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「秋」の扉・・・その2

いまや国際的な舞踊団に子供の頃から23歳位まで在籍していた・・・。kikunokai.co.jp/

「芸術の秋」というが、秋から冬の時期は舞台芸術が1年で最も活気づく季節だろう。
春に企画し、ひと夏を稽古し、秋に初日を開け、冬にかけて国内巡業する・・。そんなパターンかな。

大昔、東京・赤坂に国際芸術家センターという、舞台関係専用のリハーサル会館があった・・・。
場所は当時のTBS会館の真裏にあり東京放送の電波塔の下あたり、おそらくTBSの敷地内だったと思う・・。
当時既に、十分に古めかしいコンクリート打ちっ放しの建物で舞台を模した合板の床と壁全面が鏡張りであった。
グラフィックス110
(当時の赤坂TBS局社とマイクロタワー)
その夜、全国公演に向けての最終稽古が行われ、演出家をはじめ、振付家、製作者、舞台監督、音響、照明、美術、大道具さらに邦楽演奏の歌手、お囃子方の諸先生方など大所帯でのリハーサルだった。
1部が古典舞踊、2部を創作舞踊劇と民族舞踊で構成する2時間半程の大舞台。
午後の早い時間に舞台演者のみが集まり、稽古をはじめて身体をつくり夜になりスタッフの方々が順次参集され、第1部から通しで各々が段取りを確認しながらの流れの稽古。

リハの途中、第1部と2部の間で休憩をとる事となった・・・。
まだ、コンビニなんぞというあたりまえの便利な店舗の無い時代。今時の若いひとたちに判り易く言うと、カップヌードルが売り出されたばかりで、ケンタッキーも日本上陸したばかり、マックシェイクがお化けのように超、超特大サイズだった頃。(これじゃわかんないよね?)アルミホイルに包まれた母親の握った焼肉入りのお握りを夕食代わりにガツガツ食べ、始まろうとする第2部に備えて、おしっこがしたくなった・・。

70名近く集まった稽古場にトイレは入口付近にひとつ。たしか赤電話?がありトイレはその奥の方にあった。

なんのためらいも無く木製のトイレで用を足す為、扉を開けた次の瞬間!!そこには!ナント!!
お三味線の大先生が着物の裾を腰まで捲り上げておしりまるだしで和式便器にしゃがんでいらしたのだ!!
扉を開けたのと殆ど同時に先生は振り向かれ、一瞬目が遇った!まさか中に人が居ると思わず、中学生だったわたしはノックしてから開ける、という社会の基本動作を怠ったが故の「事故」であった・・・。

全身を電気ショックが駆け抜けた!!断っておくが大先生は女性である・・・・。

大変なことをした・・・・・」その夜、終始その大先生と目線すら合わせることが出来ず大切な稽古中ずっと、振り向いた瞬間の先生の顔とおしりのフラッシュバックに悩まされ、踊る中学生小僧のアタマん中が真っ白けだったことは言うまでもない・・・・。合掌。



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これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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