ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!
雑事に取り紛れ今年のGWにお話するのを失念していた・・・。
わたしと家内の結婚披露宴の発起人のおひとりであり、デビューから存じ上げた「清水由貴子さん」・・・。
4月にお父様の墓前で亡くなられてもう、3年がたつ・・・。
昭和34年(1959)浅草生まれの苦労人である・・。
日本テレビで昭和46年(1971)から12年もの永い間続いた「スター誕生」という一世を風靡したオーディション番組・・・。
当時、現在の「ジャニーズ事務所」の如く、その権勢を誇った「渡辺プロダクション」の対抗勢力が、逸材獲得・利権確保の為に始めた番組だ・・・。
彼女は歴代優勝者の「桜田淳子さん」や「山口百恵さん」の20数社という指名競争社数に継ぐ、14社のプロダクション・レコード会社の指名を受、け高校に在学しながらデビュー・・・。

この記事を書く為に調べたら、驚いた事にわたしの母が亡くなった年昭和51年(1976)当時、偶然にも同じ町内に、彼女の所属事務所がアパートを借りデビューに向け、単身暮していたようだ・・。
翌年3月、CBSソニーよりデビュー、オリコンチャート30位を記録・・。
このブログでも触れているとおり、一方のわたしは母の死後、好きではナカッタ舞台の仕事を辞めたいと、申し出、国立劇場の方のお世話で舞台音響マンに転向し、この年の夏、後楽園ジャンボプールでのライブで彼女のミキシング・エンジニアを勤めることになる・・・。
その後彼女は、浅草出身の昭和の大コメディアン「萩本欽一」氏の大ブレイクに伴い活躍する・・・。
・・・時は「過ぎ」・・結婚直前、ディレクターデビューして暫らく後、「朝日放送」の「素敵にドキュメント」や「平成ふしぎ探検隊」で偶然にも、ふたたび、番組リポーターの彼女と、京都の「京野菜」を紹介するロケでご一緒した・・。食事休憩の時、わたしからデビュー当時に、音響スタッフとして、遠い昔にお会いした事を切り出すと、おおいに喜んで下さった・・・。
・・・当時のライブの会場の「清水由貴子」追っかけ部隊の中に、ひときわ巨大な体格の少年が居た事を思い出し話題にすると、顔がみるみる「曇り」、「ああ、アノ子・・、亡くなったんですよ・・・・。」と宙を見つめた・・・。
仕事中に不味いコトを聴いてしまった・・・。

東京・新宿の披露宴ではお会いするコトは出来なかったが、発起人のおひとりとしてご賛同戴き、メッセージカードを添えた「花束」まで戴いた・・・・。
その時の「お礼」をしていない。なんという「恩知らず」だろう・・・。
「ごめんなさい。」そして、「ありがとう。」・・・今更、遅いか・・・・・・・。
わたしと家内の結婚披露宴の発起人のおひとりであり、デビューから存じ上げた「清水由貴子さん」・・・。
4月にお父様の墓前で亡くなられてもう、3年がたつ・・・。
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昭和34年(1959)浅草生まれの苦労人である・・。
日本テレビで昭和46年(1971)から12年もの永い間続いた「スター誕生」という一世を風靡したオーディション番組・・・。
当時、現在の「ジャニーズ事務所」の如く、その権勢を誇った「渡辺プロダクション」の対抗勢力が、逸材獲得・利権確保の為に始めた番組だ・・・。
彼女は歴代優勝者の「桜田淳子さん」や「山口百恵さん」の20数社という指名競争社数に継ぐ、14社のプロダクション・レコード会社の指名を受、け高校に在学しながらデビュー・・・。

この記事を書く為に調べたら、驚いた事にわたしの母が亡くなった年昭和51年(1976)当時、偶然にも同じ町内に、彼女の所属事務所がアパートを借りデビューに向け、単身暮していたようだ・・。
翌年3月、CBSソニーよりデビュー、オリコンチャート30位を記録・・。
このブログでも触れているとおり、一方のわたしは母の死後、好きではナカッタ舞台の仕事を辞めたいと、申し出、国立劇場の方のお世話で舞台音響マンに転向し、この年の夏、後楽園ジャンボプールでのライブで彼女のミキシング・エンジニアを勤めることになる・・・。
その後彼女は、浅草出身の昭和の大コメディアン「萩本欽一」氏の大ブレイクに伴い活躍する・・・。
・・・時は「過ぎ」・・結婚直前、ディレクターデビューして暫らく後、「朝日放送」の「素敵にドキュメント」や「平成ふしぎ探検隊」で偶然にも、ふたたび、番組リポーターの彼女と、京都の「京野菜」を紹介するロケでご一緒した・・。食事休憩の時、わたしからデビュー当時に、音響スタッフとして、遠い昔にお会いした事を切り出すと、おおいに喜んで下さった・・・。
・・・当時のライブの会場の「清水由貴子」追っかけ部隊の中に、ひときわ巨大な体格の少年が居た事を思い出し話題にすると、顔がみるみる「曇り」、「ああ、アノ子・・、亡くなったんですよ・・・・。」と宙を見つめた・・・。
仕事中に不味いコトを聴いてしまった・・・。

東京・新宿の披露宴ではお会いするコトは出来なかったが、発起人のおひとりとしてご賛同戴き、メッセージカードを添えた「花束」まで戴いた・・・・。
その時の「お礼」をしていない。なんという「恩知らず」だろう・・・。
「ごめんなさい。」そして、「ありがとう。」・・・今更、遅いか・・・・・・・。

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