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放棄、廃棄、放置・・・。

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年度末のこの時期、何処の自治体でも同じと思うが工事シーズン真っ盛り、か?

当方の近所は南北に家庭菜園だったり、主無きオーダー建築の廃墟屋敷が相次いで分譲住宅としてリニューアル。
一気に「水」の世帯需要が増えてしまい、画像の路面を見ての通り、あちこちを掘り返しての水道工事が約2ヶ月半続く・・。


困った事は夜勤・日勤を繰り返す今の睡眠生活に、コノ、ブルドークンの震動・騒音が直撃するコト・・・。

先月の2週目だったろうか、夜勤の週の月曜昼間からこの家の前で埋設工事が始まった・・。
朝4時、疲れて帰宅して軽く食事を採り、7時過ぎにカミサンをJR駅マデ送りさせて戴き、買い物をして床に就こうとすると同時に、大勢のガードマンが集まり、燃費の悪そーなトラックがガラガラヤッテキテ、“ブルドークン”がヘリが低空でホバリングするような重厚な音で作業開始

しかも、以前お伝えした様に8時45分から、お向かいの幼稚園では大音量でドラえもんや童謡が流されるのじゃ


フツーに、やばい・・。


夜勤なのに自宅上空に自衛隊のデカイヘリが留まっている様な状態で、良質な睡眠が得られなくなった。
火曜日・・、水曜日・・、“ブルドークン”は我が家周辺に居座り続けた・・。
水曜の夜勤、さすがに眠りの浅さが仕事に響いた・・・。
熟睡デキテイナイ。

木曜の明け方、コンビニに立ち寄り冷蔵庫から金色のハイボール缶×2缶を取り出し、買い求めた。
例によって、JR駅マデカミサマをお送りした後、そのハイボールを飲み干した。

木曜の夕刻、気持ちよく目覚め、会社へ出掛けた。

あー、よく眠れたナァ・・。


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法令により定められた「アルコール・チェッカー」。出勤したら、誰でも“吹く”のだが・・・・。


ファンファカファーーん


見事に体内残留のアルコールが検知された瞬間である。

普段ならば、価格の安い発泡酒でアルコール5%のロングサイズと普通サイズ一缶ずつで済んでいたものを、敢えて熟睡を得ようとアルコール7%のハイボールに切り替えたのがマズかった・・・。

それからというもの、上を下への大騒ぎと為った。
その晩、勤務に就くコトが禁止され、上司が味噌汁を差し入れてくれ、「アクエリアス」やら「ミネラル水」「爽健美茶」を
併せて8本ホド飲んで、数値の下降を待った・・・・。

“出勤停止”だそうである・・。
やっちまったナァ・・・。
この検知器で2度ファンファーレを鳴らすと、管理職だろうが事務職だろうーが派遣社員だろーが「解雇」扱い。

「解雇にリーチ」。素敵なフレーズネッ

カミサンにはバレルと面倒なので、昼早く出勤し、短時間で切り上げたコトにして、何食わぬ顔で仕事終りのカノジョを会社まで迎えに行った・・・。

“ブルドークン”のお蔭でわたし自身が「廃棄」に為るトコだった・・。



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(テレビ画面より)

某宗教教団の引き起こした事件の惨劇から20年を経ようとするタイミングで「テレビ朝日」において特集番組が放送された。

かつてわたしが個人的に所有していたVTR資料も、いつかはオンエアでこういう使われ方が来るのを予想して、西暦2000年以前に当時結婚したばかりで住んで居た名古屋から、宅配便にて「テレビ朝日」側に郵送した・・・。

VTR は、その直後からワイドショーを中心に暫くの間、繰り返し活用頂けたらしい。

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(テレビ画面より)

曖昧なのだが、「テレビ朝日」側の人間と一度きり、その資料の件に関して電話で話ししたように記憶している。

当時、その宗教団体はまだ行動も活発で、「公安警察」の監視下に在り、資料記録に氏名が残った場合、何らかの状況による“報復”を恐れたわたしは、そのVTR資料の「所有権」を「放棄」する旨を伝えた。

当時の事件全容を解明する一資料として、“有効”に使用されていたと思う・・。

番組そのものの“造り”も従来の日本の民間放送の、基幹局がゴールデンタイムに描く、稚拙なセンセーショナルなものデナク、史実に基づいた冷静な演出に為っていてホットした・・・。

恐らく、一定の関係者や今尚苦しむ事件被害者に厚く配慮したのだろう。

製作会社は「テレビ朝日グループ」の『TSP』。
旧社名を『東京サウンドプロダクション』と言う。
サウンドプロ、の名の通り文字通り、音の技術専門集団で、テレ朝の前身日本教育テレビ(JOEX-TV)の開局後(1959年・昭和34年)まもない1963年に創業。

屋内外の取材からスタジオ中継音声・収録そして音響効果・BGM選曲を実に50年以上、取り仕切る。
選曲のセンス・力量は国内でも有数を誇る。それだけの歴史がある。

日本の民間放送ネットワーク各社の中で、「テレビ東京系列(旧東京12チャンネル)」を除くと最後発のネット構築であるテレ朝は営業的・経営的に長らく“苦戦”してきた。

先行して開局した「日本テレビ放送網」や「東京放送」に、独創的な企画力を持つブレーンが集中し、長らく、ゴールデン・タイムには「東映」製作のフィルムドラマか、全米ネットワーク局買い付けの連続ドラマ等がメイン・コンテンツであった・・・・。

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Youtubeより

その中で「モーニングショー」や「アフタヌーンショー」、「こんにちは2時」など怒涛の昭和のスキャンダル情報に、より戦慄な、センセーショナルな音楽や効果音を選曲し、主婦好みの情報の“アザとさ”“みだらさ”に、華を添えた。

深刻な状況はより、深刻に、悲惨な状況はより悲惨に、凄惨な殺人はより凄惨に残忍に思えるよう、事件性を高める音響効果で他局を圧倒する“パワー”は在ったのだ・・。

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http://jp.freepik.com/

「力無い映像」や「貧弱な企画」をBGMで補う。

未だに、日本の民放キー局を含め地方ローカル局が夕方のニュース報道番組で、こぞって事件・事故に莫迦丸出しで音楽を乗せてしまうのは、こうした「ワイドショー」と数字獲得に必死だった当時の制作者たちの“功罪”である・・・。



あまり具体的に表現すると、おおいに差し障るので、曖昧にするが、東日本のとある大型の公営競技施設に、束の間、お世話に成った事がある・・・。
テレビの業界からアシを洗ったものの、一抹の未練は拭いきれず、就業条件がカミサンの傍に出来るだけ居られる可能性もあり、わたしは其の職場を選んだ・・・。
銀座の一等地に本社を置き、過去の業務資料と職務経歴書を携えて、面接に挑んだ。

舞台音響の仕事、テレビ製作の仕事、イベント催事の企画運営、豊富な画像資料を使ってのプレゼンが功を奏し、入社が即、決まった。転職の年齢的にはギリギリの時期であった・・・。

仮に、放送関連の大型施設としておこう・・。

入社して状況を把握して暫くすると、(実際の処、数時間で)多くのチグハグさが視えて来た。
放送の撮像は放送局用カメラ(業務用では無い)なのだが、同一のスイッチャーでスイッチングするのに、①カメと②カメと、④、⑤カメの製造メーカー、年式が異なる事。
放送の副調整室のテレビモニターが全て民生品な事。
カメラのスイッチングを知らせる、テレビモニターのタリー・ランプのリレー装置は手製の弁当箱・タッパウェアの中に作っている始末・・・。

なのに映像とCG、テロップ装置、静止画装置の運行管理をするコンピュータシステム・自動番組制御装置(じどうばんぐみせいぎょそうち、Automatic Program control System: APS)は純正の放送局仕様。
その、長さ2.5メートル程のAPSコンソール真下は設置以来、一度の掃除もしておらず、猛烈な綿埃の山。
なのに屋外の高精細大型ビジョンは数億円する一級品。
それらの放送制御ラック下も同様に「巨大な綿埃山」・・・。
収録中継の音声の検聴は驚いた事に、19インチ民生品テレビのスピーカー‼️‼️

調整室のスイッチャーとカメラマン同士のコミュニケーションは常識的には、インカム・システムで運用するのだが、それすら敷設せず。(各々カメラマンが勝手に撮像する)

おまけに調整室内で皆、喫煙するので長年の煙で放送機器のいたるところ、ヤニだらけ。


このいい加減な設備保守環境で、万が一競技実施の前後に、システムエラーがひとたび起きれば、数千人単位の来場者は明らかに“暴徒”と化すであろう。

放送製作スタッフには放送局経験者がひとりもおらず、その施設の設立当初から、ただ一人の“長老”以外は、誰も映像の基礎さえ知らず、放送用語も知らず、弱電知識すら皆無。

採用側がわたしを慌てて“就社させた”のは世代交代を急ぐ、この辺の“焦り”が在った・・。
わたしは放送局経験者という触れ込みで、採用されたのだが、判るのは音声・音響拡声の分野で、放送映像調整は専門分野では無い。

更に呆れた事に就社後かなりを経てから知らされたのは、わたしの経歴書・履歴書を社内全員が閲覧していた事。採用権限を持つ、後発入社の責任者の職場内での人的スキルが低く、閲覧させる事に因って社内のコンセンサスを得ようとした。

ある日、その“長老”に施設全体のイメージを把握する為に調整室を含む図面を拝見したいと聞いた。

「無いヨ・・。」

アタマが真っ白にナッタ。

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http://jp.freepik.com/

東日本でも有数の規模を誇るその施設内の放送局設備に、1枚の図面も無い。
TBS(東京放送)系列の衛星中継車も頻繁に来社し、全国放送する施設に図面ナシの「放置」

開設以来50数年、その“長老”お一人に全てを託してしまい、真っ当な技術職の採用を拒み続けた結果がコレであった。

わたしの経歴が、いくら畑違いで、もっと放送技術全般に精通したヒトを迎えるべきだと上司に力説しても、まともに捉えようとする者が、此処には居なかった。
彼らには“テレビ関係=放送関係=制作関係=技術関係”でしか無いのだ。

何を考えるとそうなるのか,以降の中途採用者も大手ゼネコンや出版など素人を大量に採用・・・。

相変わらず応募者全員の履歴書を社内の隅々のスタッフに回覧して、コンセンサスを得ようとした。
今後、一体誰が教育研修して行くのか意図は明らかであった。



わたしとその会社の2代目社長との間で問題も在り、ご迷惑をお掛けしたが、その会社を辞めてシマッタ・・・・・・・。



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これが、アホダメおとこのプロフィール!

hata50

Author:hata50
波田野 広之
中学時代、歌舞伎の尾上一門にあたる尾上流舞踊家の畑道代氏(故人)に師事。舞踊集団菊の会在籍。
日本舞踊・民族舞踊・長唄・鼓・三味線を学び、高校在学中、実母の逝去に伴い裏方に転向、舞台音響家を目指し、元日本音響家協会理事・八板賢二郎氏に師事。

ANBテレビ朝日報道局報道取材部アルバイトを経て正社員。制作助手、ENG機材営業を経て社員ディレクター第1号。後、作曲家筒美京平氏の従弟が経営する日本ビクター傘下の映像制作会社勤務。
「早見 優のアメリカンキッズ」他千葉テレビ情報生番組「MOONラビット」総合企画・演出。NTT,Nikon,三共製薬、ロータスジャパン、横浜ゴム、日立、三菱、JVC等東証一部上場企業の産業ビデオ多数演出。

後、映画監督で日本映画監督協会専務理事・後藤幸一氏に師事。河合塾サテライト講座、朝日放送「素敵にドキュメント」「これは知ってナイト」「平成ふしぎ探検隊」他多数演出。
その縁で逸見政孝氏(故人)峰竜太氏、清水由紀子氏(故人)渡辺めぐみ氏らの発起人により、35歳で外国人妻と結婚。

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