ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
プロ野球が、はじまった・・・・・。
野球が「嫌い」だ・・・・。
小学生の時、電子部品メーカー勤務のわたしのエンジニアの父は「読売巨人軍」の大ファンであった。
当時、日本の夜のテレビは何処の家庭も野球中継で席捲されていた・・・・。
父の会社は当時、後楽園球場のスタンド席を年間契約していて、試合観戦も付き合わされた・・・。
⇒「ゲームルールを知らないまま」




当のわたしは、そんな事より1週間毎夜続く特撮ヒーローに熱中した。
「ミラーマン」「ファイヤーマン」「変身忍者 嵐」「超人バロム・ワン」「人造人間キカイダー」「帰ってきたウルトラマン」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」・・・・。
雨で試合中止にならぬ限り、たいせつな「番組」達は放送延期になった。猛烈な「ブルー」である。ベースボール・シンドローム。
①野球の中継を「見ない」、観ても父親と一緒に「楽しめない」⇒「ゲームルールを知らないまま」
食事を食べ終わってもまだ試合中継は終わらない。終わる訳がナイ!
②東京・新宿から地下鉄で10数分の一大商店密集地に育ち、「ボール」なんぞを投げて遊ぶ場所に乏しい。
友達も少ない・・・・。
③周囲の友達は皆、「読売巨人」のファンで「YG」マークの野球帽を被った。わたしは「つきあい」で仕方なく欲しくもない
のに母親にねだって同じのを「被った」⇒「ゲームルールを知らないまま」
④周囲の友達は皆、ぼちぼちと野球グローブを買い始めた。わたしは「つきあい」で仕方なく欲しくもないの父親にねだって皮製のを「買った」⇒「ゲームルールを知らないまま」
⑤こうして「動体視力」を鍛錬する間もなく、体育の時間、担任のK先生が突然野球をしようと言い出した!
皆、飛び上がって喜んでいたが、わたしは「??????!」バッター打席に「立った」⇒「ゲームルールを知らないまま」
野球中継ではバッターがヒットした打球を目で追いながらバットを放り出して出塁していた、その光景を思い出し
「生まれて初めて立った打席」で1回目のスイング!振ったバットを後方へ「放り出してみせた」。
「アブネェナァ


!!」
K先生が怒鳴った




わたしの「偽りの野球人生」が終わった瞬間である・・・・・・。


父はたまの休みにわたしを
キャッチボールに誘うものの、あまりのコントロールとキャッチの「どヘタさ」に呆れていた。
これも「トラウマ」。
動いているモノの方向へ目で追いながら移動する、予測する、これが苦手な家系、であると思う。
4半世紀以上昔、母の兄は、某巨大新興宗教団体の信者輸送警備の最中、旧国鉄・富士宮駅で降り遅れた信徒の子供を降ろそうと、既に動き出した客車列車のドアなしのデッキ部分に飛び移り損ねてホームに落下し亡くなった・・・・。
そんな判断をせずとも、列車がアウシュビッツに向かっている訳でもあるまいに・・・・。
教団の会長はこの事故の様子を自著のベストセラー小説に「実名」で描き、死を「偶像化」してしまった。
「動体視力」、劣れば命すら落とすのだ・・・・・・・。


1985年(昭和60年)1月19日、多摩市一本杉公園野球場グラウンドにわたしはビデオ・エンジニアとして立って居た。
1966年(昭和41年)、この年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガース、阪急ブレーブス、東映フライヤーズ、読売ジャイアンツ、の4球団から1位指名を受けた男、「江夏 豊」氏引退の様子をテレビ朝日「テレビスクープ」で特集取材中だった・・・・。
1971年のオールスター戦9連続脱三振や史上59人目となるノーヒットノーラン達成など輝かしい記録を持つも、西武移籍後の監督への不信感や体調不良を理由にこの日の引退式となったのだ。

http://number.bunshun.jp/
当時のNumber誌編集部主催、名球会協力の下、「たったひとりの引退式」。引退式の挨拶で、メジャーリーグ挑戦の意志を表明し、詰め掛けたファンの歓声に答えた。
ピッチャ・マウンドで胴上げの際「動体視力」音痴のわたしは両の肩に100キロのVTRと照明機材を担いでいて身動きが鈍く、各社一斉に腰を落として屈む姿勢をとる中、わたしだけ瞬時に屈めずその晩の各局のスポーツニュースに無様な格好を晒していた・・・・。
各局・・・・。

世界中の放送局で採用されたSONY製VTR 死ぬほど重い!
大歓声の中、江夏氏はこの後スタンド外周を一周する・・・。
このVTRと予備のバッテリー予備のVTRテープ数本、カメラ用バッテリー、照明、照明用バッテリー、音声ミキサー、ガン・マイク・・・・。
どれもコレも皆初期のものなので重いコト重いコト・・・。
転んだら、一人で起き上がれない、てかカメラマンも太いケーブルで繋がっているので、一緒に転倒する!転倒したら、テレビ朝日の画像は無くなる!!
江夏氏がグラウンドを降り控え室に戻る瞬間、最後の一言を貰おうと綿密な打ち合わせ済みであったが、正規の野球場では無い「市民球場」至る所の造りが狭くこんなに大勢を受け入れる余裕は無い!
通路階段を登る江夏氏を真正面から捕らえ様としたわたしのカメラマンは江夏氏の後ろに追いやられ、カメラを構えるスペースすら無いまま滅茶苦茶になった。

http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp8051
幸いインタビューそのものはテレビ朝日「こんにちは2時」や「トゥナイト」の他番組クルーの画像を借用し、音声のみわたしの録った「テレビスクープ」から提供し、オンエアを乗り切れた。
しかしながら・・・、わたしの野球嫌いに何等、変わりはナイ・・・・・・。
出来る事なら、もっと楽しめる人生に「変わりたい」。もう・・・、間に合わない・・・・・。
「ディレクター部門」ランキング1位更新中


「国際結婚部門」たまに3位くらい、「寂しいオヤジ部門」10位前後




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野球が「嫌い」だ・・・・。
小学生の時、電子部品メーカー勤務のわたしのエンジニアの父は「読売巨人軍」の大ファンであった。
当時、日本の夜のテレビは何処の家庭も野球中継で席捲されていた・・・・。
父の会社は当時、後楽園球場のスタンド席を年間契約していて、試合観戦も付き合わされた・・・。
⇒「ゲームルールを知らないまま」





当のわたしは、そんな事より1週間毎夜続く特撮ヒーローに熱中した。
「ミラーマン」「ファイヤーマン」「変身忍者 嵐」「超人バロム・ワン」「人造人間キカイダー」「帰ってきたウルトラマン」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」・・・・。
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雨で試合中止にならぬ限り、たいせつな「番組」達は放送延期になった。猛烈な「ブルー」である。ベースボール・シンドローム。
①野球の中継を「見ない」、観ても父親と一緒に「楽しめない」⇒「ゲームルールを知らないまま」

食事を食べ終わってもまだ試合中継は終わらない。終わる訳がナイ!
②東京・新宿から地下鉄で10数分の一大商店密集地に育ち、「ボール」なんぞを投げて遊ぶ場所に乏しい。
友達も少ない・・・・。
③周囲の友達は皆、「読売巨人」のファンで「YG」マークの野球帽を被った。わたしは「つきあい」で仕方なく欲しくもない
のに母親にねだって同じのを「被った」⇒「ゲームルールを知らないまま」

④周囲の友達は皆、ぼちぼちと野球グローブを買い始めた。わたしは「つきあい」で仕方なく欲しくもないの父親にねだって皮製のを「買った」⇒「ゲームルールを知らないまま」

⑤こうして「動体視力」を鍛錬する間もなく、体育の時間、担任のK先生が突然野球をしようと言い出した!
皆、飛び上がって喜んでいたが、わたしは「??????!」バッター打席に「立った」⇒「ゲームルールを知らないまま」

野球中継ではバッターがヒットした打球を目で追いながらバットを放り出して出塁していた、その光景を思い出し
「生まれて初めて立った打席」で1回目のスイング!振ったバットを後方へ「放り出してみせた」。
「アブネェナァ




K先生が怒鳴った





わたしの「偽りの野球人生」が終わった瞬間である・・・・・・。



父はたまの休みにわたしを

これも「トラウマ」。
動いているモノの方向へ目で追いながら移動する、予測する、これが苦手な家系、であると思う。
4半世紀以上昔、母の兄は、某巨大新興宗教団体の信者輸送警備の最中、旧国鉄・富士宮駅で降り遅れた信徒の子供を降ろそうと、既に動き出した客車列車のドアなしのデッキ部分に飛び移り損ねてホームに落下し亡くなった・・・・。
そんな判断をせずとも、列車がアウシュビッツに向かっている訳でもあるまいに・・・・。
教団の会長はこの事故の様子を自著のベストセラー小説に「実名」で描き、死を「偶像化」してしまった。
「動体視力」、劣れば命すら落とすのだ・・・・・・・。



1985年(昭和60年)1月19日、多摩市一本杉公園野球場グラウンドにわたしはビデオ・エンジニアとして立って居た。
1966年(昭和41年)、この年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガース、阪急ブレーブス、東映フライヤーズ、読売ジャイアンツ、の4球団から1位指名を受けた男、「江夏 豊」氏引退の様子をテレビ朝日「テレビスクープ」で特集取材中だった・・・・。
1971年のオールスター戦9連続脱三振や史上59人目となるノーヒットノーラン達成など輝かしい記録を持つも、西武移籍後の監督への不信感や体調不良を理由にこの日の引退式となったのだ。

http://number.bunshun.jp/
当時のNumber誌編集部主催、名球会協力の下、「たったひとりの引退式」。引退式の挨拶で、メジャーリーグ挑戦の意志を表明し、詰め掛けたファンの歓声に答えた。
ピッチャ・マウンドで胴上げの際「動体視力」音痴のわたしは両の肩に100キロのVTRと照明機材を担いでいて身動きが鈍く、各社一斉に腰を落として屈む姿勢をとる中、わたしだけ瞬時に屈めずその晩の各局のスポーツニュースに無様な格好を晒していた・・・・。



大歓声の中、江夏氏はこの後スタンド外周を一周する・・・。
このVTRと予備のバッテリー予備のVTRテープ数本、カメラ用バッテリー、照明、照明用バッテリー、音声ミキサー、ガン・マイク・・・・。
どれもコレも皆初期のものなので重いコト重いコト・・・。
転んだら、一人で起き上がれない、てかカメラマンも太いケーブルで繋がっているので、一緒に転倒する!転倒したら、テレビ朝日の画像は無くなる!!

江夏氏がグラウンドを降り控え室に戻る瞬間、最後の一言を貰おうと綿密な打ち合わせ済みであったが、正規の野球場では無い「市民球場」至る所の造りが狭くこんなに大勢を受け入れる余裕は無い!
通路階段を登る江夏氏を真正面から捕らえ様としたわたしのカメラマンは江夏氏の後ろに追いやられ、カメラを構えるスペースすら無いまま滅茶苦茶になった。

http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp8051
幸いインタビューそのものはテレビ朝日「こんにちは2時」や「トゥナイト」の他番組クルーの画像を借用し、音声のみわたしの録った「テレビスクープ」から提供し、オンエアを乗り切れた。
しかしながら・・・、わたしの野球嫌いに何等、変わりはナイ・・・・・・。
出来る事なら、もっと楽しめる人生に「変わりたい」。もう・・・、間に合わない・・・・・。





「国際結婚部門」たまに3位くらい、「寂しいオヤジ部門」10位前後





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