ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
昨夜、BS朝日「題名のない音楽会」「シエナ流ビートルズの楽しみ方」の回で、民謡歌手の「金沢明子」さんが出演された。

(テレビ画面より)http://www.bs-asahi.co.jp/daimei/
1976年(昭和51)以降、テレビ・ラジオ界に民謡ブームが起こり、津軽弁まるだしでのトークが大人気となった「山本謙司」さんらと共に、ジーパンを姿で民謡を歌う彼女に「民謡界の山口百恵」なるキャッチフレーズ迄唱え、日本ビクターが猛セールスした・・・。
当時のフジテレビ正午の番組枠は、相当の長い間の視聴率低迷期で、裏番組には「お昼のワイドショー」(AX)「アフタヌーンショー」(EX)の強力なゴシップショー番組に挟まれ、後の「MANZAI」ブームが到来するまで大苦戦中であった・・・。
そんな中「お茶の間スペシャル」(CX・1978年10月~ 1980年3月)と題したこの時間枠には、なんと民謡番組を制作。
司会は「川津祐介」さん。

http://entertainment.rakuten.co.jp/person/0000016772/
そして、この番組のディレクターであったのがフジテレビ社員の「Mさん」・・・。
ゴールデンタイムも含め、NHK/民放を問わず民謡番組やスペシャル特番が多数存在し、わたしの在籍した舞踊集団も多くの民謡歌手のバックで踊った。kikunokai.co.jp/
打ち合わせで当時の東京・新宿 河田町の迷路のようなフジテレビ旧社屋へ伺ったり、大柄な「Mディレクター」が超多忙の中、わたし達の渋谷の事務所へ「一緒に食べましょう!」と差し入れの
ケーキを手に現れ、舞踊団の師匠と共におおいに驚いたりもした・・・。
「金沢明子」さんはこの「お茶の間スペシャル」のレギュラー出演者となり、やがてディレクターの「Mさん」とめでたくご結婚

1982年(昭和57)に大瀧詠一プロデュースの『イエロー・サブマリン音頭』がヒット
当時、ビートルズの楽曲著作権保護が強化され、
彼らの楽曲をカバーする場合に歌詞の変更が禁じられた。
そんな情勢の中、この曲のデモテープを聞いたポール・マッカートニー氏は歌詞の変更を伴ったカバーを唯一許可した・・・。
アイドル歌手として当時大人気だった「麻丘めぐみ」さんは、やはりフジテレビディレクターと結婚したものの1983年(昭和58年)に離婚。
次いで「金沢明子」さんも同年、別居から離婚・・・。
テレビのディレクターとは社員・フリーランス問わず月収が手取り当時40万円を超えると、要領が良くて、アシスタントの方々に恵まれていたとしても、「自分の家」
に帰る事が難しくなる・・・。(わたしが活動していた当時ね・・。)
高収入であっても家人を省みれず、華やかで、若いタレントや水商売の方にチヤホヤされても、精神的、体力的に過酷で、レギュラー番組を持てば尚の事、少しの間も立ち止まる事が「 許されず 」、・・・・。
今の家内と結婚して毎晩、毎晩、毎晩・・食事を作っては待ちつづけ、深夜や明け方に帰り、スグに職場に、ロケにとって返す事数年・・・・。
たまたま事前に知らせる事無く、彼女を驚かせるつもりで、薄暮の中、自宅のマンション階が見渡せる橋にたった帰路・・・。
わたしたちの住む12階の部屋の小窓から、橋のこちらを見ている彼女の姿が見えた時・・・、愕然とし、同時に、涙し、気が付いたのだ・・。
「このままじゃ・・・、いけない・・・・・・・・・・・・。」

わたしは、暫らくして・・・好きだった「テレビ」の仕事をそろそろ捨てよう、・・と考えはじめたのだ・・・。
「ディレクター部門」ランキング1位更新中


「国際結婚部門」たまに3位くらい、「寂しいオヤジ部門」10位前後




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(テレビ画面より)http://www.bs-asahi.co.jp/daimei/
1976年(昭和51)以降、テレビ・ラジオ界に民謡ブームが起こり、津軽弁まるだしでのトークが大人気となった「山本謙司」さんらと共に、ジーパンを姿で民謡を歌う彼女に「民謡界の山口百恵」なるキャッチフレーズ迄唱え、日本ビクターが猛セールスした・・・。
当時のフジテレビ正午の番組枠は、相当の長い間の視聴率低迷期で、裏番組には「お昼のワイドショー」(AX)「アフタヌーンショー」(EX)の強力なゴシップショー番組に挟まれ、後の「MANZAI」ブームが到来するまで大苦戦中であった・・・。
そんな中「お茶の間スペシャル」(CX・1978年10月~ 1980年3月)と題したこの時間枠には、なんと民謡番組を制作。


http://entertainment.rakuten.co.jp/person/0000016772/
そして、この番組のディレクターであったのがフジテレビ社員の「Mさん」・・・。
ゴールデンタイムも含め、NHK/民放を問わず民謡番組やスペシャル特番が多数存在し、わたしの在籍した舞踊集団も多くの民謡歌手のバックで踊った。kikunokai.co.jp/
打ち合わせで当時の東京・新宿 河田町の迷路のようなフジテレビ旧社屋へ伺ったり、大柄な「Mディレクター」が超多忙の中、わたし達の渋谷の事務所へ「一緒に食べましょう!」と差し入れの

「金沢明子」さんはこの「お茶の間スペシャル」のレギュラー出演者となり、やがてディレクターの「Mさん」とめでたくご結婚


1982年(昭和57)に大瀧詠一プロデュースの『イエロー・サブマリン音頭』がヒット

当時、ビートルズの楽曲著作権保護が強化され、


そんな情勢の中、この曲のデモテープを聞いたポール・マッカートニー氏は歌詞の変更を伴ったカバーを唯一許可した・・・。
アイドル歌手として当時大人気だった「麻丘めぐみ」さんは、やはりフジテレビディレクターと結婚したものの1983年(昭和58年)に離婚。
次いで「金沢明子」さんも同年、別居から離婚・・・。

テレビのディレクターとは社員・フリーランス問わず月収が手取り当時40万円を超えると、要領が良くて、アシスタントの方々に恵まれていたとしても、「自分の家」


高収入であっても家人を省みれず、華やかで、若いタレントや水商売の方にチヤホヤされても、精神的、体力的に過酷で、レギュラー番組を持てば尚の事、少しの間も立ち止まる事が「 許されず 」、・・・・。
今の家内と結婚して毎晩、毎晩、毎晩・・食事を作っては待ちつづけ、深夜や明け方に帰り、スグに職場に、ロケにとって返す事数年・・・・。
たまたま事前に知らせる事無く、彼女を驚かせるつもりで、薄暮の中、自宅のマンション階が見渡せる橋にたった帰路・・・。
わたしたちの住む12階の部屋の小窓から、橋のこちらを見ている彼女の姿が見えた時・・・、愕然とし、同時に、涙し、気が付いたのだ・・。
「このままじゃ・・・、いけない・・・・・・・・・・・・。」


わたしは、暫らくして・・・好きだった「テレビ」の仕事をそろそろ捨てよう、・・と考えはじめたのだ・・・。
![]() | イエローサブマリン音頭/じょんがら流れ鳥 (1999/05/21) 金沢明子 商品詳細を見る |




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