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一緒に遣って行きましょうヨ!

CX『ボクらの時代』(日曜あさ7時)
この朝は一時代を築いた「女優」さんのトーク。
この番組については、過去にも絶賛したが、相変わらずトークのロケーションといい都度のキャスティングといい絶妙な制作ぶりだ・・。
「1対1」形式では無いスタイルも「異例」である・・。

グラフィックス一緒に1
(テレビ画面より)
短時間で、いともカンタンに「相互に赤裸々」に語らせる「マジック・ブッキング」

グラフィックス一緒に2
(テレビ画面より)
未だにハイソなオーラ全開の方①

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グラフィックス一緒に3
(テレビ画面より)
未だにハイソなオーラ全開の方②

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(2008/06/21)
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グラフィックス一緒に4
(テレビ画面より)
未だにハイソなオーラ全開の方③

舞台プログラム 劇団四季 アプローズ(喝采)(1983年) 演出:浅利慶太 出演:前田美波里、三田和代、浜畑賢吉、市村正親 ほか舞台プログラム 劇団四季 アプローズ(喝采)(1983年) 演出:浅利慶太 出演:前田美波里、三田和代、浜畑賢吉、市村正親 ほか
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不明

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前田美波里さんの和服姿では無く、とある「日本舞踊」の宗家2代目の方。
グラフィックスいっしょに7
(HPより)
何度となくこのブログで登場する、わたしの在籍した国内を代表する「舞踊団」に在籍当時、お世話に成った「大先輩Aさん(仮名)」で在る・・。
目隠しを取れば前田美波里さんと「瓜ふたつ」
ご本人はソックリなのに、「美波里さんて、素敵よねェ・・。」と仰っていた。


たまたま当時住んでいた家が近く、舞台公演に必要な膨大な「古典音楽」「邦楽」「民謡」等の「音源管理」を互いに託されていた事も在り、「レコード音源」の録音やらダビング編集作業が深夜まで及ぶ事が当たり前に多かった・・。全て「無給」の作業である。


「自腹でタクシーで帰ります・・。」
「いいから、送って往くわよ!」

恐縮し、遠慮するわたしを、何度も「愛車」で送って下さった・・。

その途中、東京・新宿に誕生して間もない「京王プラザホテル」の喫茶「樹林」(たしか24時間営業だった筈)で「コーヒーを飲みましょうヨ!」と言っては、しょっちゅう「ご馳走」に成った・・。


二十歳前のわたしには「オトナの世界の味」がした・・。


詳しい事は省くが、フジテレビ系列でご活躍された昭和を代表する「放送作家」の大御所から、ある「超大物演歌歌手」の新年の日本武道館公演において、特別に書き下ろした『舞踊劇』でこの「大先輩Aさん」が「女房役」に大抜擢された・・・。
劇中音楽担当はやはり歌謡界の大御所・故「服部良一」氏。

「Aさん」は、この公演の本番リハーサル最中、この「舞踊団代表(故人)」から、公衆の面前で、謂れの無い、誠に不可解且つ人権蹂躙な「叱責」を受けた・・。
あまりの「代表先生」の突然の剣幕に、武道館舞台袖の大勢の出演者や音響・照明・制作進行スタッフは皆、固まった・・。

「先生」とは云え、女性で在るが故の「体調・感情不良」なんぞという「気分」のモンダイでは済まされない超大ベテラン「代表先生」の激高ぶりは、日本初の「大阪万博」や「日劇」「都をどり」といった幾多の名誉ある舞踊振り付けをこなす「大巨匠」にあるまじき「醜態」の一面が在った・・・。

「何よ!その態度はっ!」

「美貌・資質・資力」の全てに於いて長けた「大切で頼りになるお弟子で在ったAさん」への嫉妬・秋霜が「師匠」の立場を利用して「火を噴いた」のだ・・・。

その時の「困惑」仕切った「大先輩Aさん」の顔は、今でもわたしの脳裏に焼き付いている・・。
グラフィックス一緒に6
Nippon Budokan 2010.jpg

その武道館舞台を境に「Aさん」は電撃的に退団した・・・。
永年、身を粉にして尽くして来たのに「師匠」の意味不明な『激情』を買い、誰一人庇うでもなく・・・。


その何年も後、演歌歌手「島倉千代子」氏の音響エンジニア氏から誘いを受け、とある「ホール」へ呼び出された。
其処には「舞踊団」離脱後、自らを鼓舞し「舞踊宗家」を継承した「Aさん」の輝ける「雄姿」が逢った・・・。
当時、わたし自身も、故あって退団した直後の身・・。


「一緒に遣って行きましょうヨ!」
「前田美波里」氏そっくりの「A大先輩」は衣装のチェックをしながら、きっぱりとそう言った・・。

舞台準備の慌ただしい中、つかの間の再会であった・・・。


時を同じく、「年忘れにっぽんの歌」「夏祭りにっぽんの歌」でお世話に成った制作局の「Oディレクター」。
4億円程を投じ社名を「東京12チャンネル」から「テレビ東京」に変更した東京・芝公園の東京タワー脇の狭小な局舎の「若草色」の事務机が並ぶ、2階の制作フロアーにお邪魔した時のコト・・。

「一緒に遣って来ましょう!」
「舞踊団」を退団した旨を告げると、賺さずその大きな瞼をピクリともせず、そう仰った・・・。


のちに「テレビ朝日報道」の仕事と出会うマデの迷える「20代の若造」の「塞いでいた気持」が、少し、明るく成った・・。


「人」が発する「ことば」の持つ「力」を思い知った。

※関連記事はあちこちに御座います!古い記事もそれなりに面白い
『ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生』


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これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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