ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
9月末、母親が亡くなって37年が過ぎた・・・。
遥か37年前の月曜日夜、母は居間で「夜のヒットスタジオ」を観るわたしに、唐突にこう、切り出した・・。

(テレビ画面より)
「オマエ、音響の仕事で、一流に成れるのかい ? 」テレビを観ている16歳の息子に、唐突に・・。
既に周知の通り、母の死後、わたしは舞台の表側に立つ人間から、裏方に転向した。
舞台栄えしない中途半端な161センチの身長に嫌気が差したのと、もの動体視力に直結したもの覚えの悪さ・・。
母の本当に突然の脈略の無い「問い」にワタシは、やや「ムッと」しながら、「ヒットスタジオ」の画面を観たまま、こう言い返した・・・。
「成れるよっ!!」
それが、母と交わした「最期の会話」と成った・・・。
驚く無かれ、わたしの母は翌朝、急逝した。
生前より、心臓に障害が在り、わたしの下の妹を出産する時は産道から菌が入り、数年間入院生活を余儀なくされたが、以降はいたって元気で在り、某巨大新興宗教の機関紙を毎朝、配達していた。
10年間、無給で・・・。毎朝。
わたしの子供の頃はその宗教団体では、世帯ごとに5部10部を不用なのにまとめて採るのが、当たり前で、日本の3大新聞のひとつの社の発行部数を上回っていた統計がある・・。
新聞は彼らの重要な「収入源」で有ったのだ・・。
無くなった9月27日火曜日は、10年間勤めた配達員を終了した翌朝・・・・。
一体、どういうことなのだろう・・・・。
1971年(昭和46年)より紙面が12面化された分厚い機関紙・・。
「人の生き死に」に宗教新聞の「配達」が関わるとは、しかもこんなに「劇的」に・・・。
母の葬儀に「会長」から香典が寄せられ、関係者が大挙して参列に集ったのはいうまでもない・・。
父に命ぜられて1キロ程先の銀行へ大量の「香典」の入った鞄を持って往くと、その金額に応対の行員が「何かご商売でも御初めですか ? 」と尋ねてきた・・・。
母への宣言通り、「音」の仕事で一流の師匠をご紹介戴き、突然一流の「音響エンジニア」の仲間入りをさせて戴いた・・。

http://proaudio.yamaha.co.jp/downloads/photo_library/license_agreement.html
「東京音研」「共立音響」といった国内最高のノウハウを持つ「多くの音屋」さん達ともお仕事を頻繁にご一緒し、東京・渋谷の駅上に在った「東横劇場」に専属で雇って戴いたり、「新橋演舞場」を担当する音響会社から地方出張を依頼されたり、「ニューオータニ」「オークラ」「東京プリンス」「高輪プリンス」「帝国」「品川パシフィック」「京王プラザ」名だたる名門ホテルの、殆んどの「宴会場」で長く「音響」の仕事をこなした・・。
その某新興宗教団体が西武球場で開催した「世界平和文化祭」には、松田聖子担当のレコード会社のミキシング・エンジニアの方と音響ブース内をご一緒させて戴き、サウンド・トラックのオペレーションも担当した・・。
僅か二十歳でわたしを出産し、37歳で生涯を突然終えた母・・。
色黒の目も眉もパッチリした南国美人で、明るい、自慢の母であった・・。
紆余曲折、生々流転、わたしは某新興宗教教団では無く、異国の地のキリスト教会で聖歌に包まれ結婚した・・・。
母の「期待」には応えたが・・・。
親孝行、したい時に、親は無し・・・。


遥か37年前の月曜日夜、母は居間で「夜のヒットスタジオ」を観るわたしに、唐突にこう、切り出した・・。

(テレビ画面より)
「オマエ、音響の仕事で、一流に成れるのかい ? 」テレビを観ている16歳の息子に、唐突に・・。
既に周知の通り、母の死後、わたしは舞台の表側に立つ人間から、裏方に転向した。
舞台栄えしない中途半端な161センチの身長に嫌気が差したのと、もの動体視力に直結したもの覚えの悪さ・・。
母の本当に突然の脈略の無い「問い」にワタシは、やや「ムッと」しながら、「ヒットスタジオ」の画面を観たまま、こう言い返した・・・。
「成れるよっ!!」
それが、母と交わした「最期の会話」と成った・・・。
驚く無かれ、わたしの母は翌朝、急逝した。
生前より、心臓に障害が在り、わたしの下の妹を出産する時は産道から菌が入り、数年間入院生活を余儀なくされたが、以降はいたって元気で在り、某巨大新興宗教の機関紙を毎朝、配達していた。
10年間、無給で・・・。毎朝。
わたしの子供の頃はその宗教団体では、世帯ごとに5部10部を不用なのにまとめて採るのが、当たり前で、日本の3大新聞のひとつの社の発行部数を上回っていた統計がある・・。
新聞は彼らの重要な「収入源」で有ったのだ・・。
無くなった9月27日火曜日は、10年間勤めた配達員を終了した翌朝・・・・。
一体、どういうことなのだろう・・・・。
1971年(昭和46年)より紙面が12面化された分厚い機関紙・・。
「人の生き死に」に宗教新聞の「配達」が関わるとは、しかもこんなに「劇的」に・・・。
母の葬儀に「会長」から香典が寄せられ、関係者が大挙して参列に集ったのはいうまでもない・・。
父に命ぜられて1キロ程先の銀行へ大量の「香典」の入った鞄を持って往くと、その金額に応対の行員が「何かご商売でも御初めですか ? 」と尋ねてきた・・・。
母への宣言通り、「音」の仕事で一流の師匠をご紹介戴き、突然一流の「音響エンジニア」の仲間入りをさせて戴いた・・。

http://proaudio.yamaha.co.jp/downloads/photo_library/license_agreement.html
「東京音研」「共立音響」といった国内最高のノウハウを持つ「多くの音屋」さん達ともお仕事を頻繁にご一緒し、東京・渋谷の駅上に在った「東横劇場」に専属で雇って戴いたり、「新橋演舞場」を担当する音響会社から地方出張を依頼されたり、「ニューオータニ」「オークラ」「東京プリンス」「高輪プリンス」「帝国」「品川パシフィック」「京王プラザ」名だたる名門ホテルの、殆んどの「宴会場」で長く「音響」の仕事をこなした・・。
その某新興宗教団体が西武球場で開催した「世界平和文化祭」には、松田聖子担当のレコード会社のミキシング・エンジニアの方と音響ブース内をご一緒させて戴き、サウンド・トラックのオペレーションも担当した・・。
僅か二十歳でわたしを出産し、37歳で生涯を突然終えた母・・。
色黒の目も眉もパッチリした南国美人で、明るい、自慢の母であった・・。
紆余曲折、生々流転、わたしは某新興宗教教団では無く、異国の地のキリスト教会で聖歌に包まれ結婚した・・・。
母の「期待」には応えたが・・・。
親孝行、したい時に、親は無し・・・。


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