ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
東映が60周年である・・・。
小学生の時、学校の体育館で東映動画のアニメーション映画を観た記憶がある。
題名は忘れてしまったが白黒の作品であった・・。ウォルトディズニーに負けない繊細な描写・・・。
昭和40年代、テレビでは変身ヒーローと、円谷特撮全盛の時代。
月曜から日曜まで毎晩特撮ヒーローが暴れていたのだ・・・。
9歳年下の妹がわたしの事を「おにいちゃん、おにいちゃん・・」と呼ぶようになり、高学年を卒業しようという時期、密かに心の中では「こんなんじゃ、いけない・・」と葛藤しつつも、夏休み・冬休みと土日休みともなれば、勉強もせず1日13時間以上テレビの前から離れなかった・・・。
クラスで1度担任の先生が生徒全員の休日の視聴時間を挙手で尋ねた事があった・・。
「1時間以上の人・・2時間以上の人・・、それ以上・・」あろうことか10時間以上見ていたのはわたしひとり・・。
成績のふるわないわたしの顔を見つめるK先生のあの時の呆れ顔は、未だ目に焼きついている・・。
当時の東京のテレビは東宝・大映・日活の特撮映画やヒーローものを休みの期間中や土曜・日曜の昼間、頻繁に放映していた・・。
VHSなんぞという映像記録媒体の無い時代、新聞のラジオテレビ欄を見てそれはそれは心待ちにしたものだ・・。

その頃からだ。スタッフ紹介の字幕を「読み込む」クセがついたのだ。
照明助手、美粧、進行、かつら、撮影助手、色彩計測、リーレコ、録音・・。
6年生の卒業文集に「二十歳の時あなたは何をしているか?」との例題で作文を書かされた・・・。
「結婚して・・テレビディレクターになっている・・」そう書いた・・・。
実際結婚は35歳、ディレクターデビューは27歳くらい?だった。
駆け出しの新米ディレクターとして幾本かの東京ローカルのテレビCMを演出する中で思いがけず「息」を飲んだ事があった。
「横浜ドリームランド」の秋公開の新アトラクションPRを兼ねて15秒・30秒の新作を撮影する事となったある真夏の事・・・。
照明のチーフがなんと初代「仮面ライダー」(昭和46年~)の照明技師S氏!カメラマンは「ウルトラセブン」(昭和42年~)のセカンドカメラマンA氏だったのだ。数十年前、ブラウン管の前で字幕に登場した方達が新米小僧のわたしを支えてクレルノダ!
猛烈な緊張の撮影現場で、どんなに心強かった事か・・・。当時のCM映像をご覧戴けないのが残念である。

その後幾多の仕事の中で、「がんばれロボコン」(昭和49年~)や「仮面ライダーアマゾン」」(昭和49年~)の監督ともお仕事をご一緒する機会を得た。
時空を超えて字幕の「人」と出会い「共同作業」・・・感慨深い。

小学生の時、学校の体育館で東映動画のアニメーション映画を観た記憶がある。
題名は忘れてしまったが白黒の作品であった・・。ウォルトディズニーに負けない繊細な描写・・・。
昭和40年代、テレビでは変身ヒーローと、円谷特撮全盛の時代。
月曜から日曜まで毎晩特撮ヒーローが暴れていたのだ・・・。
9歳年下の妹がわたしの事を「おにいちゃん、おにいちゃん・・」と呼ぶようになり、高学年を卒業しようという時期、密かに心の中では「こんなんじゃ、いけない・・」と葛藤しつつも、夏休み・冬休みと土日休みともなれば、勉強もせず1日13時間以上テレビの前から離れなかった・・・。
クラスで1度担任の先生が生徒全員の休日の視聴時間を挙手で尋ねた事があった・・。
「1時間以上の人・・2時間以上の人・・、それ以上・・」あろうことか10時間以上見ていたのはわたしひとり・・。
成績のふるわないわたしの顔を見つめるK先生のあの時の呆れ顔は、未だ目に焼きついている・・。
当時の東京のテレビは東宝・大映・日活の特撮映画やヒーローものを休みの期間中や土曜・日曜の昼間、頻繁に放映していた・・。
VHSなんぞという映像記録媒体の無い時代、新聞のラジオテレビ欄を見てそれはそれは心待ちにしたものだ・・。

その頃からだ。スタッフ紹介の字幕を「読み込む」クセがついたのだ。
照明助手、美粧、進行、かつら、撮影助手、色彩計測、リーレコ、録音・・。
6年生の卒業文集に「二十歳の時あなたは何をしているか?」との例題で作文を書かされた・・・。
「結婚して・・テレビディレクターになっている・・」そう書いた・・・。
実際結婚は35歳、ディレクターデビューは27歳くらい?だった。
駆け出しの新米ディレクターとして幾本かの東京ローカルのテレビCMを演出する中で思いがけず「息」を飲んだ事があった。
「横浜ドリームランド」の秋公開の新アトラクションPRを兼ねて15秒・30秒の新作を撮影する事となったある真夏の事・・・。
照明のチーフがなんと初代「仮面ライダー」(昭和46年~)の照明技師S氏!カメラマンは「ウルトラセブン」(昭和42年~)のセカンドカメラマンA氏だったのだ。数十年前、ブラウン管の前で字幕に登場した方達が新米小僧のわたしを支えてクレルノダ!
猛烈な緊張の撮影現場で、どんなに心強かった事か・・・。当時のCM映像をご覧戴けないのが残念である。

その後幾多の仕事の中で、「がんばれロボコン」(昭和49年~)や「仮面ライダーアマゾン」」(昭和49年~)の監督ともお仕事をご一緒する機会を得た。
時空を超えて字幕の「人」と出会い「共同作業」・・・感慨深い。


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