ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
どーでもイイ話だけれど、
この11月、誕生日を迎えた、ってそんな目出度い字で無く、来ちゃった、過ぎちゃった・・・、か?
そのおたんじょーびの週はわたしの仕事は日勤であったので、我がプリンセスを
毎夕刻、カノジョの会社マデ迎えに行った。
マニラ首都圏の教会で式を挙げ、多くの方々、先輩にお祝い戴き結婚20年、一度も途切れるコト無く続いた「タンジョービ、オメデト・・」の心温まるひと言は、とうとう、ついに、何の前触れも無く、途切れた・・・、息絶えた・・。
それでも、カノジョは何の意図も無さそーに毎夜、ソノ日一日の会社内の出来事を、あーだ、こーだと聞かせてくれた。
「あー、忘れてんだ、たんじょーび」・・、20ネン繰り返しスリャ、そーだよね・・。」
一方、
異国の実家では、わたし同様、カミサンのお母さんが
誕生日を迎えた。
パーティー会場となった改築中の実家の壁に選挙ポスターみたいな巨大看板

バルーンで83と書いてある、会場設営中のスナップ。
笑顔のヒトがお母さん。一男五女を立派に産み育てた。
我がカミサンと島根県に住む姉さんの二人が、この家族を数十年に渡り経済的に支え続け、各々家庭を設けその孫たちは次々と進学・就職し、続々と羨望のスタートを切っている。
今まさに
苦労の花
が咲き誇りだしたのだ。
六人兄弟一番下の一男が撮影のピンぼけ写真。
上の看板もびっくりだが、パーティの来客用招待状、テーブル、屋外テント、音響装置、設営から料理のケータリングに至る迄全て業者に任せたらしい。


この誕生会の招待客は200人

俺なんか、誰か呼んだって20人も集められない。

欧米風の異様に甘そーな
ケーキが並ぶ。

再び一男のピンぼけ写真。
自分の誕生日でも無いのに、嬉しくて昼過ぎから飲みすぎてコノ一枚。
料理テーブルの奥に画面が見えるでしょ。
準備中から姪っ子がノートPCのカメラでその様子を延々、
ナマ中継してくれた。
会場内の何気ない喧騒や食器とフォークの擦れる音に臨場感満点の時間を現地と共有デキタ・・・。


来客は、気が向けばノートPCに話し掛けて、日本のカミサンと会話を楽しんだ。
アリガタイ時代になったもんだ。
テクノロジーの進歩に感謝・・。
カミサンの国では、特にプレゼントのやりとりなど無く、呼ばれた客はただ、ただ集って食べるだけらしい。
ところで我が生涯のプレゼントで思い出に残るのは、何か?と考えたのだが、異性から貰ったモノではナクテ、テレビ朝日グループの製作技術会社に在籍当時、会社のコーポレート・アイデンティティ新設を兼ねたお披露目パーティーで、もう既にお亡くなりになられた社長から、表彰商品で頂いた携帯CDプレーヤーと、東京・銀座は由緒ある文具店「伊東屋」で2万円ほどした高級システム手帳だろう。
合成皮革のケースに分厚い布ベルトが付き、肩からぶら下げて聴いた・・。
「世界のSONY」が肩で風切ってた時代・・・。
コノプレーヤー、チョッと揺すると音が飛びまくった・・・・。

http://www.sony.co.jp/Fun/design/history/product/1980/d-50.html
もはや手元には無いが、システム手帳の方は、その後のディレクター人生を過す間、かなり長い期間、大切に大切に使った。こちらも合成皮革製の英和辞典くらいの大きさのズッシリとしたもので、電卓からポストイット、折畳みの世界地図、等様々な気の利いた帳票がビッシリ詰まってた・・・・。
ズッシリ・ビッシリ。
さて、ココまで書いてきてなんだが、11月のわたしの誕生日の週末を越えた月曜日、会社で勤務中、落ち着きを失った様子のカミサンに会社の数人の同僚が、どうしたの?と尋ねて来たらしい。
「ナニカ、ワスレテルンダ、ワタシ・・、ナンダカ、ワッカンナイケド・・、ジュウイチガツ、オカアサンノタンジョービ・・・。」
わたしのクルマでの会社へのお迎えを拒んだカミサンは、その夜、白い包みを手に、慌てた様子で帰宅した。
「ゴメナサーイ!!」(ごめん、では無い)
冬モノのコート・・・・。

カミサンは、毎年、

冬が本格化すると、わたしに何の相談も無く、「アナタ、カワイソウ、カラ・・。」と言ってダウンジャケットやコートを買って来る。
中に着る長袖ポロシャツはたったの1枚、ボタンダウンのYシャツは3枚、セーターは2枚・・・・。
(気に入った高価なセーター類は殆どの場合、繊維素材で洗い分ける洗濯方法を結婚以来20年、少しも理解しようとしないので、何でもカンデモギュンギュン廻しちゃう)
・・・・・・でさァ、・・・・中に着るもんが少ないんだけど、箪笥がパンパン・・。
全然、真新しいコート7着目。




ありがとナ。毎年。一生懸命、着替えるよ!ジャケットだけ!

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そのおたんじょーびの週はわたしの仕事は日勤であったので、我がプリンセスを



それでも、カノジョは何の意図も無さそーに毎夜、ソノ日一日の会社内の出来事を、あーだ、こーだと聞かせてくれた。
「あー、忘れてんだ、たんじょーび」・・、20ネン繰り返しスリャ、そーだよね・・。」

一方、






バルーンで83と書いてある、会場設営中のスナップ。
笑顔のヒトがお母さん。一男五女を立派に産み育てた。
我がカミサンと島根県に住む姉さんの二人が、この家族を数十年に渡り経済的に支え続け、各々家庭を設けその孫たちは次々と進学・就職し、続々と羨望のスタートを切っている。
今まさに




上の看板もびっくりだが、パーティの来客用招待状、テーブル、屋外テント、音響装置、設営から料理のケータリングに至る迄全て業者に任せたらしい。


この誕生会の招待客は200人


俺なんか、誰か呼んだって20人も集められない。






自分の誕生日でも無いのに、嬉しくて昼過ぎから飲みすぎてコノ一枚。

準備中から姪っ子がノートPCのカメラでその様子を延々、

会場内の何気ない喧騒や食器とフォークの擦れる音に臨場感満点の時間を現地と共有デキタ・・・。


来客は、気が向けばノートPCに話し掛けて、日本のカミサンと会話を楽しんだ。
アリガタイ時代になったもんだ。
テクノロジーの進歩に感謝・・。

カミサンの国では、特にプレゼントのやりとりなど無く、呼ばれた客はただ、ただ集って食べるだけらしい。
ところで我が生涯のプレゼントで思い出に残るのは、何か?と考えたのだが、異性から貰ったモノではナクテ、テレビ朝日グループの製作技術会社に在籍当時、会社のコーポレート・アイデンティティ新設を兼ねたお披露目パーティーで、もう既にお亡くなりになられた社長から、表彰商品で頂いた携帯CDプレーヤーと、東京・銀座は由緒ある文具店「伊東屋」で2万円ほどした高級システム手帳だろう。

「世界のSONY」が肩で風切ってた時代・・・。
コノプレーヤー、チョッと揺すると音が飛びまくった・・・・。

http://www.sony.co.jp/Fun/design/history/product/1980/d-50.html
もはや手元には無いが、システム手帳の方は、その後のディレクター人生を過す間、かなり長い期間、大切に大切に使った。こちらも合成皮革製の英和辞典くらいの大きさのズッシリとしたもので、電卓からポストイット、折畳みの世界地図、等様々な気の利いた帳票がビッシリ詰まってた・・・・。
ズッシリ・ビッシリ。
さて、ココまで書いてきてなんだが、11月のわたしの誕生日の週末を越えた月曜日、会社で勤務中、落ち着きを失った様子のカミサンに会社の数人の同僚が、どうしたの?と尋ねて来たらしい。
「ナニカ、ワスレテルンダ、ワタシ・・、ナンダカ、ワッカンナイケド・・、ジュウイチガツ、オカアサンノタンジョービ・・・。」

「ゴメナサーイ!!」(ごめん、では無い)


カミサンは、毎年、



中に着る長袖ポロシャツはたったの1枚、ボタンダウンのYシャツは3枚、セーターは2枚・・・・。
(気に入った高価なセーター類は殆どの場合、繊維素材で洗い分ける洗濯方法を結婚以来20年、少しも理解しようとしないので、何でもカンデモギュンギュン廻しちゃう)
・・・・・・でさァ、・・・・中に着るもんが少ないんだけど、箪笥がパンパン・・。
全然、真新しいコート7着目。




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