ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
中断していたFace Bookで20数年ぶりに、後輩の知人と再会を果たした・・。
「F」クン、いや、時すでに「F」さんとお呼びするべきだろう・・・。
このブログに度々登場する、昭和歌謡の大作曲家・筒美京平氏の従兄弟社長が経営する制作会社に勤務当時のことである・・。
広告代理店「電通」の参事じきじきの持ち込み企画に、わたしと「F」さん、それにプロデューサーの「M」さんで対応した1時間の情報ナマ番組・・。
生活情報からグルメ、映画、洋楽、スポンサーのTDL,と扱う幅が多方面に渡った・・。

http://www.ipa.go.jp/
高原 兄氏、堀江 淳氏、ジョージ・ルーカス監督、桂 由美氏、故ジョー山中氏、取材相手や大勢のレギュラー出演者、ゲスト。雪崩れの如くのスケジュールは持久戦となり、自宅に帰れぬ月日が延々続いた・・・。

http://www.pakutaso.com
洗濯物を、折り畳み自転車が収納できる位大きなバッグに詰め込み、着替えが無くなったら、タクシーで自宅へ帰り、コインランドリーを4台一気に廻し4時間程で再びタクシーで会社にとってかえす・・・。
昼間はロケ取材とロケ交渉、出演交渉、夜は構成台本、企画リサーチ、VTR編集、月曜の夜の生放送なので、週末は殆んど徹夜作業・・。
その全ての作業に「F」さんは付き合ってくれた・・。
何日も、何日も・・。終わりの見えない日々を過ごしたのだ・・。
東宝撮影所に程近い東京・祖師谷大蔵に住み、映画学校を経て、この会社にやって来た・・。
いつも元気で、明るく、笑うと顔をクシャクシャにする「F」さん・・。
白いスニーカーに綻びだらけのブルージーンズが若々しかった・・。
そんな彼の「奇跡」も、目の当たりにしたコトがある・・。
とあるシゴトで横浜の埠頭へ撮影に出掛けた翌日の朝、収録したVTRテープを仮編集用にダビングしようとした。
事務所の彼の机の周りは前日に撮影が終了したばかりで、小道具や荷物が散乱・・。
ところが荷物を掻き分け探せど探せど、撮影済みのVTRテープが一向に見つからない・・・。
突然、「F」さんは車のキーを掴むと、決死の形相で全力で事務所を飛び出した


恐らく、銀座から高速を使い、横浜港の公園へ向かったのだ・・。
そう、彼はついうっかり撮影したテープを、現場撤収の際に敷地内に置き忘れてきたのだった・・。

http://komekami.sakura.ne.jp/
「奇跡」なのだ。通りがかりの人に持ち去られるコト無く、雨が降るで無く、貴重な貴重な制作コストや大勢の労働力を集約した撮影済みテープは、前日、彼が撮影現場を立ち去ったアト、そのまんま、ソノマンマ・・、蒼白で駆けつけた彼の手に見事、戻った・・。
1年間の間、制作に没頭しわたしは疲弊し自ら番組を降板した・・。その後普通に
朝、起床し、
夜になれば眠りに就くのに大変な時間を要した・・。
「F」さんは共に歩んできたプロデユーサーとともに、わたしの後を引き継いで、別な会社に「移籍」し番組制作を続けた・・。
数ヵ月後、元ダウンタウン・ブギウギバンドのメンバーの方が経営する東京・歌舞伎町のお店で偶然、出会った。
わたしの顔を見るなり、
アルコールの力もあったのだろう、号泣しだした・・。
自分と組んでいた当時は、細かく面倒をみている物理的な時間が無く、演出・取材構成のスタイルは放置状態だった。
が、所属する会社が変わり、チーフプロデューサーが代わり、自ずと望まれるスタイルも変わるのだが、そんな、今の「自分」を全否定された、という・・。

http://www.ipa.go.jp/
かえす言葉が出なかった・・・。
わたしの所為でもある・・。当時のわたしでは、なだめるのが精一杯であった・・。
今なら、しっかり、受け止めてあげられるのだが・・・・・、遅いか。
「F」クン、いや、時すでに「F」さんとお呼びするべきだろう・・・。
このブログに度々登場する、昭和歌謡の大作曲家・筒美京平氏の従兄弟社長が経営する制作会社に勤務当時のことである・・。
広告代理店「電通」の参事じきじきの持ち込み企画に、わたしと「F」さん、それにプロデューサーの「M」さんで対応した1時間の情報ナマ番組・・。
生活情報からグルメ、映画、洋楽、スポンサーのTDL,と扱う幅が多方面に渡った・・。

http://www.ipa.go.jp/
高原 兄氏、堀江 淳氏、ジョージ・ルーカス監督、桂 由美氏、故ジョー山中氏、取材相手や大勢のレギュラー出演者、ゲスト。雪崩れの如くのスケジュールは持久戦となり、自宅に帰れぬ月日が延々続いた・・・。

http://www.pakutaso.com
洗濯物を、折り畳み自転車が収納できる位大きなバッグに詰め込み、着替えが無くなったら、タクシーで自宅へ帰り、コインランドリーを4台一気に廻し4時間程で再びタクシーで会社にとってかえす・・・。
昼間はロケ取材とロケ交渉、出演交渉、夜は構成台本、企画リサーチ、VTR編集、月曜の夜の生放送なので、週末は殆んど徹夜作業・・。
その全ての作業に「F」さんは付き合ってくれた・・。
何日も、何日も・・。終わりの見えない日々を過ごしたのだ・・。
東宝撮影所に程近い東京・祖師谷大蔵に住み、映画学校を経て、この会社にやって来た・・。
いつも元気で、明るく、笑うと顔をクシャクシャにする「F」さん・・。
白いスニーカーに綻びだらけのブルージーンズが若々しかった・・。
そんな彼の「奇跡」も、目の当たりにしたコトがある・・。
とあるシゴトで横浜の埠頭へ撮影に出掛けた翌日の朝、収録したVTRテープを仮編集用にダビングしようとした。
事務所の彼の机の周りは前日に撮影が終了したばかりで、小道具や荷物が散乱・・。

突然、「F」さんは車のキーを掴むと、決死の形相で全力で事務所を飛び出した



恐らく、銀座から高速を使い、横浜港の公園へ向かったのだ・・。
そう、彼はついうっかり撮影したテープを、現場撤収の際に敷地内に置き忘れてきたのだった・・。

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「奇跡」なのだ。通りがかりの人に持ち去られるコト無く、雨が降るで無く、貴重な貴重な制作コストや大勢の労働力を集約した撮影済みテープは、前日、彼が撮影現場を立ち去ったアト、そのまんま、ソノマンマ・・、蒼白で駆けつけた彼の手に見事、戻った・・。
1年間の間、制作に没頭しわたしは疲弊し自ら番組を降板した・・。その後普通に


「F」さんは共に歩んできたプロデユーサーとともに、わたしの後を引き継いで、別な会社に「移籍」し番組制作を続けた・・。

わたしの顔を見るなり、

自分と組んでいた当時は、細かく面倒をみている物理的な時間が無く、演出・取材構成のスタイルは放置状態だった。
が、所属する会社が変わり、チーフプロデューサーが代わり、自ずと望まれるスタイルも変わるのだが、そんな、今の「自分」を全否定された、という・・。

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かえす言葉が出なかった・・・。
わたしの所為でもある・・。当時のわたしでは、なだめるのが精一杯であった・・。
今なら、しっかり、受け止めてあげられるのだが・・・・・、遅いか。

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