ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
窓の外は静まり返っている。
新年を迎え、驚いたコトにもう10日以上が過ぎ去った・・。
「6日の日はフィリピンに居たのに、モウシゴトダナ・・。」
自動車メーカーで正社員として長く働くカミサンが、
出勤日の前夜、なんだか遠い事の様に呟いた・・。

(出迎えの空港デッキにて)
とても充実した休暇であったようで、実家連中のFacebookの画像はどれもこれも溢れる笑顔ばかりで、観ているこちらもつい、楽しくなりまた涙も出てくる・・。
あまりにも、幸せそうだから・・・。
さかのぼれば
大晦日から元旦は、歳相応に実にさまざまな境遇で思い出深い。
小学校中学校の頃、亡くなる前の母親は数日前から正月料理の仕込みに取り掛かった。
黒豆を煮込み、鰹節を削り、大根人参を千切りにし・・、
元旦の朝、色鮮やかな和服で着飾り、わたしに御餅を焼くよう指示し、濃い潮汁で雑煮を盛り付けた・・・。
母が急逝した高校生の年の大晦日、9歳下の妹を連れ買い物で賑わう東京・阿佐ヶ谷の商店街をお節料理の材料を求めて歩いた・・、なんとか母親が居た時と同様の正月を迎えたい、と、必死で重箱を隅まで埋めるために盛り付けを思い起こしながらひたすら歩いた。うっすら涙が師走夕暮れ時の光輝く街に滲んだ・・・。

http://photo-chips.com/kiyaku.html
成人して後、各地の遊園地で開催される催事に合わせ、元旦から舞台音響操作の業務に追われた・・。
家に残した妹の事が気がかりで仕方なかった。
報道局に在職時は、帰省先を持たず郷里が東京という理由から必ず元旦から三が日は午前中2項目程度しか扱わないニュース番組の為に明治神宮へ撮影に出掛ける担当であった・・。
お節料理の重箱詰めは、相変わらず続けた。
そんな数年後のある年の暮、当時東京・世田谷の弦巻で同棲していた女性が、ふたりの生活の為にわたしがローンを組んで購入した決して安くは無い家財道具一式を、わたしが忘年会旅行で
箱根に外泊した隙に、カーテンから絨毯に至る全て無断で持ち出し、蒸発してみせた・・。
クラリオン・ガールの「宮崎ますみ」氏や結婚前の「野々村 真」氏が住む真っ白なレンガ造りのマンションで、わたしはひとりカーテンの外された新築の部屋の窓枠からはみ出さんばかりのデッカイ、
それはデッカイ太陽がゆっくり、ゆっくりと沈むのを見詰めながら、真っ白になった頭を整理するのに追われた・・・。闇が迫っていた。

http://komekami.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/pa048910.jpg
世田谷警察の刑事が家財道具の保管場所と彼女の連絡先を調べ、仲介し、
大晦日の夕刻、東京・渋谷の道玄坂のガラス張りの大きなウインドウの在る喫茶店で落ち合った・・。相手は悪びれるそぶりも見せず、強気で居た。
天涯孤独な事情の彼女は家財道具はどうしても欲しい、と云う・・。
住む相手の無い世田谷の住居は、既に解約しており、これ以上の出費(家財道具を彼女が保管する倉庫の代金)は自分にはどうにも為らない。
「貴方はもっと大物に成ると思うわ・・。もう会うことは無いわ・・。」
全てを諦め、傍らに同席した妹を連れ、道玄坂の喧騒から更に立錐の余地も無い東急東横デパートの「東横のれん街」でお節料理の買い物をして歩き、都営バスで阿佐ヶ谷の実家へと帰った・・・。
バスのヒーターが利き過ぎて、足元が熱かった。
その後、正月明け7日月曜日からのナマ放送の番組の制作準備に追われる年・・。
カミサンとの結婚の為に日本で作成した「婚姻要件具備証明書」を持って暮に渡航した年・・。
大阪本社の人材派遣業に営業職で勤務した当時は年の暮に40名ほどの人員を集め老舗百貨店の正月催事に合わせた商品搬入と接客運営補助を取り仕切り、慌ただしく過した年・・・。
ああ、今回は決して楽しくは無い正月であった・・。
カミサンは楽しかったらしいが・・・。
もう、暮の街を涙ながらお節の材料を買い歩くコトはすっかりしなくなった・・。
昨年の秋、偶然たどりついたのだが、
驚いたコトに東京・渋谷で大晦日に別れたくだんの彼女は、とある高級ネットショップで水着モデルをやっていた・・・。異国の海で押し寄せる波と戯れていた。(年齢は不詳のムードだが)
人様に手間を掛けず、幸せに遣っているコトを望むばかりだ。

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新年を迎え、驚いたコトにもう10日以上が過ぎ去った・・。
「6日の日はフィリピンに居たのに、モウシゴトダナ・・。」
自動車メーカーで正社員として長く働くカミサンが、


(出迎えの空港デッキにて)
とても充実した休暇であったようで、実家連中のFacebookの画像はどれもこれも溢れる笑顔ばかりで、観ているこちらもつい、楽しくなりまた涙も出てくる・・。

あまりにも、幸せそうだから・・・。
さかのぼれば

小学校中学校の頃、亡くなる前の母親は数日前から正月料理の仕込みに取り掛かった。
黒豆を煮込み、鰹節を削り、大根人参を千切りにし・・、

母が急逝した高校生の年の大晦日、9歳下の妹を連れ買い物で賑わう東京・阿佐ヶ谷の商店街をお節料理の材料を求めて歩いた・・、なんとか母親が居た時と同様の正月を迎えたい、と、必死で重箱を隅まで埋めるために盛り付けを思い起こしながらひたすら歩いた。うっすら涙が師走夕暮れ時の光輝く街に滲んだ・・・。


http://photo-chips.com/kiyaku.html
成人して後、各地の遊園地で開催される催事に合わせ、元旦から舞台音響操作の業務に追われた・・。
家に残した妹の事が気がかりで仕方なかった。
報道局に在職時は、帰省先を持たず郷里が東京という理由から必ず元旦から三が日は午前中2項目程度しか扱わないニュース番組の為に明治神宮へ撮影に出掛ける担当であった・・。
お節料理の重箱詰めは、相変わらず続けた。
そんな数年後のある年の暮、当時東京・世田谷の弦巻で同棲していた女性が、ふたりの生活の為にわたしがローンを組んで購入した決して安くは無い家財道具一式を、わたしが忘年会旅行で

クラリオン・ガールの「宮崎ますみ」氏や結婚前の「野々村 真」氏が住む真っ白なレンガ造りのマンションで、わたしはひとりカーテンの外された新築の部屋の窓枠からはみ出さんばかりのデッカイ、


http://komekami.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/pa048910.jpg
世田谷警察の刑事が家財道具の保管場所と彼女の連絡先を調べ、仲介し、

天涯孤独な事情の彼女は家財道具はどうしても欲しい、と云う・・。
住む相手の無い世田谷の住居は、既に解約しており、これ以上の出費(家財道具を彼女が保管する倉庫の代金)は自分にはどうにも為らない。


バスのヒーターが利き過ぎて、足元が熱かった。
その後、正月明け7日月曜日からのナマ放送の番組の制作準備に追われる年・・。
カミサンとの結婚の為に日本で作成した「婚姻要件具備証明書」を持って暮に渡航した年・・。
大阪本社の人材派遣業に営業職で勤務した当時は年の暮に40名ほどの人員を集め老舗百貨店の正月催事に合わせた商品搬入と接客運営補助を取り仕切り、慌ただしく過した年・・・。
ああ、今回は決して楽しくは無い正月であった・・。

もう、暮の街を涙ながらお節の材料を買い歩くコトはすっかりしなくなった・・。
昨年の秋、偶然たどりついたのだが、

人様に手間を掛けず、幸せに遣っているコトを望むばかりだ。

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