ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
何事も、ずーーーーーっと諦めず、投げ出さず、思い描いたコトを自己都合で差し替えるコト無く、持続出来る意思の強さは、ワタシには無い・・・。
備わって居ない。遺伝子に無さそうである・・・。
子供の頃の勉強も、このブログで幾度と無くご紹介している伝統芸能の類いも長唄・三味線・鼓も、オトナに成ってからの夢も希望も・・・・。
唯一貫徹したのは、10年後の正月貴方は何処で何をしているか?という問いに『テレビディレクター』に成って、結婚をして炬燵で蜜柑を食べている、という小学校の卒業文集にシタタメタ『夢』のみ・・・・・。

ロシアを巡るヨーロッパ情勢は日に日に緊迫度を増すが、今から60数年前の第二次世界大戦末期、現在の状況と同様、相互不可侵を条約締結した筈のソ連が一方的に条約を突然破棄し、当時日本が大量に開拓団移民を送り込んでいた満州国に武装し攻め込んだ。
卑劣にも突然の侵攻を把握した一部日本軍幹部とその家族連中は列車で逃走し難を免れたが、一般人の大半は広大なロシア大陸の方々に取り残され、陸路を徒歩で海を目指した・・・・。
成人男性は全てが軍により徴兵され、幼児と女性が中国大陸の彼方此方で連行・殺害・凍死、離散してしまう。
『大躍進』『文化大革命』と言った中華民国の近代化潮流の最中、日中国交正常化
が図られ、1981年(昭和56年)当時の厚生省の奔走に依り『残留日本人孤児』の一時帰国が開始。
既にご紹介の通り、
テレビ朝日報道局に在籍したわたしはアルバイトの報道照明係りとしてこの一時帰国者の宿舎兼記者会見場として受け入れた東京・代々木のオリンピック青少年センターだったかに毎日、通い詰めた。
臨時の記者会見場の最後方で次々と身元の判明した孤児の方の会見の度に
テレビ中継用のライトを点灯するのがわたしの役目であった・・・。
新聞・雑誌・テレビ数百の報道人員で終日ごったがえした。マスコミ用の出入り口はひとつしか無く、現在でも尚ご活躍の面々を入り口に終日立ち拝見した。

DailyMotion Youtubeより抜粋加工
左は昭和の方ならご存知、『櫻井よしこ』氏。
ベトナム野戦病院生まれ、
ハワイ大学卒の後日本テレビ放送網㈱で17年間
毎夜ニュースキャスターを勤める。
ありとあらゆる社会事象に幅広く深遠なる見識と行動力を持ち果敢な言論に挑み続けるその生命力には驚嘆する。
超高級温泉旅館の女将か
超高級倶楽部のママか大使館夫人のようなトレードマークのヘアスタイルは30数年変わらないのは凄い事だ。『NNNきょうの出来事』出演開始当時このヘアーのまま、オリンピック青少年センターの会見場に現れた櫻井氏。
おそらく日テレ報道局の社会部記者ディレクターであろう人物がナニヤラ怒鳴りながらワタシの横をすり抜けて、会見場に入って来た。
『モーーゥ、何よーっ
』と記者ディレクター氏の後に続いて櫻井氏がアノ掠れたテレビで聞く声のまま困惑しきった表情で現れた・・・・。トレードマークのヘアーは微動だにしない。
一方右は現状では日本テレビ放送網㈱最長勤務・勤続を誇るアナウンスセンター部長『井田由美』氏。
蔓延する今の民間放送のお莫迦アイドルアナウンサー時代とは一線を画す唯一無二の実直な道をひたすら歩む姿は他に類を見ず。
記者会見場に入って行く淡いブルーのスカートで歩く艶めく後ろ姿のナント美しかった事か・・、
今でもこの目に鮮明に焼き付いて居る。

テレビ画面より
番組タイトルが昭和そのもの日曜よる6時・BS-TBS『ニュース少年探偵団』。
飾り気の無い古風なイデタチの女性は産経新聞取締役をお父上に持つ才女『三雲孝江』氏。
現在でこそフリーで各局を股に架けご活躍だが御歳60でもこの美貌。
記者会見場に現れた彼女、当時も今と変わらずショートヘアーにこけし人形のような骨格というか色白なオーラ溢れる頭部。切れ長の目と適度な肉感の在る
長く線形の唇に、まだ20代の小僧のわたしは魅了された・・。
取材を終え会見場を立ち去るカノジョを見遣っていると、隣に居合わせた取材現場で度々顔を合わせ知り合いになったTBS報道局の取材カメラマン・Cサンが教えてくれた。
『局内でホント評判イインデスヨ・・。』
聞けば宴席にお誘いしようかと躊躇しながらも声を掛けてみると、どんな階層の人にでも平等に気さくに顔を出してくれる、と云う。無論芸者商売では無いのだが、対人関係のそうしたマネージメントは
長咲きの秘訣なのだろう・・・。

テレビ画面より
同じくBS-TBS『ニュース少年探偵団』。画面右隅でチジコマッタ風なのは昭和64年入社の『小林 豊』氏。
昨今の体格のイイお子さんとおんなじに見える小顔の49歳。
50目前の社員アナウンサーの実務ってこんなもんなのか
と思えるような閑職紛いの活動現況・・・・。
大抵のヒトがニュース原稿を読み、チョットバラエティ司会を齧ると、組織を離脱してアナウンサー専門の派遣プロダクションに移籍し、さしたるメジャーな仕事にも就けず通販の新聞広告にキャスターなどと称して登場したりしてジリジリと転落していく訳だが、このヒトを見る限り、ずっとひとつの所に居留まり続けるのも、生活経済基盤維持の為には、大変に重要なのだと改めて思い知るようだ・・・・。
孤独感や焦燥感、筆舌尽くせぬ葛藤も在るだろうね・・・・・。

テレビ画面より
『ニュース少年探偵団』と同時刻にオンエアがスタートするのは日本テレビ『真相報道バンキシャ!』。
番組自体、県土木事務所の裏金疑惑に関する重大な誤報や取材スタッフの遭難死など不祥事まみれで存続が危ぶまれたものの、画面のお二人同様何事も無かったかのように順調に続いている・・・・。
お二人ともそれぞれの事情で同局を退社され、結局辞めても尚乞われて現役で司会を許されている。
不思議な光景だ。
特に左側の『夏目三久』氏。
なにもこんな仕事をせずとも資産家令嬢であらせられるのに・・・、社内イジメの元凶となったスキャンダルをモロトモせず、週200万円を軽く稼ぐ人気フリーアナウンサーにおお化けしてシマッタ


さて、今年の
夏休みは
瀬戸内海或いは
和歌山方面の温泉にでも出掛けるつもりで居たのだが、運転初心者のわたしの
長距離高速移動に、カミサンが強い難色を示し一歩も譲らず、またしても巡航3時間程度の近場で手配するコトとなった・・。

新東名にて。
出掛けた鼻は暑さ全開に晴れ渡ってそれは楽しい思い出旅行を充分に予想させた・・・。
それも束の間、トンネルを抜け、山を越える度、空模様がぐんぐん怪しくなる。

山梨・河口湖畔『オルゴール美術館』にて
やがて
最悪の悪天候・土砂降りタイフーンの遭い間の記念撮影・・。
何処マデ行っても
雨、
雨、豪雨・・・。

静岡・朝霧高原『まかいの牧場』にて
道中予定のささやかな観光スケジュールを次々と割愛し本日の宿へ到着・・。
毎度のコトながら、こんな時にしか口にしない
刺身の豪華な船盛りや、洒落たお造りを堪能する機会に有りながらも、
それらをスルーせざるを得ないプリンセスのおいでになる我が家は、合いも変わらず『バイキング料理』主体の宿めぐり・・・・。

宿の駐車場にてこの画像を撮る段になって気が付けば何故か特徴ある見覚えのあるクルマが・・・。

部屋からの眺望。本来なら客室全室霧の向こうに巨大な
アッと驚く大きさの富士山が嫌がらせのように見える筈な訳だが・・・・。
雨模様の僅かな合間にホテルのレンタサイクルで小一時間かけて曇天の湖畔を一周。
正面奥が宿。

大浴場からも壮大な山影を望める予定で居たのだがまたしてもささやかなる楽しみは掻き消され・・・。


ひと風呂浴びて夕食のレストラン。
全くもって驚いたのは、カミサンの背後のテーブルの男性。
ナント
今年5月のゴールデンウィークに出掛けた宿の夕食レストランにも居た同じ男性

何故そんな旅先で見かけた一男性のコトを覚えているのかというと、5月のGWに宿泊した宿の駐車場でかなり年式の古いメルセデスの中からチェックインの為に降り立つ姿を見たのだ・・・・。
其の晩のレストランで、年老いたご婦人と共に我々のテーブル近くに席を取った。
40代とおぼしきその男性には奥様もお子さんも同行せず、どうみても母ひとり、子ひとりの温泉旅・・・。その奇妙な光景をこのブログに少し書いた。
まさかそのご家族と同じ日同じ夜に、同じ宿で同じ時間に再び居合わせるとは・・・・。
余程この奇遇を機に話しかけようともしたが、こちらの感慨が反って不快に取られないかとも思い、諦めた・・。
若い頃、母親を早くに亡くし、なら残る父親に親孝行を、と目論んではいたものの、実際わたしの場合、この孝行息子さんのようには生涯為り切れないであろうコトは既に明らかである・・・。
おぼろげながら描いた親孝行の夢、それすらも叶うすべ無く、ああ、気が付けば我が『親』の世代に。
備わって居ない。遺伝子に無さそうである・・・。

子供の頃の勉強も、このブログで幾度と無くご紹介している伝統芸能の類いも長唄・三味線・鼓も、オトナに成ってからの夢も希望も・・・・。
唯一貫徹したのは、10年後の正月貴方は何処で何をしているか?という問いに『テレビディレクター』に成って、結婚をして炬燵で蜜柑を食べている、という小学校の卒業文集にシタタメタ『夢』のみ・・・・・。

ロシアを巡るヨーロッパ情勢は日に日に緊迫度を増すが、今から60数年前の第二次世界大戦末期、現在の状況と同様、相互不可侵を条約締結した筈のソ連が一方的に条約を突然破棄し、当時日本が大量に開拓団移民を送り込んでいた満州国に武装し攻め込んだ。
卑劣にも突然の侵攻を把握した一部日本軍幹部とその家族連中は列車で逃走し難を免れたが、一般人の大半は広大なロシア大陸の方々に取り残され、陸路を徒歩で海を目指した・・・・。
成人男性は全てが軍により徴兵され、幼児と女性が中国大陸の彼方此方で連行・殺害・凍死、離散してしまう。
『大躍進』『文化大革命』と言った中華民国の近代化潮流の最中、日中国交正常化


既にご紹介の通り、

臨時の記者会見場の最後方で次々と身元の判明した孤児の方の会見の度に

新聞・雑誌・テレビ数百の報道人員で終日ごったがえした。マスコミ用の出入り口はひとつしか無く、現在でも尚ご活躍の面々を入り口に終日立ち拝見した。


左は昭和の方ならご存知、『櫻井よしこ』氏。
ベトナム野戦病院生まれ、


ありとあらゆる社会事象に幅広く深遠なる見識と行動力を持ち果敢な言論に挑み続けるその生命力には驚嘆する。
超高級温泉旅館の女将か

おそらく日テレ報道局の社会部記者ディレクターであろう人物がナニヤラ怒鳴りながらワタシの横をすり抜けて、会見場に入って来た。
『モーーゥ、何よーっ

一方右は現状では日本テレビ放送網㈱最長勤務・勤続を誇るアナウンスセンター部長『井田由美』氏。
蔓延する今の民間放送のお莫迦アイドルアナウンサー時代とは一線を画す唯一無二の実直な道をひたすら歩む姿は他に類を見ず。




番組タイトルが昭和そのもの日曜よる6時・BS-TBS『ニュース少年探偵団』。
飾り気の無い古風なイデタチの女性は産経新聞取締役をお父上に持つ才女『三雲孝江』氏。
現在でこそフリーで各局を股に架けご活躍だが御歳60でもこの美貌。
記者会見場に現れた彼女、当時も今と変わらずショートヘアーにこけし人形のような骨格というか色白なオーラ溢れる頭部。切れ長の目と適度な肉感の在る

取材を終え会見場を立ち去るカノジョを見遣っていると、隣に居合わせた取材現場で度々顔を合わせ知り合いになったTBS報道局の取材カメラマン・Cサンが教えてくれた。
『局内でホント評判イインデスヨ・・。』
聞けば宴席にお誘いしようかと躊躇しながらも声を掛けてみると、どんな階層の人にでも平等に気さくに顔を出してくれる、と云う。無論芸者商売では無いのだが、対人関係のそうしたマネージメントは



同じくBS-TBS『ニュース少年探偵団』。画面右隅でチジコマッタ風なのは昭和64年入社の『小林 豊』氏。
昨今の体格のイイお子さんとおんなじに見える小顔の49歳。
50目前の社員アナウンサーの実務ってこんなもんなのか

大抵のヒトがニュース原稿を読み、チョットバラエティ司会を齧ると、組織を離脱してアナウンサー専門の派遣プロダクションに移籍し、さしたるメジャーな仕事にも就けず通販の新聞広告にキャスターなどと称して登場したりしてジリジリと転落していく訳だが、このヒトを見る限り、ずっとひとつの所に居留まり続けるのも、生活経済基盤維持の為には、大変に重要なのだと改めて思い知るようだ・・・・。

孤独感や焦燥感、筆舌尽くせぬ葛藤も在るだろうね・・・・・。


『ニュース少年探偵団』と同時刻にオンエアがスタートするのは日本テレビ『真相報道バンキシャ!』。
番組自体、県土木事務所の裏金疑惑に関する重大な誤報や取材スタッフの遭難死など不祥事まみれで存続が危ぶまれたものの、画面のお二人同様何事も無かったかのように順調に続いている・・・・。
お二人ともそれぞれの事情で同局を退社され、結局辞めても尚乞われて現役で司会を許されている。
不思議な光景だ。
特に左側の『夏目三久』氏。
なにもこんな仕事をせずとも資産家令嬢であらせられるのに・・・、社内イジメの元凶となったスキャンダルをモロトモせず、週200万円を軽く稼ぐ人気フリーアナウンサーにおお化けしてシマッタ



さて、今年の






出掛けた鼻は暑さ全開に晴れ渡ってそれは楽しい思い出旅行を充分に予想させた・・・。
それも束の間、トンネルを抜け、山を越える度、空模様がぐんぐん怪しくなる。



やがて

何処マデ行っても





道中予定のささやかな観光スケジュールを次々と割愛し本日の宿へ到着・・。
毎度のコトながら、こんな時にしか口にしない









正面奥が宿。

大浴場からも壮大な山影を望める予定で居たのだがまたしてもささやかなる楽しみは掻き消され・・・。




全くもって驚いたのは、カミサンの背後のテーブルの男性。
ナント



何故そんな旅先で見かけた一男性のコトを覚えているのかというと、5月のGWに宿泊した宿の駐車場でかなり年式の古いメルセデスの中からチェックインの為に降り立つ姿を見たのだ・・・・。
其の晩のレストランで、年老いたご婦人と共に我々のテーブル近くに席を取った。
40代とおぼしきその男性には奥様もお子さんも同行せず、どうみても母ひとり、子ひとりの温泉旅・・・。その奇妙な光景をこのブログに少し書いた。
まさかそのご家族と同じ日同じ夜に、同じ宿で同じ時間に再び居合わせるとは・・・・。
余程この奇遇を機に話しかけようともしたが、こちらの感慨が反って不快に取られないかとも思い、諦めた・・。

若い頃、母親を早くに亡くし、なら残る父親に親孝行を、と目論んではいたものの、実際わたしの場合、この孝行息子さんのようには生涯為り切れないであろうコトは既に明らかである・・・。
おぼろげながら描いた親孝行の夢、それすらも叶うすべ無く、ああ、気が付けば我が『親』の世代に。
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