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哀れ感・・・。それは其れ・・。

この期に及んでアレコレ“通”ぶって私見を羅列するのはアホ丸出しなので、人生歪んだ儘のわたしは敢えてこれ以上触れずにおこう・・。
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(テレビ画面より)

ワタシがイマを“のほほん”と生きているコト自体、“哀れ”なのだから・・。

グラフィックス1記念後11
(テレビ画面より)
「セックスレス」やら「腋汗」やら「不妊」など、およそ旧来の国営放送らしからぬ番組特集企画が高評価・高視聴率を得ているNHK総合テレビ『あさイチ』。
視聴率調査の「教育・教養・実用」部門で1位となる放送回もある実力派・実用大型情報番組である。

グラフィックス1記念後6
(テレビ画面より)

この日の「プレミアムトーク」のゲストは 『欽ちゃん』こと『萩本欽一』氏。
昭和の浅草が産んだ苦労芸人さんであり、『コント55号』期を含め民放全局ゴールデンタイムを20年近くにわたり制覇し続けた巨匠である・・。
(NHKとしての)この番組の“カイゼン案”提示を求められ、こんなコトを切り出した・・。
過去、スタジオからの中継や収録の会場ではフロア進行を取り仕切る“フロアディレクター”達に対し、相互の緊張感をほぐす為にやらせていたコトがあるそうだ・・。

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(テレビ画面より)

「ボクがやっている時に、ADさんが居るワケですよ、いつも仕事をするわけですね。カンペをね・・。」
グラフィックス1記念後10
(テレビ画面より)

「何秒前!とか、そうすると緊張感が漂うのでボクの頃は、ここで5、4、3とはやってナカッタ、“やめてくれ”と言って5、4、3と、踊っていましたから・・。」
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(テレビ画面より)

「だから5、4、3って踊るようにみんな踊りが上手くなって。」

「5、4、3・・・。」

「ソノ5!がイケナイの、5が、楽しそうに、楽しそうに!!」

「・・スタッフが楽しんでいるっての一番ですねェ。出るだけじゃなくカメラマンだったりフロアディレクターだったりスタッフ全員楽しいというコトですね。」

「そうゆーのがナイとテレビが空気を大事にしないと伝わりますか?欽ちゃんがテレビを観ていて、“この番組”はいい雰囲気だなというのか分かりますか?」

「ワカル、ワカル・・。」

「カメラさんスゴイい怖い顔しているでしょう。あの怖い顔が噴き出したりしたらウレシイですヨ。時々、噴出せばイイのにねェ・・。」
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(テレビ画面より)

「結構うちのカメラマンさん笑ってくれるんですよ。4カメのもっちーね。時々大きな声で女性の笑い声が入っているの彼女です!」

「彼女ビールが大好きなんですよドイツまで行ってビールを飲むんですから。皆さんカメラワーク大丈夫ですか?
朝からこの番組、飛び過ぎじゃないですか?」

昭和38年から昭和53年まで、NET・日本教育テレビでオンエアされた当時、若手漫才師の登竜門といわれた『大正テレビ寄席』では、『コント55号』が初登壇した際に、中継カメラマン達が、その余りに壮絶なコントの“動き”にカメラ・ワークが追随出来ず、収録の取り直しを製作側が「欽ちゃん」氏らに詫びたという逸話を持つ。
(尚、余談だがこの『大正寄席』の収録会場が上野浅草の演芸場との記述が一部に見られるが、正しくは「渋谷東急文化会館の映画館ホール」である)

その浅草の演芸場であったと記憶するが、人気絶頂期の『コント55号』の舞台中継で、まだ現在のようにに小型・軽量化ならない90キロ以上位はあると思われるNEC製かアサカ製の鋼鉄のハンディ・カメラを担いだカメラマン氏が舞台袖でカメラを担いだまま転倒し、横倒しにナッタカメラを、「うわァ!ダイジョウブかい!?ダイジョブかい?!」と「欽ちゃん」氏が大慌てでレンズを覗き込み、真横になったママの画面に彼が映り込み、会場はもとより、テレビの前のガキだったわたしの大爆笑を誘った件を思い出した・・。

この技術会社も「NETの中継陣」も「あさイチ」製作陣も皆、この「男」の魔力」にいとも簡単に飲み込まれてゆく・・、御歳72歳“哀れ感”の微塵も感じさせない・・・

Wikiの引用に為るが、当時ゴールデンタイムはドラマ・ドキュメンタリー・音楽の各々番組の三つ巴で、バラエティというジャンルでゴールデンに入ってきたのは、『萩本欽一』氏でこれにより現在のゴールデンのバラエティの飽和状態を招いたのは『萩本欽一』氏に責任が有る、とは同じ事務所の『関根 勤』氏と『小堺一機』氏・・・。

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(テレビ画面より)
さてこちらは、わたしがいつも注目する「通販番組」・・。
扱き下ろすいつもの類いとは違い、キチンと構成し、美術セットも工夫の後が伺えて、ドコゾの通販番組よりも「健全」なのであります。

グラフィックス1記念後1
(テレビ画面より)
で、わたしと同い年の「邦ちゃん」こと「山田邦子」氏。

イマのテレビ演芸界のように“女芸人”乱立の時代の遥か以前、女性のお笑いタレントとしては前例のナイ、一人冠番組数々を持ち、しかも『花王名人大賞』をはじめ『日本放送演芸大賞』に4度、『日本アカデミー賞新人俳優賞』受賞など、実力派の方で在ったのだが、「TBS」と「テレビ朝日」の冠番組を同時期一斉に失うなど、約20年程前から急激に失速してしまう・・。
しかし、貯金はしっかりありそうだなァ・・。

グラフィックス1記念後2
(テレビ画面より)

近年は「東日本大震災復興支援」や「がん」啓発運動と共に、こうした「通販番組」や「CS放送」の地味な露出がスケジュール欄に並ぶ・・・。

彼女がスタジオやロケ収録先で、変わらず元気ヨク、オーバーなリアクションをとればとる歩度、哀しい気分になる・・。

猥雑なハナシで恐縮だが男性の自慰行為を指す「センズリ」を女性の胸で行う「パイズリ」とは、この方考案の「造語」であるとの事・・。

ふーーーーーうゥ・・・。


「佐村河内」氏を含めわたしも皆、生きて行かねばならない。


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これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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