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締出されて「視た」モノ。

1913年大正2年創刊の経済誌「週間ダイヤモンド」が100周年を迎えている。
グラフィックスみてみぬ1
http://www.diamond.co.jp/
今週の特集記事は『経済ニュースを疑え!報道現場の裏側を明かす』。
狭い島国ニホンを跋扈する巨大メディア内部に蔓延する構造的問題を検証している意欲作!

「小泉純一郎元総理」に告ぐ通算1800日を超える任期を勤めた「中曽根康弘元総理」の頃、長期政権政党自民党の「夏の研修会」に度々、同行取材した・・。
グラフィックスみてみぬ2
Japan LDP HQ.jpg
箱根や軽井沢の西武系「プリンスホテル」が使用され、午前から午後は研修施設内で「政策研究会」、夜はホテル内の一番おおきな宴会場で「大宴会」である。

同行した「テレビ朝日の政治部自民党キャップ」は僅か数分間、数名の国会議員に極めて手短に話を聞き終わると、我々に「撮影機材」を下げるよう命じ、「どんどん、好きなもの食べて・・。」
グラフィックスみてみぬ3
http://www.princehotels.co.jp/karuizawa-east/plan/longstay.html/
「プリンスホテル」の提供する「宴会料理」をご馳走に為りながら、「これじゃあ、ワルイコトは云えなくなるなるなァ・・。」と、「政治素人」ながら思った・・。見て見ぬ振り。

確か記憶では、「宿泊等の経費一切」は「政党持ち」と聞いて「ヘぇー」と思った覚えが在る・・。テレ朝のみならず、NHKは判らぬが「国会映放記者クラブ」所属の「民放各社」が「料理」を振舞われて居たので、同様だった筈。

メディアとの交際費といった趣か・・・。
今現在はどうなのだろう、未だ続いているのやら・・・。


わたしが中学生の頃、年間を通して、よく舞踊の仕事で「地方巡業」をした。

夕方6時開場で6時30分開演、公演終了は8時45分前後で大急ぎで撤収。
大道具や照明・音響機材を積んだトレーラーは翌日の公演先へ移動。
市民会館・県民ホールといった施設からほど近い宿に迎えば、よる11時近く・・。

舞台の「裏方勢」は、公演終了後深夜、「店じまい」の早い地方都市を飲み歩くのだが、「出演者勢」は子供も大勢おり体調管理も重要で部屋に篭もるものだった。
当時、未成年の労働基準による8時以降の就労規制は無かった筈。でないと「すし屋のケンちゃん」等子供メインの「連続ドラマ」は成立していないと思う・・。



総勢で60名以上にのぼる出演者、スタッフは比較的収容規模の大きいビジネスホテルに宿泊の場合が殆んどであった・・。
具体的にいつ頃の何処の「都市」か記憶は全く無いのだが、大半はおとなの男性出演者との『ツイン部屋』での宿泊だったが、その夜はたまたま、客室の手配都合で、わたしひとり『シングル部屋』であった・・。

そうなると他の同年代の出演者たちと、高まる期待で騒然としてしまうのが、有料の東映製「ロマンポルノ」チャンネル。
まだブラウン管テレビの脇に鉄製のコインボックスが装備されて、タイマー課金の時代・・。

はやる心を抑えつつナンテ「冷静」な言葉は「辞書」にありゃしない
「投入」すべき「百円硬貨」さまのナイ事に気付き、慌てて両替に出て、自室に戻ろうとドアを押せども開かない
40年前でも、「オートロック」施錠が在ったのだなぁ・・・。

階下のホテル・フロントに助けを求めると、「お部屋の前でお待ち下さい・・。」との事。

長く、薄暗い廊下の自室の前で突っ立っていると、エレベーター方面から「凄く見覚え」の或る「女性」が歩いて来た。「厚化粧」「ゴージャス」なボリュームの「ヘアースタイル」、「タイトな黒のロングドレス」に、ホテル廊下のダウンライトに「スパンコール」が鈍く輝いていた・・・。
すこし上の方を見詰める感じで、ひとりスタスタとわたしの部屋の「隣のドア」に消えていった。

わたしとは「目を合わさず」。

凄く見覚え」の或る「歌手であり女優」さん・・・。
グラフィックスみてみぬ6

スグ、その後から、体格のガッシリした髪を真ん中から分けた白目の大きな(力石 徹みたいな)、ベージュのサマーセーターを着た中年オトコがエレベーターから現れ、わたしの真横を通り抜け、やはり同じ様に「隣部屋」に消えた・・。

程なく、ホテルマンが数扉離れた「従業員通路」から現れ、「開錠」してくれた・・。
このフロア階の部屋は、おそらく皆「シングルベッド」。

中学1年生の男子であったわたしは、オンナの「人」にはあそこの「アナ」が3つ在る、と聞いて「三角形」に空いているのかなァと思っていた「青少年」・・。

其の夜、ドスン、バタンと「隣部屋」から騒音がしていたが、まさか隣部屋でそんな「行為」が実施されていようとは積極的な「想像」が働かず、それよりも、100円硬貨の残数と「ピンク映画」のストーリー進行の、あまりの遅さに手に汗握っていた「夜」であった・・。

グラフィックスみてみぬふり5

いまの時代ならば、その「歌手であり、女優である女性」もわたしも互いに「見て見ぬ振り」なんてムリだろうね・・。
「写真週刊誌」なんてナイ時代、「カメラ付き携帯電話」なんてのも無い時代。


でも、まさか40数年後にこんな形でお話しするとは・・・。

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これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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