月初旬、日本の「中嶋 悟」氏をはじめ往年のF1レーサー達50名が集まり、記念のコース周回を行う・・。


昭和41年(1966年)鈴鹿開業の「後を追う」形で、静岡県駿東郡小山町に「富士スピードウェイ」の建設計画が「商社 丸紅」の手により開始・・。
昭和60年前後に「パリ・ダカール・ラリー」で、一世を風靡した「篠塚 建次郎」氏や前出の「中嶋 悟」氏を撮影取材で追いかける「プロダクション」さん(社名が思い出せない)と、一時仕事をご一緒した・・。
記憶が曖昧で申し訳ないが、多分「中嶋 悟」氏のレース出場をメインで撮影する「撮影技術請負の仕事」であった・・・。わたしの「立場」は「技術営業」だかの、「付き添い」・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fisco-mainstand.jpg
「富士スピードウェイ」は開設当初から、その設計・運営・資金面での紆余曲折を余儀なくされた「問題コース」であったが、今回のお話は「撮影カメラマン」のおはなし・・。
機材車で現地入りし、製作依頼主側の「プロダクション」さんに、ご挨拶・・・。
わが「撮影カメラマン・Ⅰさん」名詞交換時に、「不意」に先方の「プロダクション」さんから、こう切り出された・・。
「こういったレースの撮影経験は過去にされたコトありますか?」
「無いです・・・。」(プロカメラマン・Ⅰさん)
ここで、双方が始めて「不味さ」に気付くのだ・・・。
依頼側は電話で「レースの撮影経験」のあるカメラマンを特に事前に希望していなく、請負う側も「レースの撮影経験」の要不用を、人を手配する段階で、全く「認識」シテイナカッタノダ・・・。
「誤算」のスパイラル・・・。
爆音の轟くレース場・スタート地点のスタンドでカメラを構える「カメラマン・Ⅰさん」。
試合が開始され、クルマが周回に入ったた時、彼の用意した「機材」と「技能」が、レースカーのエンジンノイズで瞬く間に「撃沈」されてゆく・・・。


http://www.vinten.com/ja/vinten-tv-2
その当時、わたしの居た会社は「テレビ朝日グループ」の中でも、かなり資本整備に遅れのあった部署で、同業の「テレビ朝日映像」や「文化工房」等とは、撮影・編集機材資産が著しく劣っていた・・。
他社が1式100万円する、堅牢なカーボン樹脂のアメリカ製テレビカメラ用三脚を使用していたのに対し、多くの場合、安価な国産品とアメリカ製ヘッドの「組み合わせ木製三脚」で、現場を凌いでいたのだ・・・。



ファインダーに収める事が出来ない・・・。
右方向にカメラを送るたび、客席スタンドに立てた三脚がズレ動くのだ・・。
「カメラマン・Ⅰさん」。は苛立ち始め、我々に「カメラ三脚」の脚を身体で支えるよう、命じる・・・。
「ガクン!」「チッ!」・・・・「ガクン!」「チクショー・・。」

いまのわたしが想えば、其の場所は「ホームストレート」スタンドのかなり上部であり、そうした「不安定」な場所を諦めて「コースサイド」寄りの「振込み」の少なくて済むポイントに移動し、取り敢えず「立て直す」コトを考えたであろう・・。
暫らくしてこう、Ⅰさんは、洩らした・・・。「出来ねェ・・・。」

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