ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
報道局でアルバイトをしていた当時、自分は田舎の無い東京出身者という事もあり、正月は常に元旦出勤であった・・。当時の番組編成では元旦は昼ニュースが極端に短く、数項目のニュースしか扱わないので仕事らしい仕事は無かった・・。3日間連続で早朝に六本木から代々木の明治神宮の参拝客の様子を取材に出掛け、あとはやる事が無い。
帰社すると局のデスクに一升瓶が現れ、お祝いの宴会が始まる。(今の時代はそんな事出来ないだろうが)
ろくにツマミも無く飲むので、帰りの地下鉄では顔を真っ赤に染めて帰る。1度は局の地下のトイレで酔いつぶれて寝てしまった事もある・・。
人間何もするべき事が無いと囲んでお酒を飲むのは何処でも同じか・・・・。
国会の参議院の中にある「映放クラブ」(NHK・民放ラジオテレビで構成)という記者詰めがある。
ここでも当時は、長年の慣習で本会議や予算委員会等の開催の無い時期は午後になると、報道各社で麻雀や酒盛りが始まる・・。(今の時代はそんな事出来ないだろうが)

国会記者クラブ詰めのテレビ朝日の皆さんには本当にお世話になった。
皆、温厚な人柄でとりわけTデスク(故人)には当時の環太平洋合同軍事演習の取材でハワイに出掛けた際にわざわざ高価なお土産を戴いたり、カメラマンのM氏にはわたしが社員ディレクターとして初めて演出した際、コチラが若気の至りで生意気な態度でナメてかかった口をキイタ時も、黙って整然と現場を収めて戴いた・・。
クラブ詰めの大柄な某局のデスクは、酔うと他局の私を呼びつけよくわたしを膝の上に座らさせ抱きしめられた・・。(ソンナ趣味ないぜ・・)
手ごろな価格で大量のおかずが付く議員食堂での昼食、総理官邸地下で二束三文で食べれるカジュアルな昼食、何よりも光栄だったのは、参議院警務課から下付される入門証とスーツの襟に着けるクラブの胸章だった・・・。
国会中継の際には本会議場の民放各社向けに音声を分岐する代表音声操作を担当させて戴いた・・。
プロフィールにも記述しているが、少年期から所属していた舞踊団を自らの不心得で去る事となりわたしの人生は大きく挫折した・・。ところが程なく、そこで培った音響・音声業務の経験を買われアルバイトから正社員となり勤務先が国会の記者クラブ・・・。
ある朝、通勤の為自宅のある南阿佐ヶ谷から地下鉄丸の内線で国会議事堂前迄乗車した時、思いがけず途中の四谷見附駅から見覚えの在る美しい女性が私の前に乗り込んで来た。苦節を舐めて惨めに退団した舞踊団の人だ。とある新興宗教団体の大幹部のご令嬢でもある。
「気まずさと驚き」そして今の自分を「見てくれ」と言わんばかりに揺れる車内で仕事の事を必死に説明した・・。「この人に伝えれば、舞踊団の皆に自分なりの人生の挽回を知って貰える・・・。」
かつて「迷惑」をかけた穴埋めにはその程度の事しか考えつかなかった・・・。

名誉に思えた国会勤務の仕事は、思いも因らぬ形でやがて終焉を迎える・・・・。
その日、クラブ部屋詰めの総務のご婦人が不在で各社いつもの如く思い思いに麻雀卓を囲んだり、テレビを観て雑談したり暇していた。そこへ1本の電話が入る。電話は鳴り続けるが麻雀の牌をかき混ぜるガラガラとした音やテレビの音に掻き消され聞こえていない。大部屋をテレビや大きな棚で各局ごとに間仕切りしている最も端に、我がテレビ朝日のクラブは位置し鳴り止まぬその黒電話に最も近かった。
仕方なく受話器を取る。「議運(議員運営委員会)の会見です・・・。」とだけ電話の相手はボソッと言うと、相手は私が誰かも聞かずに一方的に電話を切った。「 ・・・?。」
電話を受けた時の手筈も、電話にでてしまう事も、でたらどうするかの手順も、その意味も何も理解せず、あろうことか、わたしは誰かがデスクに戻ってから電話の件を伝えれば良いであろうと勝手に解釈した。
暫らくして大騒ぎになる。再び黒電話が鳴る!「なんで各社誰も来ないんだ!!!」
NHK・民放各局が自社のテレビカメラを据え付けて会見の様子を収録する告知の定期的な重要連絡だったのだ。会見はテレビ・ラジオが揃う前に新聞記者のみで既に開始されていた!!
クラブのデスクが不在の時の「会見連絡の伝達方法の不備」は、何も知らないわたしが電話を取ってシマッタ事で責任を取らされた・・・・・・・こんな筈じゃ無かったノダ!
帰社すると局のデスクに一升瓶が現れ、お祝いの宴会が始まる。(今の時代はそんな事出来ないだろうが)
ろくにツマミも無く飲むので、帰りの地下鉄では顔を真っ赤に染めて帰る。1度は局の地下のトイレで酔いつぶれて寝てしまった事もある・・。
人間何もするべき事が無いと囲んでお酒を飲むのは何処でも同じか・・・・。
国会の参議院の中にある「映放クラブ」(NHK・民放ラジオテレビで構成)という記者詰めがある。
ここでも当時は、長年の慣習で本会議や予算委員会等の開催の無い時期は午後になると、報道各社で麻雀や酒盛りが始まる・・。(今の時代はそんな事出来ないだろうが)

国会記者クラブ詰めのテレビ朝日の皆さんには本当にお世話になった。
皆、温厚な人柄でとりわけTデスク(故人)には当時の環太平洋合同軍事演習の取材でハワイに出掛けた際にわざわざ高価なお土産を戴いたり、カメラマンのM氏にはわたしが社員ディレクターとして初めて演出した際、コチラが若気の至りで生意気な態度でナメてかかった口をキイタ時も、黙って整然と現場を収めて戴いた・・。
クラブ詰めの大柄な某局のデスクは、酔うと他局の私を呼びつけよくわたしを膝の上に座らさせ抱きしめられた・・。(ソンナ趣味ないぜ・・)
手ごろな価格で大量のおかずが付く議員食堂での昼食、総理官邸地下で二束三文で食べれるカジュアルな昼食、何よりも光栄だったのは、参議院警務課から下付される入門証とスーツの襟に着けるクラブの胸章だった・・・。
国会中継の際には本会議場の民放各社向けに音声を分岐する代表音声操作を担当させて戴いた・・。
プロフィールにも記述しているが、少年期から所属していた舞踊団を自らの不心得で去る事となりわたしの人生は大きく挫折した・・。ところが程なく、そこで培った音響・音声業務の経験を買われアルバイトから正社員となり勤務先が国会の記者クラブ・・・。
ある朝、通勤の為自宅のある南阿佐ヶ谷から地下鉄丸の内線で国会議事堂前迄乗車した時、思いがけず途中の四谷見附駅から見覚えの在る美しい女性が私の前に乗り込んで来た。苦節を舐めて惨めに退団した舞踊団の人だ。とある新興宗教団体の大幹部のご令嬢でもある。
「気まずさと驚き」そして今の自分を「見てくれ」と言わんばかりに揺れる車内で仕事の事を必死に説明した・・。「この人に伝えれば、舞踊団の皆に自分なりの人生の挽回を知って貰える・・・。」
かつて「迷惑」をかけた穴埋めにはその程度の事しか考えつかなかった・・・。

名誉に思えた国会勤務の仕事は、思いも因らぬ形でやがて終焉を迎える・・・・。
その日、クラブ部屋詰めの総務のご婦人が不在で各社いつもの如く思い思いに麻雀卓を囲んだり、テレビを観て雑談したり暇していた。そこへ1本の電話が入る。電話は鳴り続けるが麻雀の牌をかき混ぜるガラガラとした音やテレビの音に掻き消され聞こえていない。大部屋をテレビや大きな棚で各局ごとに間仕切りしている最も端に、我がテレビ朝日のクラブは位置し鳴り止まぬその黒電話に最も近かった。
仕方なく受話器を取る。「議運(議員運営委員会)の会見です・・・。」とだけ電話の相手はボソッと言うと、相手は私が誰かも聞かずに一方的に電話を切った。「 ・・・?。」
電話を受けた時の手筈も、電話にでてしまう事も、でたらどうするかの手順も、その意味も何も理解せず、あろうことか、わたしは誰かがデスクに戻ってから電話の件を伝えれば良いであろうと勝手に解釈した。
暫らくして大騒ぎになる。再び黒電話が鳴る!「なんで各社誰も来ないんだ!!!」
NHK・民放各局が自社のテレビカメラを据え付けて会見の様子を収録する告知の定期的な重要連絡だったのだ。会見はテレビ・ラジオが揃う前に新聞記者のみで既に開始されていた!!
クラブのデスクが不在の時の「会見連絡の伝達方法の不備」は、何も知らないわたしが電話を取ってシマッタ事で責任を取らされた・・・・・・・こんな筈じゃ無かったノダ!
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