ヤメディレクターの後悔懺悔粉飾人生 60過ぎた元全国ネット番組のディレクターで、外国人妻を持つアホ男の過去と今、「仕切り、仕切られる」激動の人生模様を続々更新! 次々と「小出し」に明かされる衝撃のパンドラの箱!!古い記事も充分、面白いデス!是非!

http://teicalo.com/xylicrystal/cm/
何気に見ていて、突然大声出して笑えるCMが好きだ・・。
はやりのバラエティの様に笑いたくて延々受身で構えるのでは無く、意識せず画面を見ていて僅か15秒の中の11秒過ぎたあたりで「オチ」を見ているものに理解させ、ひとり笑ってしまう・・。

http://www.youtube.com/watch?v=luFEvlN6f98&feature=related
家内と同時に笑えれば尚楽しい!
「うーーん、また見たい・・」と思わず唸るCM。

http://www.zojirushi.co.jp/cm/kiwamehagama01/index.html
昔、産業映画あるいはビジネスビデオ・VPと呼ばれる分野では東証一部上場の企業の方々と非常に多くの映像を手掛ける機会に恵まれたが、CMの制作演出履歴はパッとしなかった・・。
全て東京ローカルのオンエアもので、しかも早朝と深夜にしかかけられないモノ。唯一全国で流れた?、と思われるのは、ABC朝日放送系の自分の担当していた情報番組の番組宣伝CMくらい・・。
CMを創る才能とそうした製作に縁のある会社に在籍出来なかったのが、その理由。
公私共大変にお世話になったテレビ朝日グループ・フレックスのI社長(故人)に、当時駆け出しの社員演出ディレクター・第1号としてご指名戴き、東京・池袋のスポーツ用品店のCMを初制作する事になった。
当時の映像は残っていないので、ご覧戴けないが、「安かろう、」のごとくの出来。その制作費僅か20万円!!
制作人件費、撮影技術人件費、機材費、VTR編集費、MA(マルチオーディオ)費、男女ナレーター出演料、諸雑費全て込みの衝撃価格である・・・。
店舗内を利用した撮影現場には深夜、当時の会社の他部署(テレビ朝日報道局)の諸先輩方が大勢駆けつけ店内のレイアウト変更などワイワイ言いながらお手伝い戴き、立場上恐縮しっ放しだったのを覚えている・・。
その後もI社長プロデュースの低価格CM路線はテレビ東京の広告局(だったか?)からの直受けで続いた・。
低予算の制作費なら、スポット枠の投入も低予算なので、オンエア本数も極端に少ない。枠の買い手が付かなくて局側が体面上、予算も付かないのにタダ同然のグロス本数をスポンサー・サービスに埋め合わせで繰返し流す事は地方局ではよくあるケースだが当時はバブル経済真っ只中。
自分の創った新しいCMが出来上がる度に、メモを頼りに指定された深夜・早朝にテレビの前で、ジッと座ってオンエアを待っていた「あの日、あの時・・・。」
日曜日の朝7時CXの「ボクらの時代」が好きだ・・。
大画面で見るに相応しい対談用のロケセットがとっても魅力的だ。
スタッフは毎回の場所探し、収録時間のアレンジされるのに相当な苦労をされているだろう・・。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/index.html
伝統の老舗割烹の座敷、西洋料理店、洒落たカフェ、日本の店舗建築というのはなんて見る人をドキドキさせるのだろう?一流のゲストの回ほど、背景の店舗はゴージャスに光輝いたり、格式高い店だったり・・・。「森三中」あたりの時はビールケースが積まれた一杯飲み屋だった・・。
オープニングの部分でセット入りするゲスト達が、廻りをキョロキョロ見回し乍、席に着く時の空気感、ある意味の緊張感が日曜の朝らしく見ていて心地良く、期待させる・・・。

(いずれもテレビ画面より)
30分番組なので、畳み込んだ構成になっているが、収録の時間は倍程度あるだろうからBSフジで再編集、っていうか、望むべくはBSフジブンの編集をマスターにして45分の番組とし、それを白マザーとして地上波分をコンパクトに再編集が良い!!早朝の「流し棄て」では、もったいない・・・。
・・・「マスメディアの集中排除」に背くが、通販や韓国ドラマ、電車、客船の番組ばっかりじゃぁねェ・・。
対してギネス認定の長寿番組ANB「徹子の部屋」はバカ明るいセットを含めまったく気に入らない・・。
強烈なサービスライトを照射し、NHK的段取りの予定調和な収録スタイルが、既に招かれたゲストと聞き手の空気感を塗り壁の如く飾ってしまい、何度か見てみたが全く、全く、トークが面白くないのだ・・。
視聴者は黒柳氏の「段取り」を見たいのでは無いの筈では・・・。
10数年前、大手予備校・K塾のCS授業で、とある英語講師の先生が対談のお相手として、英国出身の音楽評論家
「ピーター・バラカン」氏にインタビュー取材をした時の事・・・。

詳しくは当時のプロデューサーからの又聞きなので定かでないが、時間を割いてスケジュールを調整し、快くインタビューに応じた「バラカン」氏を前に、当の聞き手の筈の英語の先生はご自分の説を延々とハナシ続け、収録VTRには「ウン、そうですね、・・そうですね。」と、ひたすらうなずき続けるバラカン氏の様子しか撮れて居なかった、ゲストが殆ど喋らない撮影をして来て、わたしの後輩の若い演出ディレクターは現場プロデューサーに叱られていた・・。
要するにその先生側は、氏に自説を聞いて欲しかっただけなのだ・・。
「黒柳徹子」氏の場合もトークを「仕切り」たいのが番組要素の「核」の部分で、ゲストの口から「想定外」が出たとしてもそれをまとめるのを好まないだろう。
事前のリサーチ通りに進行する事が彼女の「要」。
「徹子・・」のつまらなさはここにある。あらかじめ下調べして打ち合わせた事を「なぞる」長寿番組・・。
収録スタイルから抜け出さないとホントのご本人の「良さ」はデテイナイであろう・・。

あの往年の歌番組「ザ・ベストテン」のようなハラハラ・ドキドキのナマ放送で「久米 宏」氏やゲスト出演者を「まくしたてる」のが最高だった・・。
「徹子」さん、己の皺をかくしてまで30年以上続けても面白くないナァ・・。
どうせなら廻りが「困る」程、コワシテ行ってほしいなぁ・・・。
毎日自宅から、ノーメークでナマ中継車出すのがいいなぁ、亡くなるまで・・・。
それが徹子冥利!!「殻」破ってください!
大画面で見るに相応しい対談用のロケセットがとっても魅力的だ。
スタッフは毎回の場所探し、収録時間のアレンジされるのに相当な苦労をされているだろう・・。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/index.html
伝統の老舗割烹の座敷、西洋料理店、洒落たカフェ、日本の店舗建築というのはなんて見る人をドキドキさせるのだろう?一流のゲストの回ほど、背景の店舗はゴージャスに光輝いたり、格式高い店だったり・・・。「森三中」あたりの時はビールケースが積まれた一杯飲み屋だった・・。
オープニングの部分でセット入りするゲスト達が、廻りをキョロキョロ見回し乍、席に着く時の空気感、ある意味の緊張感が日曜の朝らしく見ていて心地良く、期待させる・・・。

(いずれもテレビ画面より)
30分番組なので、畳み込んだ構成になっているが、収録の時間は倍程度あるだろうからBSフジで再編集、っていうか、望むべくはBSフジブンの編集をマスターにして45分の番組とし、それを白マザーとして地上波分をコンパクトに再編集が良い!!早朝の「流し棄て」では、もったいない・・・。
・・・「マスメディアの集中排除」に背くが、通販や韓国ドラマ、電車、客船の番組ばっかりじゃぁねェ・・。

対してギネス認定の長寿番組ANB「徹子の部屋」はバカ明るいセットを含めまったく気に入らない・・。
強烈なサービスライトを照射し、NHK的段取りの予定調和な収録スタイルが、既に招かれたゲストと聞き手の空気感を塗り壁の如く飾ってしまい、何度か見てみたが全く、全く、トークが面白くないのだ・・。
視聴者は黒柳氏の「段取り」を見たいのでは無いの筈では・・・。
10数年前、大手予備校・K塾のCS授業で、とある英語講師の先生が対談のお相手として、英国出身の音楽評論家


詳しくは当時のプロデューサーからの又聞きなので定かでないが、時間を割いてスケジュールを調整し、快くインタビューに応じた「バラカン」氏を前に、当の聞き手の筈の英語の先生はご自分の説を延々とハナシ続け、収録VTRには「ウン、そうですね、・・そうですね。」と、ひたすらうなずき続けるバラカン氏の様子しか撮れて居なかった、ゲストが殆ど喋らない撮影をして来て、わたしの後輩の若い演出ディレクターは現場プロデューサーに叱られていた・・。
要するにその先生側は、氏に自説を聞いて欲しかっただけなのだ・・。
「黒柳徹子」氏の場合もトークを「仕切り」たいのが番組要素の「核」の部分で、ゲストの口から「想定外」が出たとしてもそれをまとめるのを好まないだろう。
事前のリサーチ通りに進行する事が彼女の「要」。
「徹子・・」のつまらなさはここにある。あらかじめ下調べして打ち合わせた事を「なぞる」長寿番組・・。
収録スタイルから抜け出さないとホントのご本人の「良さ」はデテイナイであろう・・。


「徹子」さん、己の皺をかくしてまで30年以上続けても面白くないナァ・・。
どうせなら廻りが「困る」程、コワシテ行ってほしいなぁ・・・。
毎日自宅から、ノーメークでナマ中継車出すのがいいなぁ、亡くなるまで・・・。
それが徹子冥利!!「殻」破ってください!

CX系列の東海テレビが名古屋市開府400年記念事業用のロゴマーク(製作・名古屋市実行委員会)を市との契約終了後も自社の通信販売サイトでを継続使用していた事が、明るみに出た・・・。
「認識が甘かった」そうである・・。

つい、先日放送終了となった「ぴーかんテレビ」内での放送事故・「怪しいお米セシウムさん」事件もそうだが、「軽いナァ・・」
受け止め方が「軽い」のだ。5,6年?イヤ、もっと前になるか?休日の午後のニュースを見ていて唖然、とした事がある・・・。
「・・・名古屋市内のホテルで〇〇芸能プロのパーティーが盛大に行われました。」
はァー??????上場企業のホリプロやジャニーズ事務所のチャリティーや創立記念の類いを取り扱うならまだしも、地元の素人さんなんぞが、だーーーーれも!ダァレモ知らなーーい一プロダクションの宴会が東海テレビ報道局の午後ニュース?????
ペイパブリシティなら自社ローカルの情報番組でやれよ。中区・錦辺りにでも制作の連中が呼ぶとスグ現れるタレントとでも、深い仲だったのかしら??

東海テレビ直系の技術プロダクションの方々とお仕事を大昔の数年間、ご一緒した事があった・・。
そのお仕事は中京テレビ系のやはり、直系技術プロダクションの方々とも交互に作業する通信衛星を使った、スタジオ中継業務であった。
わたしはスタジオの副調整室で「イラッ」としていた・・。前者・東海の技術チーフであるスイッチャーさんが数週間の間、わたしの意図しない画像にたびたび切り替えてしまう「スイッチング・ミス」を連発していたのだ。
1,2度ならまだしも、そのチーフさんはナマ中継のたびに、「ミスタッチ」をする。
東京から出向いているわたしは、スタジオサブの中では「ひとり外様」なのだ・・。だが、それ以上オトナシク黙って「すまし顔」ではいられず、プロダクションの営業プロデューサーをスタジオロビーで呼び止め、訴えた。
「ミスが多過ぎます・・、何とかして欲しい・・。」
長身でスラリとしたハンサムタイプで同局の元アナウンサーとしてもご活躍された、その年配プロデューサーはわたしにシャープな声でこう切り替えした・・・・。
「・・・・カレ、ベテランなんでスョ?」 あいうえおあお。
「????????!」
お前みたいな若造がアレコレヌカスナってコトすか? まみむめもまも。
「認識が甘かった」そうである・・。

つい、先日放送終了となった「ぴーかんテレビ」内での放送事故・「怪しいお米セシウムさん」事件もそうだが、「軽いナァ・・」
受け止め方が「軽い」のだ。5,6年?イヤ、もっと前になるか?休日の午後のニュースを見ていて唖然、とした事がある・・・。
「・・・名古屋市内のホテルで〇〇芸能プロのパーティーが盛大に行われました。」
はァー??????上場企業のホリプロやジャニーズ事務所のチャリティーや創立記念の類いを取り扱うならまだしも、地元の素人さんなんぞが、だーーーーれも!ダァレモ知らなーーい一プロダクションの宴会が東海テレビ報道局の午後ニュース?????
ペイパブリシティなら自社ローカルの情報番組でやれよ。中区・錦辺りにでも制作の連中が呼ぶとスグ現れるタレントとでも、深い仲だったのかしら??

東海テレビ直系の技術プロダクションの方々とお仕事を大昔の数年間、ご一緒した事があった・・。
そのお仕事は中京テレビ系のやはり、直系技術プロダクションの方々とも交互に作業する通信衛星を使った、スタジオ中継業務であった。
わたしはスタジオの副調整室で「イラッ」としていた・・。前者・東海の技術チーフであるスイッチャーさんが数週間の間、わたしの意図しない画像にたびたび切り替えてしまう「スイッチング・ミス」を連発していたのだ。
1,2度ならまだしも、そのチーフさんはナマ中継のたびに、「ミスタッチ」をする。
東京から出向いているわたしは、スタジオサブの中では「ひとり外様」なのだ・・。だが、それ以上オトナシク黙って「すまし顔」ではいられず、プロダクションの営業プロデューサーをスタジオロビーで呼び止め、訴えた。
「ミスが多過ぎます・・、何とかして欲しい・・。」
長身でスラリとしたハンサムタイプで同局の元アナウンサーとしてもご活躍された、その年配プロデューサーはわたしにシャープな声でこう切り替えした・・・・。
「・・・・カレ、ベテランなんでスョ?」 あいうえおあお。
「????????!」
お前みたいな若造がアレコレヌカスナってコトすか? まみむめもまも。

「秋」は、38歳の若さである朝、突然死した母の弔いの季節でもあり、TOYOGUCHI TAKEZOの1枚2万、3万する秋物シャツやセーターをいきがって買い換えたシーズンであり、1週間ぶっ通しで舞台公演用の音楽素材を徹夜で編集し、その本番当日朝、過呼吸で倒れ舞台ホールから救急搬送された「秋」であり、座ってひとり5万円の銀座の高級クラブへ社長のお供で通い傲慢とうぬぼれに陥った「秋」である・・・・。
「秋」の食べ物を見ると・・、「秋」の夜のひんやりとした空気に触れると・・、それらの「秋」が瞼に甦りだすのだ・・・「秋」の気配と共に・・。
迎える「冬」は・・・ある時はその銀座の5万円のクラブのヒトと恋に落ちたり、生まれて初めて生放送の番組を担当し会社に半年間寝泊りしたり、人生の大きな転機となった舞台製作を過労と睡眠不足で大失敗に終わらせた「冬」であり、今の家内と出会ったのも「冬」で・・・。
わたしの中で・・、わたしの心の中の「秋」と「冬」は人生の中で多くの曲がり角を持つ季節。
角を曲がるまでにさまざまのトラップに翻弄されるのだ・・、おばけが立っていたり、贋物の虜になったり。
今の自分にはまだ・・、まだその頃を判り易く「語る」術が薄い。
自分を飾ろうと、取り繕おうとするから、「表現」に手間取っているのだ・・・・。

(写真は三河地方を流れる”逢妻川”)
少し、時間をくださいな・・・・。少し・・。
「秋」の食べ物を見ると・・、「秋」の夜のひんやりとした空気に触れると・・、それらの「秋」が瞼に甦りだすのだ・・・「秋」の気配と共に・・。
迎える「冬」は・・・ある時はその銀座の5万円のクラブのヒトと恋に落ちたり、生まれて初めて生放送の番組を担当し会社に半年間寝泊りしたり、人生の大きな転機となった舞台製作を過労と睡眠不足で大失敗に終わらせた「冬」であり、今の家内と出会ったのも「冬」で・・・。
わたしの中で・・、わたしの心の中の「秋」と「冬」は人生の中で多くの曲がり角を持つ季節。
角を曲がるまでにさまざまのトラップに翻弄されるのだ・・、おばけが立っていたり、贋物の虜になったり。
今の自分にはまだ・・、まだその頃を判り易く「語る」術が薄い。
自分を飾ろうと、取り繕おうとするから、「表現」に手間取っているのだ・・・・。

(写真は三河地方を流れる”逢妻川”)
少し、時間をくださいな・・・・。少し・・。

いまや国際的な舞踊団に子供の頃から23歳位まで在籍していた・・・。kikunokai.co.jp/
「芸術の秋」というが、秋から冬の時期は舞台芸術が1年で最も活気づく季節だろう。
春に企画し、ひと夏を稽古し、秋に初日を開け、冬にかけて国内巡業する・・。そんなパターンかな。
大昔、東京・赤坂に国際芸術家センターという、舞台関係専用のリハーサル会館があった・・・。
場所は当時のTBS会館の真裏にあり東京放送の電波塔の下あたり、おそらくTBSの敷地内だったと思う・・。
当時既に、十分に古めかしいコンクリート打ちっ放しの建物で舞台を模した合板の床と壁全面が鏡張りであった。

(当時の赤坂TBS局社とマイクロタワー)
その夜、全国公演に向けての最終稽古が行われ、演出家をはじめ、振付家、製作者、舞台監督、音響、照明、美術、大道具さらに邦楽演奏の歌手、お囃子方の諸先生方など大所帯でのリハーサルだった。
1部が古典舞踊、2部を創作舞踊劇と民族舞踊で構成する2時間半程の大舞台。
午後の早い時間に舞台演者のみが集まり、稽古をはじめて身体をつくり夜になりスタッフの方々が順次参集され、第1部から通しで各々が段取りを確認しながらの流れの稽古。
リハの途中、第1部と2部の間で休憩をとる事となった・・・。
まだ、コンビニなんぞというあたりまえの便利な店舗の無い時代。今時の若いひとたちに判り易く言うと、カップヌードルが売り出されたばかりで、ケンタッキーも日本上陸したばかり、マックシェイクがお化けのように超、超特大サイズだった頃。(これじゃわかんないよね?)アルミホイルに包まれた母親の握った焼肉入りのお握りを夕食代わりにガツガツ食べ、始まろうとする第2部に備えて、おしっこがしたくなった・・。
70名近く集まった稽古場にトイレは入口付近にひとつ。たしか赤電話?がありトイレはその奥の方にあった。
なんのためらいも無く木製のトイレで用を足す為、扉を開けた次の瞬間!!そこには!ナント!!
お三味線の大先生が着物の裾を腰まで捲り上げておしりまるだしで和式便器にしゃがんでいらしたのだ!!
扉を開けたのと殆ど同時に先生は振り向かれ、一瞬目が遇った!まさか中に人が居ると思わず、中学生だったわたしはノックしてから開ける、という社会の基本動作を怠ったが故の「事故」であった・・・。
全身を電気ショックが駆け抜けた!!断っておくが大先生は女性である・・・・。
「大変なことをした・・・・・」その夜、終始その大先生と目線すら合わせることが出来ず大切な稽古中ずっと、振り向いた瞬間の先生の顔とおしりのフラッシュバックに悩まされ、踊る中学生小僧のアタマん中が真っ白けだったことは言うまでもない・・・・。合掌。
「芸術の秋」というが、秋から冬の時期は舞台芸術が1年で最も活気づく季節だろう。
春に企画し、ひと夏を稽古し、秋に初日を開け、冬にかけて国内巡業する・・。そんなパターンかな。
大昔、東京・赤坂に国際芸術家センターという、舞台関係専用のリハーサル会館があった・・・。
場所は当時のTBS会館の真裏にあり東京放送の電波塔の下あたり、おそらくTBSの敷地内だったと思う・・。
当時既に、十分に古めかしいコンクリート打ちっ放しの建物で舞台を模した合板の床と壁全面が鏡張りであった。

(当時の赤坂TBS局社とマイクロタワー)
その夜、全国公演に向けての最終稽古が行われ、演出家をはじめ、振付家、製作者、舞台監督、音響、照明、美術、大道具さらに邦楽演奏の歌手、お囃子方の諸先生方など大所帯でのリハーサルだった。
1部が古典舞踊、2部を創作舞踊劇と民族舞踊で構成する2時間半程の大舞台。
午後の早い時間に舞台演者のみが集まり、稽古をはじめて身体をつくり夜になりスタッフの方々が順次参集され、第1部から通しで各々が段取りを確認しながらの流れの稽古。
リハの途中、第1部と2部の間で休憩をとる事となった・・・。
まだ、コンビニなんぞというあたりまえの便利な店舗の無い時代。今時の若いひとたちに判り易く言うと、カップヌードルが売り出されたばかりで、ケンタッキーも日本上陸したばかり、マックシェイクがお化けのように超、超特大サイズだった頃。(これじゃわかんないよね?)アルミホイルに包まれた母親の握った焼肉入りのお握りを夕食代わりにガツガツ食べ、始まろうとする第2部に備えて、おしっこがしたくなった・・。
70名近く集まった稽古場にトイレは入口付近にひとつ。たしか赤電話?がありトイレはその奥の方にあった。
なんのためらいも無く木製のトイレで用を足す為、扉を開けた次の瞬間!!そこには!ナント!!
お三味線の大先生が着物の裾を腰まで捲り上げておしりまるだしで和式便器にしゃがんでいらしたのだ!!
扉を開けたのと殆ど同時に先生は振り向かれ、一瞬目が遇った!まさか中に人が居ると思わず、中学生だったわたしはノックしてから開ける、という社会の基本動作を怠ったが故の「事故」であった・・・。
全身を電気ショックが駆け抜けた!!断っておくが大先生は女性である・・・・。
「大変なことをした・・・・・」その夜、終始その大先生と目線すら合わせることが出来ず大切な稽古中ずっと、振り向いた瞬間の先生の顔とおしりのフラッシュバックに悩まされ、踊る中学生小僧のアタマん中が真っ白けだったことは言うまでもない・・・・。合掌。
花王「ビオレ」に渡辺満里奈さんが出演中だ・・。
芸人の旦那様とも円満な様子は、彼女のブログからも十分に察しがつく。
ほんとうにしあわせそうである・・・・。

その昔、電電公社が民営化になりNTTとして生まれ変わり、世の中バブル経済期に突入し日本中が金満ムードで狂乱した頃、ディレクターとしては駆け出しだが、日に日に転職の度上澄みされてゆく給料の数字に「有頂天」あるいは「天狗」になりかけていた当時、黒一色だった電話器いわゆるホームテレホンにイタリアン・デザイナーを招き、色、形状にこだわった電話を売り出す為、プロモーション・ビデオを製作することになった。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの松田聖子所属の「サンミュージック」とNTTの代理店の関係で「SONY」系列のレコード会社「CBS SONY」いずれかの事務所のタレントさんにより選出する事になった。
「サンミュージック」からは当時デビュー前売り出し直前の「岡谷章子」さん、SONYからは会社預かりのカタチだった「渡辺満里奈」さんが参加した。
デモテープの収録の為、東京・市谷のCBS SONYスタジオの一角をお借りしてオーディションをさせていただいた。
満里奈さんは当時、まだ現役の都内に住む高校生でテレビカメラの前でキョンキョンの♪艶姿涙娘を振りつきで披露してくれた。そのときは少し顔色の悪い、セミロングのフツーの学生さんだった印象しかなかった・・・。
残念ながらその選からは漏れご縁が無かったが数年後、夕方のフジテレビを観て驚いた!!
今をときめく「おニャンコクラブ」のメンバーとして「夕焼けニャンニャン」に登場してたのだ!!
当時彼女を外したスタッフは皆、おおいに悔やんだのは言うまでも無い・・・。
電話器のプロモーションだから、と撮影用に電話器を彼女に持たせて話を交わした「あの日、あの時・・・・。」

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芸人の旦那様とも円満な様子は、彼女のブログからも十分に察しがつく。
ほんとうにしあわせそうである・・・・。

その昔、電電公社が民営化になりNTTとして生まれ変わり、世の中バブル経済期に突入し日本中が金満ムードで狂乱した頃、ディレクターとしては駆け出しだが、日に日に転職の度上澄みされてゆく給料の数字に「有頂天」あるいは「天狗」になりかけていた当時、黒一色だった電話器いわゆるホームテレホンにイタリアン・デザイナーを招き、色、形状にこだわった電話を売り出す為、プロモーション・ビデオを製作することになった。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの松田聖子所属の「サンミュージック」とNTTの代理店の関係で「SONY」系列のレコード会社「CBS SONY」いずれかの事務所のタレントさんにより選出する事になった。
「サンミュージック」からは当時デビュー前売り出し直前の「岡谷章子」さん、SONYからは会社預かりのカタチだった「渡辺満里奈」さんが参加した。
デモテープの収録の為、東京・市谷のCBS SONYスタジオの一角をお借りしてオーディションをさせていただいた。
満里奈さんは当時、まだ現役の都内に住む高校生でテレビカメラの前でキョンキョンの♪艶姿涙娘を振りつきで披露してくれた。そのときは少し顔色の悪い、セミロングのフツーの学生さんだった印象しかなかった・・・。
残念ながらその選からは漏れご縁が無かったが数年後、夕方のフジテレビを観て驚いた!!
今をときめく「おニャンコクラブ」のメンバーとして「夕焼けニャンニャン」に登場してたのだ!!
当時彼女を外したスタッフは皆、おおいに悔やんだのは言うまでも無い・・・。
電話器のプロモーションだから、と撮影用に電話器を彼女に持たせて話を交わした「あの日、あの時・・・・。」

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http://www.youtube.com/watch?v=zzedtBwmp2E
後藤幸一氏監督・上原多香子さん主演の映画「恋谷橋」が11月19日(土)よりロードショー公開される。
昔、テレビ朝日のグループ会社をやめ、数社の映像製作会社を転々とした後、映画フィルムの世界が知りたくて転がり込んだのが後藤監督の事務所・・・。
日本が誇るテレビ製作会社「テレビマンユニオン」に勤めてらした方と御結婚され、ATGで幾本もの本編を既に手掛けられて、その合間に2時間ドラマをはじめ、多くのドラマ監督を勤めていらした・・。
ある年の夏、東京・新宿の小さなワンルームマンションに仕事場を設けていた頃、初めてお遭いした。
日焼けした肌にクリクリした目は時に鋭く、髪は常に五分刈り頭、歩くのがとても早足でお酒をこよなく愛し、ほんとうに、ほんとうによく・・・御馳走になった。
後にも先にもこんなにお酒のお供をさせて頂いた事は無いだろう・・。

BS11映画「恋谷橋」特番画面より「後藤 幸一」監督
出逢ってスグに、ABC朝日放送の情報番組製作を長い間、ご一緒した。
その間、一部屋だった仕事部屋がふた部屋になり、別棟をビデオ編集用に借り、更に大きなビルのワンフロアを借りるようになり、あっという間に名古屋地区に支社を開設するまでの所帯となった。
監督にお連れ戴いたとある店で、今の家内と出会い結婚。彼の地フィリピンでの挙式にもわざわざ参列下さり、加えて東京で、逸見政孝氏(故人)や峰 竜太氏等番組で当時お世話になった著名な方々を披露宴・発起人に推挙し一切を取り仕切っていただいた・・・。
生々流転・・、我がブログの冒頭やプロフィールにあるとおり、現在、映像業界を離れてもいま尚、心温まるお手紙を度々頂戴し、感謝の念に耐えない。
何よりも私ら夫婦がいまだ幸せにやっている様子を何よりも喜んでいてくださる・・・。
興行の成功を心からお祈りしたい・・・・。
www.koitani.co.jp/


BS日テレ「徳光和夫のトクセンお宝映像!」にゲストで登場したのは旧日活映画の大スター!
小林 旭さん!・・・もう73歳かぁ・・・。お若いナァ。
歌謡ステージの録画Ⅴと過去の芸能ニュースフィルム、撮影所のさびれた食堂でのインタビュー構成。
日活ニューフェイスデビュー期、石原裕次郎氏との青春時代から、冷蔵庫すら買えなかった初任給の話、バブル経済期に背負った多額の債務の事など、栄光と挫折そして復活と「人生」の「あらぶる波」を超えた「男」」の貴重なお話。過去に週間文春でも拝見したお話しだが、そこは「映像」の魔力。テレビの方が遥かに楽しかった。
小林 旭さんの新曲「遠き昭和の」も素敵だ・・。どうか末永く「熱き心」でお元気で居て欲しい・・。

BS日テレ画面より http://www.bs4.jp/tokusen_otakara/outline.html
日本がバブル景気に狂乱していた頃、現在の民間放送局の考査基準よりも若干規制の緩い時代。
今はその多くが破綻した消費者金融から投資銀行、そして不動産会社。皆こぞって余りある資金の使い道に困った。
わたしの在籍していた映像製作会社が、某グループのテレビCM製作の技術を請け負った。
孫請けの仕事らしい・・。大手のテレビCM製作社では殆ど請け負わないVTR収録によるⅤCMだ。
映画「渡り鳥」シリーズのテーマソングが流れる中、カウボーイハットの小林氏が馬に乗って登場・・。
たしかログハウスか何かの前でポーズ。スポンサー企業名のサウンド・ロゴが流れてEND、だったと思う・・。
この撮影・編集技術請負の営業担当は当時の営業課の先輩Nさん。営業のシキタリから支払いの滞る製作会社への督促を含め多くの事を教わった大恩人である・・。
くだんのCMのVTRの編集、局への完成原版の納品・プリントが済んで先輩Nさんに元請けの代理店から電話が入った・・。
製作技術の代金は現金で精算するので、領収証を持って取りに行って欲しい、との事だった・・。
暫らくして先輩Nさんが、真っ青な顔で集金から帰ってキタ・・・。
「ハタノ・・ヤバカッタよ・・・。ホントびびった・・・。」
事務所の座席に座り込むやそう切り出した。
用は集金先がホンモノのその筋の方の事務所だったのだ。副都心のビルの屋上に軒を構え外観からは全くキズカズ、
一歩中へ足を踏み入れた途端、壁の提灯や神棚、刀の装飾その他で理解したのだ。
その時のNさんの顔、いまだに忘れない・・・・。
小林 旭さん!・・・もう73歳かぁ・・・。お若いナァ。
歌謡ステージの録画Ⅴと過去の芸能ニュースフィルム、撮影所のさびれた食堂でのインタビュー構成。
日活ニューフェイスデビュー期、石原裕次郎氏との青春時代から、冷蔵庫すら買えなかった初任給の話、バブル経済期に背負った多額の債務の事など、栄光と挫折そして復活と「人生」の「あらぶる波」を超えた「男」」の貴重なお話。過去に週間文春でも拝見したお話しだが、そこは「映像」の魔力。テレビの方が遥かに楽しかった。
小林 旭さんの新曲「遠き昭和の」も素敵だ・・。どうか末永く「熱き心」でお元気で居て欲しい・・。

BS日テレ画面より http://www.bs4.jp/tokusen_otakara/outline.html
日本がバブル景気に狂乱していた頃、現在の民間放送局の考査基準よりも若干規制の緩い時代。
今はその多くが破綻した消費者金融から投資銀行、そして不動産会社。皆こぞって余りある資金の使い道に困った。
わたしの在籍していた映像製作会社が、某グループのテレビCM製作の技術を請け負った。
孫請けの仕事らしい・・。大手のテレビCM製作社では殆ど請け負わないVTR収録によるⅤCMだ。
映画「渡り鳥」シリーズのテーマソングが流れる中、カウボーイハットの小林氏が馬に乗って登場・・。
たしかログハウスか何かの前でポーズ。スポンサー企業名のサウンド・ロゴが流れてEND、だったと思う・・。
この撮影・編集技術請負の営業担当は当時の営業課の先輩Nさん。営業のシキタリから支払いの滞る製作会社への督促を含め多くの事を教わった大恩人である・・。
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くだんのCMのVTRの編集、局への完成原版の納品・プリントが済んで先輩Nさんに元請けの代理店から電話が入った・・。
製作技術の代金は現金で精算するので、領収証を持って取りに行って欲しい、との事だった・・。
暫らくして先輩Nさんが、真っ青な顔で集金から帰ってキタ・・・。
「ハタノ・・ヤバカッタよ・・・。ホントびびった・・・。」
事務所の座席に座り込むやそう切り出した。
用は集金先がホンモノのその筋の方の事務所だったのだ。副都心のビルの屋上に軒を構え外観からは全くキズカズ、
一歩中へ足を踏み入れた途端、壁の提灯や神棚、刀の装飾その他で理解したのだ。
その時のNさんの顔、いまだに忘れない・・・・。

もう、クリスマスシーズンですね・・。
我が家もクリスマスツリーの飾付けをすませた。玄関ドアにリーフ、壁にサンタやブーツのペナント、雪だるまのぬいぐるみ・・そして背中に羽をもつ女神像。(左手奥)
これは今年のGWに大阪へ「よしもと新喜劇」を観に出掛けた際にベイサイドの小さな土産屋で購入したもの。

この女神像、裏から見ると羽柄の浮き出た感がチョットキモい。
「羽」で思い出したのが40年程前に家族で旅行した伊豆シャボテン公園にある巨大石像「高原竜」。

昭和の東宝特撮「ウルトラマン」では、この像が怪獣となり、対する東映特撮「仮面ライダー」では悪の軍団ショッカーの「イーッ」としか喋れない戦闘員が此処をアジトとしていた・・・。
今は亡き日活映画が昭和42年製作したのが「大巨獣ガッパ」。

戦時中日本の統治下にあった南方の島から幼鳥を持ち出し、後を追いかけて親鳥が現れ・・というよくある話。
しかし「鳥」的なきぐるみの造形が幼稚で、フィルム合成の技術も猛烈に稚拙で、とある正月、テレビでの放映を観て子供ながらに幻滅したのを覚えている・・・。
優雅な羽ばたきを宙吊りで再現してみせたのが22年前初演の市川猿之助さんスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」。

当時東京・銀座のマガジンハウスの裏手に事務所を構えていらしたマルチクリエイターのTさんが、この「ヤマトタケル」のメイキング映像を当時先駆け技術であったハイビジョンで取り組んだ。
スタジオでの隈取り、衣装着付け、見得切り、衣装・美術・照明のデザイナーインタビュー・・。これらをコンパクトなビデオカセットに収めビル4階建ての大きさのスクリーンに圧巻の高精細で再生する云々・・、三菱電機のプロモーションであった。
わたしは数年後、このプロモーションのタイトルをそっくり戴いて、(パクッて)新潟県紫雲寺にある「愛鳥センター」のマルチスクリーン展示映像「天翔る」を演出した。
新潟県内に生息する四季の野鳥を雄大な音楽とナレーションで構成した・・・。
ナレーションには当時親交のあった女性ナレーターを起用したが、元請の展示造形の担当プロデュサー氏に後日、「ハタノサン、カノジョとツキアッテルでしょ!・・・。」とニヤニヤしながら不意に聴かれて、「カンケイ」をフツーにズバリ!見抜かれたのには全く閉口した・・・・。
ナレーション収録の日、東京・築地のスタジオでチョット顔合わせしただけなのに・・・・・。
「バカおとこ」は、やはり顔に出るのだ・・・。やはりナァ・・・。

新潟紫雲寺愛鳥センター・さえずりの里
我が家もクリスマスツリーの飾付けをすませた。玄関ドアにリーフ、壁にサンタやブーツのペナント、雪だるまのぬいぐるみ・・そして背中に羽をもつ女神像。(左手奥)
これは今年のGWに大阪へ「よしもと新喜劇」を観に出掛けた際にベイサイドの小さな土産屋で購入したもの。

この女神像、裏から見ると羽柄の浮き出た感がチョットキモい。
「羽」で思い出したのが40年程前に家族で旅行した伊豆シャボテン公園にある巨大石像「高原竜」。

昭和の東宝特撮「ウルトラマン」では、この像が怪獣となり、対する東映特撮「仮面ライダー」では悪の軍団ショッカーの「イーッ」としか喋れない戦闘員が此処をアジトとしていた・・・。
今は亡き日活映画が昭和42年製作したのが「大巨獣ガッパ」。

戦時中日本の統治下にあった南方の島から幼鳥を持ち出し、後を追いかけて親鳥が現れ・・というよくある話。
しかし「鳥」的なきぐるみの造形が幼稚で、フィルム合成の技術も猛烈に稚拙で、とある正月、テレビでの放映を観て子供ながらに幻滅したのを覚えている・・・。
優雅な羽ばたきを宙吊りで再現してみせたのが22年前初演の市川猿之助さんスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」。

当時東京・銀座のマガジンハウスの裏手に事務所を構えていらしたマルチクリエイターのTさんが、この「ヤマトタケル」のメイキング映像を当時先駆け技術であったハイビジョンで取り組んだ。
スタジオでの隈取り、衣装着付け、見得切り、衣装・美術・照明のデザイナーインタビュー・・。これらをコンパクトなビデオカセットに収めビル4階建ての大きさのスクリーンに圧巻の高精細で再生する云々・・、三菱電機のプロモーションであった。
わたしは数年後、このプロモーションのタイトルをそっくり戴いて、(パクッて)新潟県紫雲寺にある「愛鳥センター」のマルチスクリーン展示映像「天翔る」を演出した。
新潟県内に生息する四季の野鳥を雄大な音楽とナレーションで構成した・・・。
ナレーションには当時親交のあった女性ナレーターを起用したが、元請の展示造形の担当プロデュサー氏に後日、「ハタノサン、カノジョとツキアッテルでしょ!・・・。」とニヤニヤしながら不意に聴かれて、「カンケイ」をフツーにズバリ!見抜かれたのには全く閉口した・・・・。
ナレーション収録の日、東京・築地のスタジオでチョット顔合わせしただけなのに・・・・・。
「バカおとこ」は、やはり顔に出るのだ・・・。やはりナァ・・・。

新潟紫雲寺愛鳥センター・さえずりの里
東映株式会社が今年春60周年を迎えたそうだ。
知らなかった・・・・。
首都圏の後発局・NET日本教育テレビ(現テレビ朝日)の大株主でもある。
遥か昔の小学生の頃より、NETが東映と組んで乱造するテレビソフトに、長く心を魅了された・・。
「昭和40年~素浪人・月影兵庫」「昭和36年~特別機動捜査隊」「昭和41年~忍者ハットリくん」「昭和41年~悪魔くん」「丸出だめ夫」etc,etc・・。
ヒーローものは原作・石ノ森章太郎氏のキャラクター造形力が輝いた。当期売上高1088億円、純利益51億7千万円・・・。
若い頃舞台音響のエンジニアだった事は既に当ブログでお話したが、その中にある仕事があった・・。
舞台関係の製作者の方からご紹介戴き、東映テレビプロの下請けの下請け仕事を請け負った。たしか漫画家・永井 豪氏の持つ劇団の方との混成作業で当時永井氏の事務所にごあいさつに伺った記憶がある・・。
「昭和51年~キャンディ
キャンディ」のキャラクターショーともうひとつ覚えがないのだが、何かのヒーローショーの抱き合わせだった。

1度目の稽古は劇団の事務所の稽古場、2度目は本番当日の東京・大井町か蒲田だったかのデパートかスーパーの屋上で行った・・・。
ヒーローショーの役者さんの中に「スペクトルマン」(CX)の公害Gメン役のおじさんがフツーにバイトで悪役参加していたのに驚いた。真剣に段取り合わせするその姿に芸の世界の悲哀を垣間見た・・。
ショーで使用する音響機材は全て、東映テレビプロさんでご用意いただける手筈で、珍しく身体ひとつで出掛けた。早朝、会場入りし改めて東映テレビプロの方と名詞交換し機材はそこにありますんで、と後方を指差された途端、嫌な予感がした・・・。
ボロボロの段ボールにクタクタの民生品のケーブルやマイクがクシャクシャに放り込まれている。
「やばい・・」今日の仕事は業務用の音響機材では無い!
そこで立ち往生する訳には行かないので、機材の様子を把握しながら仕込みに入る。
しかし乍、程なくその予感は的中した・・・・・。
歌やセリフを再生するオープンリール式のテープレコーダーとミキシングアンプを接続するケーブルが無いのだ。何処を探しても無い!わたしはあわててこの業界では在り得ないその状況を、先ほどのテレビプロの現場リーダーに告げた。
「なら、買ってキテ!」「?!!」
元請の音響サービス会社はこういう状況を判った上で、「人」を出すだけで済む単価の低い仕事をわざわざ紹介してきたのだ!
2トン車・4トン車1台分の機材を組み上げないと利益の捻出が出来ない当時の音響業界では、わたしの様に自前の償却すべき機材を持たず身ひとつで動く音響屋は重宝された・・・。
この事以降、キャラクター・ショーの関係は一切、依頼があっても固くお断りした。
ところも時代も変わって新宿警察署・・・。
「新宿副都心」で火災報知器メーカーか大島紬組合か何かの産業映画撮影の撮影許可・道路使用許可を取るために署を尋ねた時の事・・・。
わたしよりひと足早く許可申請に受付に居たのが東映テレビプロの、おそらく助監督さん。
・・・窓口で応対の警官にやたら叱責を受けている。
「ホントにっ!アンタ等は!何回言ってもわッからないんだから!!・・」
どうやら今回の申請では無く以前の申請について責められているようだ。
撮影は大所帯での移動に次ぐ移動で申請の時間との大幅なズレや、無許可のクルマ通行止めや、見物渋滞や、消防法との関りや撮影車両の駐停車など、数え上げたらきりの無いリスクの過大な作業で現在のような「フィルムコミッション」が組織され機能する事も皆無な時代であったのでいたしかたない。

http://photo.martle.net/category/building/high/00003.html
「新宿副都心」は当時多くのテレビドラマ、映画、CM、雑誌で大人気の撮影スポットであった。東映のヒーローもののオープニングの多くや、「昭和47年~太陽にほえろ!」(EX)を含む刑事ドラマ等など多くのシーンを賄えたのだ。
この上空をヘリで空撮し、ドラマのオープニングやエンディングに使用した作品は多い。
当時の新宿西口ロータリーの富士重工ビル前は早朝・深夜そうしたドラマ班の集合・解散場所でもあった。
完成したばかりの京王プラザホテル下には「ズームイン朝!」(AX)の「おはよう!新婚さん」のナマ中継車も待機していた・・・。
役者・スタッフ・エキストラの終電後のタクシー利用抑制・圧縮も兼ね備えた高度成長期の「超理想の東映御用達」新宿。
当方の撮影の朝の集合場所に、東映のドラマクルーのロケバスや機材車が同様に集合待ちしているとナゼか心躍ったものだ・・・・・。
知らなかった・・・・。
首都圏の後発局・NET日本教育テレビ(現テレビ朝日)の大株主でもある。
遥か昔の小学生の頃より、NETが東映と組んで乱造するテレビソフトに、長く心を魅了された・・。
「昭和40年~素浪人・月影兵庫」「昭和36年~特別機動捜査隊」「昭和41年~忍者ハットリくん」「昭和41年~悪魔くん」「丸出だめ夫」etc,etc・・。
ヒーローものは原作・石ノ森章太郎氏のキャラクター造形力が輝いた。当期売上高1088億円、純利益51億7千万円・・・。
若い頃舞台音響のエンジニアだった事は既に当ブログでお話したが、その中にある仕事があった・・。
舞台関係の製作者の方からご紹介戴き、東映テレビプロの下請けの下請け仕事を請け負った。たしか漫画家・永井 豪氏の持つ劇団の方との混成作業で当時永井氏の事務所にごあいさつに伺った記憶がある・・。
「昭和51年~キャンディ


1度目の稽古は劇団の事務所の稽古場、2度目は本番当日の東京・大井町か蒲田だったかのデパートかスーパーの屋上で行った・・・。
ヒーローショーの役者さんの中に「スペクトルマン」(CX)の公害Gメン役のおじさんがフツーにバイトで悪役参加していたのに驚いた。真剣に段取り合わせするその姿に芸の世界の悲哀を垣間見た・・。
ショーで使用する音響機材は全て、東映テレビプロさんでご用意いただける手筈で、珍しく身体ひとつで出掛けた。早朝、会場入りし改めて東映テレビプロの方と名詞交換し機材はそこにありますんで、と後方を指差された途端、嫌な予感がした・・・。
ボロボロの段ボールにクタクタの民生品のケーブルやマイクがクシャクシャに放り込まれている。
「やばい・・」今日の仕事は業務用の音響機材では無い!
そこで立ち往生する訳には行かないので、機材の様子を把握しながら仕込みに入る。
しかし乍、程なくその予感は的中した・・・・・。
歌やセリフを再生するオープンリール式のテープレコーダーとミキシングアンプを接続するケーブルが無いのだ。何処を探しても無い!わたしはあわててこの業界では在り得ないその状況を、先ほどのテレビプロの現場リーダーに告げた。
「なら、買ってキテ!」「?!!」
元請の音響サービス会社はこういう状況を判った上で、「人」を出すだけで済む単価の低い仕事をわざわざ紹介してきたのだ!
2トン車・4トン車1台分の機材を組み上げないと利益の捻出が出来ない当時の音響業界では、わたしの様に自前の償却すべき機材を持たず身ひとつで動く音響屋は重宝された・・・。
この事以降、キャラクター・ショーの関係は一切、依頼があっても固くお断りした。
ところも時代も変わって新宿警察署・・・。
「新宿副都心」で火災報知器メーカーか大島紬組合か何かの産業映画撮影の撮影許可・道路使用許可を取るために署を尋ねた時の事・・・。
わたしよりひと足早く許可申請に受付に居たのが東映テレビプロの、おそらく助監督さん。
・・・窓口で応対の警官にやたら叱責を受けている。
「ホントにっ!アンタ等は!何回言ってもわッからないんだから!!・・」
どうやら今回の申請では無く以前の申請について責められているようだ。
撮影は大所帯での移動に次ぐ移動で申請の時間との大幅なズレや、無許可のクルマ通行止めや、見物渋滞や、消防法との関りや撮影車両の駐停車など、数え上げたらきりの無いリスクの過大な作業で現在のような「フィルムコミッション」が組織され機能する事も皆無な時代であったのでいたしかたない。

http://photo.martle.net/category/building/high/00003.html
「新宿副都心」は当時多くのテレビドラマ、映画、CM、雑誌で大人気の撮影スポットであった。東映のヒーローもののオープニングの多くや、「昭和47年~太陽にほえろ!」(EX)を含む刑事ドラマ等など多くのシーンを賄えたのだ。
この上空をヘリで空撮し、ドラマのオープニングやエンディングに使用した作品は多い。
当時の新宿西口ロータリーの富士重工ビル前は早朝・深夜そうしたドラマ班の集合・解散場所でもあった。
完成したばかりの京王プラザホテル下には「ズームイン朝!」(AX)の「おはよう!新婚さん」のナマ中継車も待機していた・・・。
役者・スタッフ・エキストラの終電後のタクシー利用抑制・圧縮も兼ね備えた高度成長期の「超理想の東映御用達」新宿。
当方の撮影の朝の集合場所に、東映のドラマクルーのロケバスや機材車が同様に集合待ちしているとナゼか心躍ったものだ・・・・・。

東映が60周年である・・・。
小学生の時、学校の体育館で東映動画のアニメーション映画を観た記憶がある。
題名は忘れてしまったが白黒の作品であった・・。ウォルトディズニーに負けない繊細な描写・・・。
昭和40年代、テレビでは変身ヒーローと、円谷特撮全盛の時代。
月曜から日曜まで毎晩特撮ヒーローが暴れていたのだ・・・。
9歳年下の妹がわたしの事を「おにいちゃん、おにいちゃん・・」と呼ぶようになり、高学年を卒業しようという時期、密かに心の中では「こんなんじゃ、いけない・・」と葛藤しつつも、夏休み・冬休みと土日休みともなれば、勉強もせず1日13時間以上テレビの前から離れなかった・・・。
クラスで1度担任の先生が生徒全員の休日の視聴時間を挙手で尋ねた事があった・・。
「1時間以上の人・・2時間以上の人・・、それ以上・・」あろうことか10時間以上見ていたのはわたしひとり・・。
成績のふるわないわたしの顔を見つめるK先生のあの時の呆れ顔は、未だ目に焼きついている・・。
当時の東京のテレビは東宝・大映・日活の特撮映画やヒーローものを休みの期間中や土曜・日曜の昼間、頻繁に放映していた・・。
VHSなんぞという映像記録媒体の無い時代、新聞のラジオテレビ欄を見てそれはそれは心待ちにしたものだ・・。

その頃からだ。スタッフ紹介の字幕を「読み込む」クセがついたのだ。
照明助手、美粧、進行、かつら、撮影助手、色彩計測、リーレコ、録音・・。
6年生の卒業文集に「二十歳の時あなたは何をしているか?」との例題で作文を書かされた・・・。
「結婚して・・テレビディレクターになっている・・」そう書いた・・・。
実際結婚は35歳、ディレクターデビューは27歳くらい?だった。
駆け出しの新米ディレクターとして幾本かの東京ローカルのテレビCMを演出する中で思いがけず「息」を飲んだ事があった。
「横浜ドリームランド」の秋公開の新アトラクションPRを兼ねて15秒・30秒の新作を撮影する事となったある真夏の事・・・。
照明のチーフがなんと初代「仮面ライダー」(昭和46年~)の照明技師S氏!カメラマンは「ウルトラセブン」(昭和42年~)のセカンドカメラマンA氏だったのだ。数十年前、ブラウン管の前で字幕に登場した方達が新米小僧のわたしを支えてクレルノダ!
猛烈な緊張の撮影現場で、どんなに心強かった事か・・・。当時のCM映像をご覧戴けないのが残念である。

その後幾多の仕事の中で、「がんばれロボコン」(昭和49年~)や「仮面ライダーアマゾン」」(昭和49年~)の監督ともお仕事をご一緒する機会を得た。
時空を超えて字幕の「人」と出会い「共同作業」・・・感慨深い。

小学生の時、学校の体育館で東映動画のアニメーション映画を観た記憶がある。
題名は忘れてしまったが白黒の作品であった・・。ウォルトディズニーに負けない繊細な描写・・・。
昭和40年代、テレビでは変身ヒーローと、円谷特撮全盛の時代。
月曜から日曜まで毎晩特撮ヒーローが暴れていたのだ・・・。
9歳年下の妹がわたしの事を「おにいちゃん、おにいちゃん・・」と呼ぶようになり、高学年を卒業しようという時期、密かに心の中では「こんなんじゃ、いけない・・」と葛藤しつつも、夏休み・冬休みと土日休みともなれば、勉強もせず1日13時間以上テレビの前から離れなかった・・・。
クラスで1度担任の先生が生徒全員の休日の視聴時間を挙手で尋ねた事があった・・。
「1時間以上の人・・2時間以上の人・・、それ以上・・」あろうことか10時間以上見ていたのはわたしひとり・・。
成績のふるわないわたしの顔を見つめるK先生のあの時の呆れ顔は、未だ目に焼きついている・・。
当時の東京のテレビは東宝・大映・日活の特撮映画やヒーローものを休みの期間中や土曜・日曜の昼間、頻繁に放映していた・・。
VHSなんぞという映像記録媒体の無い時代、新聞のラジオテレビ欄を見てそれはそれは心待ちにしたものだ・・。

その頃からだ。スタッフ紹介の字幕を「読み込む」クセがついたのだ。
照明助手、美粧、進行、かつら、撮影助手、色彩計測、リーレコ、録音・・。
6年生の卒業文集に「二十歳の時あなたは何をしているか?」との例題で作文を書かされた・・・。
「結婚して・・テレビディレクターになっている・・」そう書いた・・・。
実際結婚は35歳、ディレクターデビューは27歳くらい?だった。
駆け出しの新米ディレクターとして幾本かの東京ローカルのテレビCMを演出する中で思いがけず「息」を飲んだ事があった。
「横浜ドリームランド」の秋公開の新アトラクションPRを兼ねて15秒・30秒の新作を撮影する事となったある真夏の事・・・。
照明のチーフがなんと初代「仮面ライダー」(昭和46年~)の照明技師S氏!カメラマンは「ウルトラセブン」(昭和42年~)のセカンドカメラマンA氏だったのだ。数十年前、ブラウン管の前で字幕に登場した方達が新米小僧のわたしを支えてクレルノダ!
猛烈な緊張の撮影現場で、どんなに心強かった事か・・・。当時のCM映像をご覧戴けないのが残念である。

その後幾多の仕事の中で、「がんばれロボコン」(昭和49年~)や「仮面ライダーアマゾン」」(昭和49年~)の監督ともお仕事をご一緒する機会を得た。
時空を超えて字幕の「人」と出会い「共同作業」・・・感慨深い。


ここ数日で、寒くなりましたね・・・。
風の「冷たさ」が変わった・・・。
この時期思い出すのは、むかし舞台音響の仕事をしていた時、冬の屋外の音響操作は若くても身体に凍みたものだ。東京の「西武遊園地」の屋外ステージ、目白「椿山荘」の屋外舞台、愛知の「名鉄サニーワールド」等等・・。
音声調整卓やテープレコーダの類いは手袋をしては操作が出来ず凍りついた手を温めるのは、「パワーアンプ」の天板くらいしか無い。乗せるとほのかに「あたたかい」。いまどきのような「ヒートテック繊維」や「ホッカイロ」もありゃしません。作業撤収時も「マイクコード」が固くてねぇ・・・。夏ならばフニャフニャなのに・・・。巻きにくいんだコレが・・・。
テレビ朝日の報道局へ最初アルバイトで入った当時、東京・目白の田中角栄邸の門前に張り込むいわゆる「田中番」これもキツカッタ・・。
早朝から深夜まで、ずっと冷たい屋外の「脚立」に座りっ放し・・・。旧式の報道取材TVカメラ用の鉄製の重い「バッテリー」がどんどん落ちて1日中、交換し続ける・・・。この「バッテリー」がまた冷たい。

(東京・目白 田中邸前)
オシッコなんか皆、その辺でしちゃう。迷惑な話だ。
報道デスクの御好意でお弁当の他に「ワンカップ大関」が差し入れられる・・。暖が採りたくてひとくち、ふたくちしか呑まないがその「カップ」もスグに冷たくなる。オシッコも近くなる。
お弁当は決まって青山「まい泉」の高級とんかつ弁当。
ころもがサクサクで味は絶品だが毎日毎日同じメニュー。
カメラマンは毎日交代で現場に入るが、バイトは数日連続で「田中番」にまわされる。胃がやられた・・・。
おまけに、暖房の効いた取材車で食べると突然の撮影に対処出来ないのでそのまんま脚立下でいただく。

(おいしい「まい泉」のとんかつ弁当) http://mai-sen.com/
程なく「NHKの報道取材クルー」が「テレ朝さん!お弁当を交換しよう」、と持ちかけてきた!
わたしらは歓声をあげて喜んだ!!
彼等の弁当は2段重の豪華版だったのだ!さすが「みなさまのNHK」!私等の受信料が・・・重箱に・・・。
ちなみに「テレビ東京」だけは気の毒に菓子パンを立ち食いしていた・・・。これは気の毒だった。
風の「冷たさ」が変わった・・・。
この時期思い出すのは、むかし舞台音響の仕事をしていた時、冬の屋外の音響操作は若くても身体に凍みたものだ。東京の「西武遊園地」の屋外ステージ、目白「椿山荘」の屋外舞台、愛知の「名鉄サニーワールド」等等・・。
音声調整卓やテープレコーダの類いは手袋をしては操作が出来ず凍りついた手を温めるのは、「パワーアンプ」の天板くらいしか無い。乗せるとほのかに「あたたかい」。いまどきのような「ヒートテック繊維」や「ホッカイロ」もありゃしません。作業撤収時も「マイクコード」が固くてねぇ・・・。夏ならばフニャフニャなのに・・・。巻きにくいんだコレが・・・。
テレビ朝日の報道局へ最初アルバイトで入った当時、東京・目白の田中角栄邸の門前に張り込むいわゆる「田中番」これもキツカッタ・・。
早朝から深夜まで、ずっと冷たい屋外の「脚立」に座りっ放し・・・。旧式の報道取材TVカメラ用の鉄製の重い「バッテリー」がどんどん落ちて1日中、交換し続ける・・・。この「バッテリー」がまた冷たい。

(東京・目白 田中邸前)
オシッコなんか皆、その辺でしちゃう。迷惑な話だ。
報道デスクの御好意でお弁当の他に「ワンカップ大関」が差し入れられる・・。暖が採りたくてひとくち、ふたくちしか呑まないがその「カップ」もスグに冷たくなる。オシッコも近くなる。
お弁当は決まって青山「まい泉」の高級とんかつ弁当。
ころもがサクサクで味は絶品だが毎日毎日同じメニュー。
カメラマンは毎日交代で現場に入るが、バイトは数日連続で「田中番」にまわされる。胃がやられた・・・。
おまけに、暖房の効いた取材車で食べると突然の撮影に対処出来ないのでそのまんま脚立下でいただく。

(おいしい「まい泉」のとんかつ弁当) http://mai-sen.com/
程なく「NHKの報道取材クルー」が「テレ朝さん!お弁当を交換しよう」、と持ちかけてきた!
わたしらは歓声をあげて喜んだ!!
彼等の弁当は2段重の豪華版だったのだ!さすが「みなさまのNHK」!私等の受信料が・・・重箱に・・・。
ちなみに「テレビ東京」だけは気の毒に菓子パンを立ち食いしていた・・・。これは気の毒だった。
スカパーLala HDTVで毎週楽しみにしていた「THE CLOSER」の第6シーズンが終了してしまった。
アメリカはジョージア州にある有名なCNNの創設者テッド・ターナー氏の経営するケーブルテレビ会社の製作だ。2005年から全米で放映が開始され、ワーナー・ブラザーズからDVDがシリーズ化され当初はレンタルビデオ店であの「24」が貸し出し中で借りて帰れない時に観てから、ハマッタ・・。
巧妙で丁寧な脚本は46歳の女優キーラ・セジウィックに2度の主演女優賞をもたらした。

wwws.warnerbros.co.jp/thecloser/
Lala HDは現在、韓国モノの編成に大変ご熱心で今回終了した第6シーズンの初回エピソードを週末の夜中に、再放送を平日の夜9時に、最終エピソードに至っては他番組に予告無く差替えてしまっていた!録画して勝手に観てください!と言わんばかりの手抜き?かな・・・。lala.tv/programs/closer/index.html
近所のビデオレンタル店ではこうしたアメリカンテレビシリーズが大量に新作としてリリースされ陳列棚が溢れる為か「THE CLOSER」も第4シーズン辺りから仕入れすらしなくなった・・。
全米テレビドラマの情報会社によると今年の2月頃、ご本人がブレンダ・ジョンソンの役から開放されたいと申し出たようだ。当地では今夏ファイナルシーズンが開始され、春先に終了。あしかけ7年・・長い話だ。
長いといえば、「24」も長かった。長すぎてややこしくて、挙げ句主役の大統領警護官の実父が実はテロリストだなんて、設定にシビレテしまい、観るのを放棄した!人を長年付き合わせといて!ソコかい?
45年近くの間いまなお再放送が繰返され、息の永いのはバリー・グレイ作曲のテーマがあまりにも有名な大英帝国が世界に誇る人形劇「サンダーバード」(昭和41年~NHK)。
全32話だが子供番組の1時間は長い・・・。登場人物が皆アタマがデカイ、首が年中ユラユラして、なかなか救助に手間取る、手に汗握る連続だ!NHK放送当時、CM無しだぜ!!トイレに行けないのだ!!
このテレビで「忍耐」を「我慢」を教えられた・・・んなぁ訳ないわァ!?
という訳で、首ユラユラの変遷。
人形頭部にリップシンクの装置を抱いているからこんなにデカイらしい。


スカパー 「スーパードラマTV」「海底大戦争スティングレー」テレビ画面より
原題「STINGREY」(昭和37年~)www.superdramatv.com/
「サンダーバード」の番組セールスの大失敗を受け新たに製作したのがコレ。

「人間」に造形を近づける為今度は体内に装置を移して「アタマ」スッキリ!
イケメンでしょ!

スカパー 「スーパードラマTV」「キャプテンスカーレット」テレビ画面より
原題「Captain Scarlet and The Mysterons」(昭和47年~)

中央の女性はクラブのママではないです!休暇中に命を狙われた隊員。素敵なひとです
携帯の番号教えて・・・?

「スーパードラマTV」画面より
アメリカはジョージア州にある有名なCNNの創設者テッド・ターナー氏の経営するケーブルテレビ会社の製作だ。2005年から全米で放映が開始され、ワーナー・ブラザーズからDVDがシリーズ化され当初はレンタルビデオ店であの「24」が貸し出し中で借りて帰れない時に観てから、ハマッタ・・。
巧妙で丁寧な脚本は46歳の女優キーラ・セジウィックに2度の主演女優賞をもたらした。

wwws.warnerbros.co.jp/thecloser/
Lala HDは現在、韓国モノの編成に大変ご熱心で今回終了した第6シーズンの初回エピソードを週末の夜中に、再放送を平日の夜9時に、最終エピソードに至っては他番組に予告無く差替えてしまっていた!録画して勝手に観てください!と言わんばかりの手抜き?かな・・・。lala.tv/programs/closer/index.html
近所のビデオレンタル店ではこうしたアメリカンテレビシリーズが大量に新作としてリリースされ陳列棚が溢れる為か「THE CLOSER」も第4シーズン辺りから仕入れすらしなくなった・・。
![]() | クローザー 〈フィフス・シーズン〉コレクターズ・ボックス [DVD] (2011/03/30) キーラ・セジウィック、J・K・シモンズ 他 商品詳細を見る |
全米テレビドラマの情報会社によると今年の2月頃、ご本人がブレンダ・ジョンソンの役から開放されたいと申し出たようだ。当地では今夏ファイナルシーズンが開始され、春先に終了。あしかけ7年・・長い話だ。
長いといえば、「24」も長かった。長すぎてややこしくて、挙げ句主役の大統領警護官の実父が実はテロリストだなんて、設定にシビレテしまい、観るのを放棄した!人を長年付き合わせといて!ソコかい?

45年近くの間いまなお再放送が繰返され、息の永いのはバリー・グレイ作曲のテーマがあまりにも有名な大英帝国が世界に誇る人形劇「サンダーバード」(昭和41年~NHK)。
全32話だが子供番組の1時間は長い・・・。登場人物が皆アタマがデカイ、首が年中ユラユラして、なかなか救助に手間取る、手に汗握る連続だ!NHK放送当時、CM無しだぜ!!トイレに行けないのだ!!
このテレビで「忍耐」を「我慢」を教えられた・・・んなぁ訳ないわァ!?

という訳で、首ユラユラの変遷。
人形頭部にリップシンクの装置を抱いているからこんなにデカイらしい。


スカパー 「スーパードラマTV」「海底大戦争スティングレー」テレビ画面より
原題「STINGREY」(昭和37年~)www.superdramatv.com/
「サンダーバード」の番組セールスの大失敗を受け新たに製作したのがコレ。

「人間」に造形を近づける為今度は体内に装置を移して「アタマ」スッキリ!
イケメンでしょ!

スカパー 「スーパードラマTV」「キャプテンスカーレット」テレビ画面より
原題「Captain Scarlet and The Mysterons」(昭和47年~)

中央の女性はクラブのママではないです!休暇中に命を狙われた隊員。素敵なひとです


「スーパードラマTV」画面より
http://www.shinchosha.co.jp/
今週の「週間新潮」に元俳優の加勢大周さんの記事がセンセーショナルに全告白、として登場している。
逮捕の瞬間自室で一糸まとわぬ姿で(実際は下着1枚)いたところを警察に踏み込まれたその顛末を取り扱っている。

もう時効だろうから描くが、自分も同じ状況に置かれた事があった・・・。
「TVスクープ」(ANB)という報道番組。溝口泰男さん(故人)と安藤優子がキャスターを勤めた。
溝口さんとは報道局報道取材部の技術でわたしがANBに出向していた当時取材によく同行させていただいた。気さくな方だった。
安藤優子さんはCXへ移籍前でたしか同い年。取材途中、何処かの喫茶店でたまたま席がわたしの正面になり随分どぎまぎしたものだ・・。まだお互い20代、彼女は輝いて見えた。小麦色のスラリとした脚がとても魅惑的だった。

さて報道技術のデスクから「ハタノ、明日から大阪、出張な!」不意に申し渡された・・。
「「テレスク」でナ、題名が「覚せい剤」。で、ヨロシク・・。」
大量の機材を局から東京駅へ新幹線で大阪へ、開局当初からあった大淀のABC旧社屋のロビーで時間を潰した?か,記憶が少し曖昧だが,とあるその筋の撮影協力して戴ける方の元へと向う・・・。

http://www.fukei-kabegami.com/cgi-bin/kabegami/6904.html
そのときの取材ディレクターが現在の某局のA代表取締役社長。
あまり詳しく書くと、相手方に何かご迷惑を掛けるかもしれないので記述を避けるが、その方のご自宅やらで下打ち合わせの後、いよいよ収録となった・・・。同行したカメラマンが不意に言った。
「ハタノ、今、警察に踏み込まれたら、全員、終わりだからな・・。」
「!!??!!」何も言葉を返す空気では無かったので、わたしは黙っていた。覚悟した。
密室状態の真っ暗な和室・・。緊迫した。
覚せい剤をガラスのコップを横に倒しながら擦り潰し、小袋に小分けする作業・・。
ライターで炙る⇒注射する・・。
収録終了直後、室内に篭ったあまりの熱でわたしがセットした照明機材にかけたパラフィン紙と呼ぶライティング用の紙が突然燃え上がり、ナント!その方の家の畳を焦がしてしまった。!ひれ伏して、平謝り・・・。
その方は何も言わなかったが、頷く事も無く・・。
その時の残念そうな顔を今でも覚えている・・・・。
前後して別棟2階から覚せい剤を買いに訪れる主婦を、カーテンの隙間から、隠し撮りし終了。
事後、その方のお店で皆で酒を御馳走になった・・。
しばしの休憩の後、御いとましようとするとその方が「よかったら大阪へ来ないか云々」、「ウチの下の娘を貰ってくれ云々」(スゴイ!美人!)とわたしに言い出し、言われたコチラはアタマが混乱しながら何故か畳みを焦がした事に触れず、お許し戴けたと、その方に感謝しつつ退散した。
帰路、新大阪駅前か通天閣か何処かで今回の収録のお膳立てをした仲介者の方への謝礼金の領収証の宛先をディレクターがやりとりするのを車の中で聴きながら撤収と相成った・・・。
前科一犯にならず、帰ってこれた・・・。

今週の「週間新潮」に元俳優の加勢大周さんの記事がセンセーショナルに全告白、として登場している。
逮捕の瞬間自室で一糸まとわぬ姿で(実際は下着1枚)いたところを警察に踏み込まれたその顛末を取り扱っている。

もう時効だろうから描くが、自分も同じ状況に置かれた事があった・・・。
「TVスクープ」(ANB)という報道番組。溝口泰男さん(故人)と安藤優子がキャスターを勤めた。
溝口さんとは報道局報道取材部の技術でわたしがANBに出向していた当時取材によく同行させていただいた。気さくな方だった。
安藤優子さんはCXへ移籍前でたしか同い年。取材途中、何処かの喫茶店でたまたま席がわたしの正面になり随分どぎまぎしたものだ・・。まだお互い20代、彼女は輝いて見えた。小麦色のスラリとした脚がとても魅惑的だった。

さて報道技術のデスクから「ハタノ、明日から大阪、出張な!」不意に申し渡された・・。
「「テレスク」でナ、題名が「覚せい剤」。で、ヨロシク・・。」
大量の機材を局から東京駅へ新幹線で大阪へ、開局当初からあった大淀のABC旧社屋のロビーで時間を潰した?か,記憶が少し曖昧だが,とあるその筋の撮影協力して戴ける方の元へと向う・・・。

http://www.fukei-kabegami.com/cgi-bin/kabegami/6904.html
そのときの取材ディレクターが現在の某局のA代表取締役社長。
あまり詳しく書くと、相手方に何かご迷惑を掛けるかもしれないので記述を避けるが、その方のご自宅やらで下打ち合わせの後、いよいよ収録となった・・・。同行したカメラマンが不意に言った。
「ハタノ、今、警察に踏み込まれたら、全員、終わりだからな・・。」
「!!??!!」何も言葉を返す空気では無かったので、わたしは黙っていた。覚悟した。
密室状態の真っ暗な和室・・。緊迫した。
覚せい剤をガラスのコップを横に倒しながら擦り潰し、小袋に小分けする作業・・。
ライターで炙る⇒注射する・・。
収録終了直後、室内に篭ったあまりの熱でわたしがセットした照明機材にかけたパラフィン紙と呼ぶライティング用の紙が突然燃え上がり、ナント!その方の家の畳を焦がしてしまった。!ひれ伏して、平謝り・・・。
その方は何も言わなかったが、頷く事も無く・・。
その時の残念そうな顔を今でも覚えている・・・・。
前後して別棟2階から覚せい剤を買いに訪れる主婦を、カーテンの隙間から、隠し撮りし終了。
事後、その方のお店で皆で酒を御馳走になった・・。
しばしの休憩の後、御いとましようとするとその方が「よかったら大阪へ来ないか云々」、「ウチの下の娘を貰ってくれ云々」(スゴイ!美人!)とわたしに言い出し、言われたコチラはアタマが混乱しながら何故か畳みを焦がした事に触れず、お許し戴けたと、その方に感謝しつつ退散した。
帰路、新大阪駅前か通天閣か何処かで今回の収録のお膳立てをした仲介者の方への謝礼金の領収証の宛先をディレクターがやりとりするのを車の中で聴きながら撤収と相成った・・・。
前科一犯にならず、帰ってこれた・・・。


クリスマスを題材にした映画の話題をおひとつ・・・。
今夜StarCH1でオンエアされたのは平成15年公開の「ラブ・アクチュアリーロンドンを舞台に老若男女19人のクリスマスを描いたオムニバス・ラブ・コメディの秀作だ。

イギリス映画、オムニバス映画の類いは大嫌いだが、最後まで見るつもりも無いのに暇にまかせて観ていたらアッという間に引き込まれ、エンディングを迎えてしまった・・。素晴らしかった・・。
監督はリチャード・カーティス(Richard Whalley Anthony Curtis)55歳。
名前をご存知無い方でも、多少洋画をレンタルされる方ならばジャケットの作品名くらいは見覚えがあると思いますが、巧妙で丁寧な作家でいらっしゃいます・・。
Mr.ビーン Mr. Bean (昭和64年 ) テレビシリーズ 脚本
フォー・ウェディング Four Weddings and a Funeral (平成6年) 脚本
ノッティングヒルの恋人 Notting Hill (平成11年) 脚本
ブリジット・ジョーンズの日記 Bridget Jones's Diary (平成13年) 脚本
Wikiによれば [作品はたとえ望まれていたとしてもおざなりな形では書かない事をモットーとしており、作品の作成期間は比較的長くとっている。]・・・・つまり商業的には筆の遅い方なのだ。
どうりで、今回の作品は複雑なプロットを無理強い無く、飛躍無く繋いでいる。編集も上手い。
加えてイギリス映画にもかかわらずアメリカンハリウッドメジャーのユニバーサル・ピクチャーズ製作なので予算もある分、画面構成は大変垢抜けており且つ「明るい」。

私見だが日本国内に流通するイギリス映画・テレビドラマは、近未来的、刹那的、王朝伝統の描写量産に偏っており、音楽製作にも予算を使わず電子楽器を多用し、設定ロケ地の大半は狭い国土を露呈してロンドン郊外の農園で済ませ、フィルムトーンも極端に暗い、インディーズ的な「匂い」が蔓延して観るのが「大嫌い」なのだ。
レンタルDVDでもイギリス映画と表記があれば、まず棚に返してしまう・・・。
あいにく、クリスマスの旬は過ぎたので、来年にでもお時間があれば是非、恋人・ご夫婦でご覧戴きたい。
P-15の視聴年齢制限あり。
今夜StarCH1でオンエアされたのは平成15年公開の「ラブ・アクチュアリーロンドンを舞台に老若男女19人のクリスマスを描いたオムニバス・ラブ・コメディの秀作だ。

イギリス映画、オムニバス映画の類いは大嫌いだが、最後まで見るつもりも無いのに暇にまかせて観ていたらアッという間に引き込まれ、エンディングを迎えてしまった・・。素晴らしかった・・。
監督はリチャード・カーティス(Richard Whalley Anthony Curtis)55歳。
名前をご存知無い方でも、多少洋画をレンタルされる方ならばジャケットの作品名くらいは見覚えがあると思いますが、巧妙で丁寧な作家でいらっしゃいます・・。
Mr.ビーン Mr. Bean (昭和64年 ) テレビシリーズ 脚本
フォー・ウェディング Four Weddings and a Funeral (平成6年) 脚本
ノッティングヒルの恋人 Notting Hill (平成11年) 脚本
ブリジット・ジョーンズの日記 Bridget Jones's Diary (平成13年) 脚本
Wikiによれば [作品はたとえ望まれていたとしてもおざなりな形では書かない事をモットーとしており、作品の作成期間は比較的長くとっている。]・・・・つまり商業的には筆の遅い方なのだ。
どうりで、今回の作品は複雑なプロットを無理強い無く、飛躍無く繋いでいる。編集も上手い。
加えてイギリス映画にもかかわらずアメリカンハリウッドメジャーのユニバーサル・ピクチャーズ製作なので予算もある分、画面構成は大変垢抜けており且つ「明るい」。

私見だが日本国内に流通するイギリス映画・テレビドラマは、近未来的、刹那的、王朝伝統の描写量産に偏っており、音楽製作にも予算を使わず電子楽器を多用し、設定ロケ地の大半は狭い国土を露呈してロンドン郊外の農園で済ませ、フィルムトーンも極端に暗い、インディーズ的な「匂い」が蔓延して観るのが「大嫌い」なのだ。
レンタルDVDでもイギリス映画と表記があれば、まず棚に返してしまう・・・。
あいにく、クリスマスの旬は過ぎたので、来年にでもお時間があれば是非、恋人・ご夫婦でご覧戴きたい。
P-15の視聴年齢制限あり。
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