ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
「吉屋 信子」氏なる明治生まれの小説家が、(昭和46年・1971年没)亡くなる2年前に「週間朝日」に連載執筆した長編時代小説「女人平家」のテレビドラマ版がBS11にて現在放映中である。
bs11.jp/drama/1970/
漢学者で、後の鎌倉幕府の実力者・大江広元と尼寺育ちの「吉永小百合」氏演じる「女人」の悲恋を平家興亡の歴史と絡めあわせ描く時代絵巻・・。(昭和46年・1971年10月~全20話)

(テレビ画面より)
故「田中 絹代」氏、「有馬 稲子」氏、「新藤 恵美」氏他映画・演劇の重鎮が競演する。
NHKの日曜よるの「大河ドラマ」が、まだ「大型時代劇」と呼ばれた当時、大阪「朝日放送」と斜陽した映画本編製作に見切りを付け、テレビ映画にシフトした「松竹京都映画」の渾身の作品。

(テレビ画面より)
製作予算の大半は出演料と美術費、衣装・小道具とに割り振られたであろう事から、平等院鳳凰堂や京都御所近辺の外壁等、ふんだんなロケセットで「御殿」以外の美術費を切り詰めている様子が伺える・・。
手前の「御車」の隊列を明るく照射し、奥へ連綿と続く「たいまつ」行列シーン。当時のフィルム感度で、リアルな夜間の屋外でのこの様な撮影は、相当の時間を要した筈である・・。40数分の画像構成の中で、こうした「ロングショット」が本当に少ない・・。「画」を拡げれば広くしたぶん、予算が掛かるのだ。

(テレビ画面より)
「東映京都」の大規模な敷地で創り込むセットには敵わないものの、「御殿」を模した狭いセットでも奥行き感を出すなど随所にその撮影苦労が偲ばれる。
そんな中、「手抜きカット」も発見した・・。画像を撮り損ねているのだが、公家式結婚(と思うが)のくだりで、「母屋の階段をおごそかに登るシーン」が描かれる。
「おひきずり」で足元が見えない為、その「お足元」を撮る為何を思ったのか「監督」は、階段の裏側にカメラを構えたのだが、コノ「1間ほどの小さな黒塗りの階段」がそれは陳腐なボコボコのキズだらけの代物。
当時の「大阪・朝日放送」のドラマ部門映えぬきのディレクターおふたりと、故「勝新太郎」氏主演の「悪名」や故「市川雷蔵」氏主演の「眠狂四郎」シリーズなど手掛けた有名監督らが持ち回りで「監督演出」。
この中に「大熊邦也」氏と仰る方がおいでになる。昭和育ちの方ならばこの方のドラマの名前くらい、一つはご存知な筈・・。
「天皇の世紀」「おくどはん」「ザ・ハングマン 」「新 必殺仕置人」「必殺からくり人 」「必殺仕業人」「必殺必中仕事屋稼業」「斬り抜ける」等々。
わたしは結婚前、「大阪・朝日放送」発局の一連の情報番組で、この方の「プロデュース」の下で大変にお世話に成った・・。わたしとこの「大巨匠」を結びつけて下さったのは、既にこのブログでご紹介の映画監督である。
※関連記事が2013年11月7日付けにございます!是非!ご覧下さい!
今現在、数ある「人物検索」でこの方のお名前を調べても、その「来歴」に触れたものが全く無い。
並み居る監督・プロデューサー群の中で、ドラマ・情報バラエティも含め数百本を手掛けていらしたのに、この状態は誠にお気の毒である・・。
仕事には大変厳しい方であり、作品の仕上がりが叶わなければ放送直前であろうと容赦なく「再度撮影」「再編集」を求め強面でも著名で、その手のハナシには枚挙に暇が無い・・。
ある年の

秋頃だったか、たまたま当時お世話に成っていた東京・新宿の映画監督の事務所近くに、関西のご自宅とは別にセカンドハウスを設け引っ越されて来た事があり、「お祝い」にお部屋の片付け・掃除にABCプロデューサーの方らと駈け付けた事がある・・。
留守中に電気の配線やらガスコンロの油汚れやらを修繕したらば、大変なお喜びようで出先から帰り戻ったその足で「食事に行こう!」と

タクシー数台を連ね「赤坂」へと案内された。

高級イタリアンレストランで10数万円分もの飲食をして、かえって大変恐縮してしまった・・。

今日3月5日は、わたしと妻の十数回目の「結婚記念日」である・・。
東京・新宿で開いた「披露パーティー」も、故「逸見政孝」氏とならんで発起人のおひとりとしてお世話戴いた・・。
ほんとうに、ありがとうございました・・。

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(テレビ画面より)
故「田中 絹代」氏、「有馬 稲子」氏、「新藤 恵美」氏他映画・演劇の重鎮が競演する。
NHKの日曜よるの「大河ドラマ」が、まだ「大型時代劇」と呼ばれた当時、大阪「朝日放送」と斜陽した映画本編製作に見切りを付け、テレビ映画にシフトした「松竹京都映画」の渾身の作品。

(テレビ画面より)
製作予算の大半は出演料と美術費、衣装・小道具とに割り振られたであろう事から、平等院鳳凰堂や京都御所近辺の外壁等、ふんだんなロケセットで「御殿」以外の美術費を切り詰めている様子が伺える・・。


(テレビ画面より)
「東映京都」の大規模な敷地で創り込むセットには敵わないものの、「御殿」を模した狭いセットでも奥行き感を出すなど随所にその撮影苦労が偲ばれる。
そんな中、「手抜きカット」も発見した・・。画像を撮り損ねているのだが、公家式結婚(と思うが)のくだりで、「母屋の階段をおごそかに登るシーン」が描かれる。
「おひきずり」で足元が見えない為、その「お足元」を撮る為何を思ったのか「監督」は、階段の裏側にカメラを構えたのだが、コノ「1間ほどの小さな黒塗りの階段」がそれは陳腐なボコボコのキズだらけの代物。

当時の「大阪・朝日放送」のドラマ部門映えぬきのディレクターおふたりと、故「勝新太郎」氏主演の「悪名」や故「市川雷蔵」氏主演の「眠狂四郎」シリーズなど手掛けた有名監督らが持ち回りで「監督演出」。
この中に「大熊邦也」氏と仰る方がおいでになる。昭和育ちの方ならばこの方のドラマの名前くらい、一つはご存知な筈・・。
「天皇の世紀」「おくどはん」「ザ・ハングマン 」「新 必殺仕置人」「必殺からくり人 」「必殺仕業人」「必殺必中仕事屋稼業」「斬り抜ける」等々。
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わたしは結婚前、「大阪・朝日放送」発局の一連の情報番組で、この方の「プロデュース」の下で大変にお世話に成った・・。わたしとこの「大巨匠」を結びつけて下さったのは、既にこのブログでご紹介の映画監督である。
※関連記事が2013年11月7日付けにございます!是非!ご覧下さい!
今現在、数ある「人物検索」でこの方のお名前を調べても、その「来歴」に触れたものが全く無い。
並み居る監督・プロデューサー群の中で、ドラマ・情報バラエティも含め数百本を手掛けていらしたのに、この状態は誠にお気の毒である・・。
仕事には大変厳しい方であり、作品の仕上がりが叶わなければ放送直前であろうと容赦なく「再度撮影」「再編集」を求め強面でも著名で、その手のハナシには枚挙に暇が無い・・。
ある年の



留守中に電気の配線やらガスコンロの油汚れやらを修繕したらば、大変なお喜びようで出先から帰り戻ったその足で「食事に行こう!」と








東京・新宿で開いた「披露パーティー」も、故「逸見政孝」氏とならんで発起人のおひとりとしてお世話戴いた・・。

ほんとうに、ありがとうございました・・。

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